団塊バカ親父の散歩話

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help RSS 「みんな、すごい!」

<<   作成日時 : 2006/04/21 22:46   >>

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画像 4月10日に「英語より国語力」という記事を書いたのだが、それに関連した面白いエッセイが、朝日新聞の「こころの風景」(4/18)という欄に載っていた。
 ミステリー作家の高嶋哲夫氏が「みんな、すごい」というタイトルで書いている。
 少し長くなるが引用してみる。

<朝青龍、琴欧州、白鵬……外国人ながら、すごい。相撲はもちろん、彼らの流暢(りゅうちょう)な日本語のことだ。
 卓球の愛ちゃん。あの達者な中国語を聞くと、卓球と同様にすごいと思う。そして、サッカーの中田のイタリア語。
 みなさん、まだ十代、二十代だ。
 彼らはみんな、幼少期から正式に外国語を習ったことはないはずだ。異国の地に一人身をおき、大きな目的を達するには、どうしても意思疎通が必要だったのだろう。
 努力はしたに違いないが、一芸に秀でた者には、言葉は自然とついてくるのだ。
 中央教育審議会は、小学5年生から週1時間、英語を導入すべきだとの報告書をまとめた。現在でも、全国の9割以上の小学校で英語に関係した授業が行われているという。
 しかし、十分な知識もなく、自国の言葉で満足な意見も言えず、明確な自己を確立してもいない時期から、外国語を学んで、どれだけのメリットがあるのだろうか。
 小学生時代は、まず人としての十分な基礎知識をつけることだ。語学は手段であって、目的ではない。
 日本人が英語が苦手だというのは、習い始める時期よりも、学習方法であり、必要性の認識だ。
 ワールドカップも近い。子供たちに、自分たちは国際人であるという意識を持たせることこそ必要だ。>

 ここに例に出された相撲取りたちは、たしかに上手に日本語を話す。それも、へたな日本の若者よりも、きちんとした綺麗な日本語である。
 必要だったから努力もしたのだろうが、自国の言葉をしっかり身につけていたからこそ、そして一芸に秀でていたからこそ、日本語もしっかり身につけられたのではないだろうか。 それは、“日本語を話す”というよりも、自国の言葉で自分の考えや思いをしっかりと身につけていたからこそ、必要にかられて“日本語で話せる”ようになったということではないだろうか。
 卓球の愛ちゃんの中国語や、サッカーの中田のイタリア語がどの程度のものかわからないが、テレビを見ていると現地のインタビューで、中国語やイタリア語で質問にしっかり答えているから、大したものなのだろう。
 彼らも、一芸に秀でていて、それにいたるまでにしっかりとした考え方を日本語で身につけていたからこそ、また必要があったからこそ、外国語を身につけられたのではないだろうか。

 日本での英語教育も、このあたりをしっかりと踏まえて、日本の文化をしっかりと身につける(あるいは、一芸に秀でる)と同時に、日本語(母語)で自分の考えや思いをまとめられるようにすることが、まず必要じゃないだろうか。
 そのうえで、その考えや思いを英語で表現する、という必要性を認識してから身につけるようにすればいいのではないだろうか。また、そう考えれば、英語に限らずにその他の外国を学ぶのもいいのではないだろうか。
 そして外国語を学習するにあたっては、日本人に合った方法を確立する必要もあるような気がするのである。それと、しっかりとした教師の養成も必要じゃないだろうかねえ。

<後記>一芸に秀でてもいないし、努力することも嫌いなバカ親父にとっては、英語(外国語)の習得はとてもじゃないけど、成し遂げられそうもない、と改めて思い知るようなことになってしまったのでした。タハッー!
 それにしても、彼らは「みんな、すごい!」。

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コメント(14件)

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そうか 道理で 私 外国語 だめか よく分かった なんにも 秀でてない 典型だものな
seizi05
2006/04/22 09:52
☆ エッ、seiziさん、バカ親父と同じ? アハハ、今からでも遅くはありませんよ。お互い頑張ろう!
遊哉
2006/04/22 10:59
ほんとに凄いですよね〜!
私も愛ちゃんとか、中田選手とか関心してましたから。たまたま昨日こちらのテレビである高校で英語クラスというのがあってそこでは一切の言葉が英語でされてるんですって。先生も外国の方とかもいらっしゃって英語の指導には4人もつくそうです。(道立なんですよ)でもね。。一歩でたら日本語の世界ですよね。。果たして??って私は思ったんですけど。。
確かにすごく画期的なことではあると思いますけど。。
私は日本語も熟知していないので、きちんとした日本語を。。って思う方なんですけどね。。
時代の流れについていけないのかも??ですね〜(笑)
kakomama
2006/04/22 14:03
☆ kakomamaさん、愛ちゃんや中田選手は、必要に迫られて必死に(?)覚えたんでしょうね。あるいは、いい友達ができて、自然に覚えちゃったんでしょうか。どちらにしろ、頭が柔らかいからか、比較的短時間に覚えたようですね。必要に迫られる、というのが意外に大切なような気がします。
 日本語をしっかり身につけつつ、ということを前提とした上で、中学や高校からできるだけ生の英語にふれることは大賛成ですが、それが身につくかどうかは、ちょっと疑問ですね。
 時代の流れで、英語でもその他の外国語でも自由に使えるような人たちが増えてくるんでしょうね。大いに結構なことですが、美しい日本語も忘れないようにしてほしいです。
遊哉
2006/04/22 19:36
「英語より国語力」は,どうやら評論家の合言葉になってますね。
しかし,このことは,日本がアメリカの一つの州になろうとしているから起こっていると思うんです。日本が台湾や朝鮮で行いましたよね。そんな住民教育なのではないでしょうか。
現地に暮らして現地の言葉を覚えることには,なんの不思議もありません。うまく言えませんが。
QQ33
2006/04/22 19:47
こんにちはm(__)m
娘の友人でロスに滞在している子は英語の成績はダメでしたが現在生活に不自由していません。姪が1年間留学した折も同じでした。力士や愛ちゃんにしても環境があればある程度は話せるようになるわけです(でも野球人が話しているのはあまり聞かないなぁ〜笑)日本に居ながらにしてペラペラになるには日本語を排除して周りを外人だらけにすればいいわけです。さてそれは可能でしょうか?無理ですよね(笑)また幼少期に英語に親しんでいても続けていなければ忘れていくわけです。これは大人でも同じでしょう。ちょっと不適切な例ですが、拉致被害者の方の日本語が帰国直後は違和感がありました。また帰国直後の姪は日本語が話しにくそうでしたし、留学友達とは英語で話していました。だからといって姪は秀でた才があるわけではありません。どんな言葉にしても難しいものではなく、そこに身を置けば話せると思うのです。手段としての語学は学習ではなく環境だと思うのです。必要がなければ、母国語でさえ忘れていくと思うのです。


patyoko
2006/04/22 20:05
つづき〜日本語を思って頭の中で英語に変換していては、いつまで経ってもしゃべることは出来ないでしょう。英単語をたくさん覚えて普段から使うようにしていれば、少しはわかりやすくなるかもしれませんが、益々日本語は怪しくなりますよね〜
とりあえずは、きちんとした日本語と日本文化、歴史などを教えるべきでしょうね〜日本人として誇りを持てるように・・そうすれば英語崇拝っていうのもなくなると思うのですが・・・
英語教育より深夜にウロウロする子供や15歳で平気で殺人事件を起こす異常さをもっと考えるべきだと思うのですが・・・
アレレ〜また、話が外れてしまいましたm(__)m
patyoko
2006/04/22 20:05
☆ QQ33さん、日本政府は、どうも我が国を米国の属国にしようとしているらしい。というのは冗談ですが、冗談ともいえないところがありますね(^.^)。
 英語にかぎらず、母語にしても、おしゃべりだけなら比較的簡単かもしれませんね。でも、文字で書かれた文章を正確に読み取ったり、ましてやしっかりとした文章を書くというのは至難の業だと思っています。外国語をおしゃべりだけでなく、ちゃんと読み書きできるようになるには、やはり母語をしっかり身につける必要があると思っています。
遊哉
2006/04/22 22:50
仕事の世界ではあくまで語学はツールです。幼児英語教室で犬をdogと覚えても見ればわかることなので、ツールとしてのコミュニケーション能力には何の寄与もしないこととなります。従って私も早期の英語教育には反対です。一番恐ろしいのはなんとなくわかるだけ、とか、通じなくてもヘーキ!という神経を持つようになることで、その弊害の方がはるかに大きい。Topicsに対して知りたいことを持ち、わからないことをわからないと言える時期になるまで、異文化の咀嚼の段階には達することはできないでしょう。実際に日本語の文章の論旨が通らない人が論旨の通る英語の文章を作れることは絶対にないのですし。(^_^;)
animoy2
2006/04/22 23:08
☆ patyokoさん、我々日本人は、ごく自然に日本語を話せるようになります。やはり環境でしょうね。ところが、昔は文盲という言葉がありました。今の日本では考えられませんが、文字を読めず、結果として文字(文章)を書けないことです。言葉を読んだり書いたりするには教育が必要なんですね。
 外国語もおしゃべりできるようになるのは、環境が整えば比較的簡単なのかもしれません。でも、丁丁発止の議論をしたり、仕事をするのは難しそうです。ましてや、外国語の文章を読み書きできるようになるのは、それ以上に難しいでしょうね。
 言葉というのは普段使っていないと、使えなくなるというのは確かなようですね。60年ぶりくらいに、ウクライナから帰国した元日本兵は、日本語を忘れているようでした。帰国した拉致被害者も、やはりだいぶ忘れていたのではないでしょうか。ただ、夫婦がともに日本人の場合は、まだ幾分かは救われたでしょうね。
(つづく)
遊哉
2006/04/22 23:28
(つづき)
 手段としての語学は、確かに環境がものをいうでしょうし、その人がどれだけその言葉を必要としているかが、大きいような気がします。
 同時通訳というのがありますが、あれは単に言葉の置き換えではなさそうです。一つの言葉の考え方を別の言葉の考え方にする、というようなこともあるようです。だから、外国語を学ぶには母語(自国語)でしっかり考えたりそれを表現できる力がついていないと、モノにはできないような気がします。
 国際人というのは単に英語とかその他の外国語を話せるだけでなく、自国のことをよく知っていて、それを相手にしっかりと伝えることのできる人だ、ということを聞いたことがあります。日本語、日本の文化、歴史等々をしっかり教えて身につけさせる必要があるでしょうね。愛国心なんてものを法律に盛り込むよりも、日本の美しい言葉や文化等を教えた方がいいような気もします。
 そうですね、英語よりも、人としての優しさや豊かな情緒などを身につけさせる必要があるでしょうね。子どものいろいろな事件は、その辺の不足がもたらしたものかもしれません。我々親もちゃんとしなきゃね^_^;。
遊哉
2006/04/22 23:31
☆ animoy2さんのおっしゃるとおりだと思います。
 だいぶ以前のことですが、英語を日本語に翻訳する仕事をある翻訳会社に頼んだことがあります。予算もあまりなかったので、小さな会社に頼んだのですが、出てきた日本語はひどいものでした。日本語になっていないのです。何度も書き直しさせましたが、とうとうまともな日本語にはなりませんでした。
 日本語から英語も同じだと思います。翻訳というのは、単なる言葉の置き換えではないんですね。内容を汲み取って、別の言語でしっかり表現しなければならないんだと思います。(同時)通訳も同じでしょうね。母語(日本語)で自分の考えや思いを持ち、それをちゃんと表現できなければ、外国語を学んでもモノにはならないと思います。
 animoy2さんは実際に外国語を仕事で使っておられるようだから、ご意見、勉強になります。
遊哉
2006/04/23 00:06
こんばんは♪
私は受験英語で英語がキライになってしまったクチなのですが、以前企業で働いていたときに、留学生の方と一緒に仕事をする機会がありました。英語しか通じないので、必死に勉強しましたよ〜(笑)言葉というのはコミュニケーション手段なのだと痛感しました。相手と話したい、気持ちを通じさせたい、という思いがあれば覚えるもんですね。そして留学生の彼女と一ヶ月間仕事をして、気の合う人というのは国境に関係ないし、気の合わない人は同じ日本人でも合わないのだ、と気づきました。
でも英語、もう忘れちゃいました。。。(汗)言葉は使って鍛えていかないといけないのは、日本語でも外国語でも同じみたいですねぇ。
aopu
URL
2006/04/23 22:15
☆ aopuさん、英語に限らず外国語を身につけるには、必要性と不断の努力が必要なようですね。必要があって、外国語でのコミュニケーションを続けられる環境があれば、身につけるのも早そうです。そういえば、英語なら米国人や英国人などの英語を母語とする恋人を作れば一番いい、などといわれたことがありました(^.^)。
 バカ親父も、高校までは英語が好きで得意だったんですけどねえ、その後パッタリで、続けて勉強していればよかったと反省しています。気づくのが遅かった〜。
遊哉
2006/04/24 00:24

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