4月10日に「英語より国語力」という記事を書いたのだが、それに関連した面白いエッセイが、朝日新聞の「こころの風景」(4/18)という欄に載っていた。ミステリー作家の高嶋哲夫氏が「みんな、すごい」というタイトルで書いている。 少し長くなるが引用してみる。 <朝青龍、琴欧州、白鵬……外国人ながら、すごい。相撲はもちろん、彼らの流暢(りゅうちょう)な日本語のことだ。 卓球の愛ちゃん。あの達者な中国語を聞くと、卓球と同様にすごいと思う。そして、サッカーの中田のイタリア語。 みなさん、まだ十代、二十代だ。 彼らはみんな、幼少期から正式に外国語を習ったことはないはずだ。異国の地に一人身をおき、大きな目的を達するには、どうしても意思疎通が必要だったのだろう。 努力はしたに違いないが、一芸に秀でた者には、言葉は自然とついてくるのだ。 中央教育審議会は、小学5年生から週1時間、英語を導入すべきだとの報告書をまとめた。現在でも、全国の9割以上の小学校で英語に関係した授業が行われているという。 しかし、十分な知識もなく、自国の言葉で満足な意見も言えず、明確な自己を確立してもいない時期から、外国語を学んで、どれだけのメリットがあるのだろうか。 小学生時代は、まず人としての十分な基礎知識をつけることだ。語学は手段であって、目的ではない。 日本人が英語が苦手だというのは、習い始める時期よりも、学習方法であり、必要性の認識だ。 ワールドカップも近い。子供たちに、自分たちは国際人であるという意識を持たせることこそ必要だ。> ここに例に出された相撲取りたちは、たしかに上手に日本語を話す。それも、へたな日本の若者よりも、きちんとした綺麗な日本語である。 必要だったから努力もしたのだろうが、自国の言葉をしっかり身につけていたからこそ、そして一芸に秀でていたからこそ、日本語もしっかり身につけられたのではないだろうか。 それは、“日本語を話す”というよりも、自国の言葉で自分の考えや思いをしっかりと身につけていたからこそ、必要にかられて“日本語で話せる”ようになったということではないだろうか。 卓球の愛ちゃんの中国語や、サッカーの中田のイタリア語がどの程度のものかわからないが、テレビを見ていると現地のインタビューで、中国語やイタリア語で質問にしっかり答えているから、大したものなのだろう。 彼らも、一芸に秀でていて、それにいたるまでにしっかりとした考え方を日本語で身につけていたからこそ、また必要があったからこそ、外国語を身につけられたのではないだろうか。 日本での英語教育も、このあたりをしっかりと踏まえて、日本の文化をしっかりと身につける(あるいは、一芸に秀でる)と同時に、日本語(母語)で自分の考えや思いをまとめられるようにすることが、まず必要じゃないだろうか。 そのうえで、その考えや思いを英語で表現する、という必要性を認識してから身につけるようにすればいいのではないだろうか。また、そう考えれば、英語に限らずにその他の外国を学ぶのもいいのではないだろうか。 そして外国語を学習するにあたっては、日本人に合った方法を確立する必要もあるような気がするのである。それと、しっかりとした教師の養成も必要じゃないだろうかねえ。 <後記>一芸に秀でてもいないし、努力することも嫌いなバカ親父にとっては、英語(外国語)の習得はとてもじゃないけど、成し遂げられそうもない、と改めて思い知るようなことになってしまったのでした。タハッー! それにしても、彼らは「みんな、すごい!」。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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そうか 道理で 私 外国語 だめか よく分かった なんにも 秀でてない 典型だものな |
seizi05 2006/04/22 09:52 |
☆ エッ、seiziさん、バカ親父と同じ? アハハ、今からでも遅くはありませんよ。お互い頑張ろう! |
遊哉 2006/04/22 10:59 |
ほんとに凄いですよね〜! |
kakomama 2006/04/22 14:03 |
☆ kakomamaさん、愛ちゃんや中田選手は、必要に迫られて必死に(?)覚えたんでしょうね。あるいは、いい友達ができて、自然に覚えちゃったんでしょうか。どちらにしろ、頭が柔らかいからか、比較的短時間に覚えたようですね。必要に迫られる、というのが意外に大切なような気がします。 |
遊哉 2006/04/22 19:36 |
「英語より国語力」は,どうやら評論家の合言葉になってますね。 |
QQ33 2006/04/22 19:47 |
こんにちはm(__)m |
patyoko 2006/04/22 20:05 |
つづき〜日本語を思って頭の中で英語に変換していては、いつまで経ってもしゃべることは出来ないでしょう。英単語をたくさん覚えて普段から使うようにしていれば、少しはわかりやすくなるかもしれませんが、益々日本語は怪しくなりますよね〜 |
patyoko 2006/04/22 20:05 |
☆ QQ33さん、日本政府は、どうも我が国を米国の属国にしようとしているらしい。というのは冗談ですが、冗談ともいえないところがありますね(^.^)。 |
遊哉 2006/04/22 22:50 |
仕事の世界ではあくまで語学はツールです。幼児英語教室で犬をdogと覚えても見ればわかることなので、ツールとしてのコミュニケーション能力には何の寄与もしないこととなります。従って私も早期の英語教育には反対です。一番恐ろしいのはなんとなくわかるだけ、とか、通じなくてもヘーキ!という神経を持つようになることで、その弊害の方がはるかに大きい。Topicsに対して知りたいことを持ち、わからないことをわからないと言える時期になるまで、異文化の咀嚼の段階には達することはできないでしょう。実際に日本語の文章の論旨が通らない人が論旨の通る英語の文章を作れることは絶対にないのですし。(^_^;) |
animoy2 2006/04/22 23:08 |
☆ patyokoさん、我々日本人は、ごく自然に日本語を話せるようになります。やはり環境でしょうね。ところが、昔は文盲という言葉がありました。今の日本では考えられませんが、文字を読めず、結果として文字(文章)を書けないことです。言葉を読んだり書いたりするには教育が必要なんですね。 |
遊哉 2006/04/22 23:28 |
(つづき) |
遊哉 2006/04/22 23:31 |
☆ animoy2さんのおっしゃるとおりだと思います。 |
遊哉 2006/04/23 00:06 |
こんばんは♪ |
aopu URL 2006/04/23 22:15 |
☆ aopuさん、英語に限らず外国語を身につけるには、必要性と不断の努力が必要なようですね。必要があって、外国語でのコミュニケーションを続けられる環境があれば、身につけるのも早そうです。そういえば、英語なら米国人や英国人などの英語を母語とする恋人を作れば一番いい、などといわれたことがありました(^.^)。 |
遊哉 2006/04/24 00:24 |
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