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23日に“「もう(っ)……」はこわい!”を書いたが、その記事の基になった鴻巣友季子さんの本『孕(はら)むことば』を紹介してみる。 と思ったのはいいのだが、困った。引用し紹介したいところが、ありすぎるのである。仕方がない。目についたところから、じわじわと攻めていくことにした。 まず、本の帯の惹句にはこうある。 <「嵐が丘」の新訳を生み出し、妊娠出産、そして子育て。驚きと発見に満ちた三年間を生き生きと描く見事なエッセイ集> また、帯には小川洋子さんの推薦文も載っている。 <鴻巣さんの巣は、 ことばの胚を 孵化させる秘密の巣。 翻訳家こそが、 ことばの真の精霊だ、 と嫉妬してしまう本。> さあて、どんな本かおわかりになっただろうか。わかるわけないよね(^^ゞ。 それでは、目次を紹介してみる。次のとおりである。 @ 『嵐が丘』と結婚/「ヒンカイ」って何?/靴下問題/「い」か「き」か?/正しい誤訳/日々の幸せ/子連れが歩けば見合いにあたる/カンボという試練!?/「もうっ」という必要不可欠な語彙/母と子は敵同士/赤ずきんちゃん、気をつけて/翻訳、そのカレイなる暗喩/空耳力をつける/恋する言いまちがい/ちがくって!/わたしの中の悪いわたし A かぶさんが来る/闇をまぎらす ―― イェーウトゥゴ/痛みを分かつ ―― クーヴァード/結婚しない男とチェーホフの関係/家族マイナス1の風景/いけない国のアリス/女の視線、男の目線/体が語るもの、語らないもの/おばさんセンサー/全国お国訛り仮面/かんかんころむしの居所 B ふたつの孤独/アンドちゃん、あらわる。/考える指/四十の手習い/ことばと音楽、なまりと「私」/娘の初恋/余計なこと/文字の贈り物/孕むことば あとがき それぞれのエッセイに、ちょっとわけがわからない不思議なタイトルがつけられているのもある。内容はどんなことだろう? と思うでしょ?(^^ゞ。 鴻巣さんは40歳を目前に大きな仕事、「嵐が丘」の新訳に取り掛かった。そのときは、まだ結婚もしていなかったのだが、年齢が年齢だから、場合によっては将来子どもを産むことも諦めようとまで覚悟して、その仕事に入った。 ところが、その後に、ひょこり結婚した。そして、子どもを産むかどうかいろいろと葛藤があったのだが、40歳ではじめての子どもを産んだのである。 この本は『ウフ.』という雑誌に、鴻巣さんの娘さんが1歳になった直後から連載を開始したものだそうだが、執筆の誘いは妊娠中からあったという。 そんな話が最後の「孕むことば」に載っているのだが、そのあたりを紹介してみる。 編集者と話をしているうちに、鴻巣さんの口から思わず出てしまった提案があった。 <「タイトルは『孕むことば』というのはどうですか」 ということばが零(こぼ)れでた。まだ書く内容もよく決まっていないのに、タイトルだけはもうこれしかないという気がした。 「それで行きましょう! 縦軸が子育て、横軸が文学、斜線に体のことなどちょっと女子トーク、という感じでお願いします」 かくしてタイトルだけは決まった秋の昼下がりだった。> 続けて、こんなことが書かれている。 <実際、わたしのお腹から出てきた小さな生きものは、おかしなことばを次々と創りだす閃きの宝庫、ことばの宝島だった。翻訳のヒントまでもが大判小判のごとくざくざく埋まっていた。娘が2歳のころ、「何々したかったのに」という言い回しを多用した時期がある。なんだか、should have (been) を使った仮定法の英文和訳みたいだなあ、と聞くたびに思ったものだ。たとえば、彼女は目の前に滑り台があると、「滑り台で遊びたい!」ではなく、なぜか「滑り台で遊びたかったのに……」と小さな声で言う。「どうせ遊んではだめと言われるでしょうけれど」という if の条件節が省かれた文型(?)なのだな、と母は考えたりする。ところが、この言い回しは意外な効果を発揮した。仮定法過去の表現が幼児の口から出ると、妙にいたいけで切ない余韻をのこし、ついつい「なら、ちょっとだけ遊んでいいよ」と言ってしまうのだ! ひょっとしてまんまと娘の術策にはまっていたのか? 敵もさる者である。 おなじころ、だれだれ「と」と言うべきときに、だれだれ「で」と言うこともあった。 「きょうはママでおふろにはいる」といった使い方をする。最初は間違いに笑ったものだが、始終聞いているうちに、この「原文」のニュアンスがなんとなくわかってきた。娘の言う「で」は、「一緒に」という意味の「と」の単なる代用ではないのだ。もうちょっと広く、「ママの世話で」とか「ママについて」といった意味も含む「で」だ。要するに、英語の with とおなじ働きと考えると、非常にしっくりくる。しっくりきたついでに、わたしは with という語の概念も改めて理解するのだった。子どもと付き合うことは、大変な文章修行にもなっている。> こうして、妊娠・出産、そして子育てをしつつ、それらを話のきっかけとして書かれたエッセイ集が本書なのである。 仕事と子どもについての、面白い文章もある。 <先日、書店でのトークショーのための打ち合わせをしていたら、「鴻巣さん、子どもと自分の本とどっちが大事って訊かれたら、なんと答える?」と書店員さんに質問された。どちらという答え方はできない。子どもはもちろんいちばん大事なものであり、わたしの生きる糧だ。そして文学の翻訳はわたしの命そのものだ。と言うと、仕事のほうが大事という意味に思われるかもしれないが、そうではない。大切なわが子といえども、ひとりの他人には違いない。他人を指して「自分の命」とか「自分そのもの」という考え方はわたしにはできない。 以前、娘と過ごす日々を「神様にことばの建築現場を見せてもらっているようだ」と喩えたことがある。ていねいに足場を建て、ひとつひとつ木を組み合わせて、ゆっくりと出来あがっていく美しい大伽藍の建築現場には、しばしば畏怖の念すらおぼえる。 わたしにとって子どもを孕むことは、ことばを孕むことだった。> さらに続けていって、最後には娘さんとの関係を端的に表している文章が出てくる。これが、なかなかいいのだ。 <しかも娘はことばの新世界だけでなく、いろいろなものを再びわたしの前にひらいてくれた。大事件のひとつといえば、娘がピアノを習いだしたのを機に、11歳でやめてしまったピアノをまた弾きだしたこと。33年ぶりに弾く「アラベスク」は懐かしく、けれど新しい輝きをまとっている。4歳を迎えた娘はしかしわたしの何倍もの吸収力で、「ラヴ・ミー・テンダー」や「10人のインディアン」を弾く。まだまだふたりとも目くそ鼻くそのレベルである。 目くそ鼻くそ笑って笑われて、わたしと娘は他人として生きていく。> さあて、この本の内容がどんなものか、だいたいわかってもらえたんじゃないかと思う。 最後に、“あとがき ― 「のの」とはなにか?”から、著者から見たこの本についての感想というか感慨を紹介して終わりとする。 <「孕むことば」の連載を始めた頃は、子育ての雑記にさりげなく翻訳のこぼれ話や本の紹介などを盛りこむ形で、「文学と子育てをクロスさせた」エッセイを書くつもりでいた。ところが、書き継ぐうちに、子どものことばは私の内面を照らす灯台の光のようになり、テーマは自然と深くなって、人の生と死と言語の根っこをめざして降りていった。結局は、自分がなぜ書くのかについて書いたのだという気がする。> そんな本なのである。 鴻巣さんは、子ども(娘)を育てていくなかで出会った言葉、会話、出来事などから、自分自身を掘り下げつつ、言葉や文学、人間、人生、親子関係、母娘関係、男と女の関係等々に対する考察に踏み入っていくのである。 一見さりげなく書かれていてユーモアもあるから読みやすいのだが、時々というより頻繁に横道に逸れていく。ところが、それは見せかけで、実はテーマの核心に導く巧妙な伏線だったりするのだ。 最後にオチ(結論というかまとめ)に導くのだが、これもさりげなく書かれているものの、最後にう〜んと唸らされたり、アハハと笑わせたり、心にグサリときたりする。 それぞれのエッセイのテーマは、なかなかにシリアスで重いものがあるのである。 <今日のお薦め本> 『孕むことば』 鴻巣友季子 著、マガジンハウス 刊、1575円(税込)、08.05.22 第一刷発行 <後記>鴻巣さんは、とても真面目な方じゃないかと思います。取り上げているテーマでも、考え方でも、それがわかります。 同時に、ユーモアや諧謔があって笑わせてもくれます。翻訳家という言葉を駆使する仕事だから、言葉に対する繊細さ、思い入れ、あるいは自分の中に言葉を取り込もうとする貪欲さのようなものも感じます。 次のようなことも書かれています。 <翻訳者は多かれ少なかれ、書きことばにしろ、話しことばにしろ、実体験はないくせに語句には通じているという、いわば無意識の“耳年増”“目年増”の状態にあるようだ。しかし、法律用語なり、医学用語なり、専門用語というものは、まじめに文献を読むとか、その方面の人に話を聞くとかすれば、少しは蓄えられるけれど、仕込もうと思って仕込めないのが“現場のことば”だ。> この本は、鴻巣さんが妊娠・出産・育児の現場で仕込んだ“現場のことば”に触発されて書いたエッセイ集、と言えるかもしれません。 娘たちを育てていたころに、娘たちが発した言葉をしっかり書きとめておけばよかった、と今になって後悔しています。 <今日のSORA> 今日というか昨日(27日)の夕方の散歩は、久しぶりにカミさんと一緒に行きました。もちろんSORAを連れて。 いつもと違う公園に行くと、カミさんがSORAを滑り台に乗せました。SORAはおっかなびっくりで滑り降りました。傾いたりボケたりした写真ですが、ご覧ください。 孕むことば
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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本読む前に題名の字が読めないです(><) |
小桜小梅 2008/06/29 06:57 |
おっはよ!私にしては珍しく一気に読んじゃった。 |
さよちん 2008/06/29 07:37 |
だから鴻巣さんの言わんとしてることで、「わたしにとって子どもを孕むことは、ことばを孕むことだった」とか「子どものことばは私の内面を照らす灯台の光のようになり」とか |
さよちん2 2008/06/29 07:39 |
☆ 小桜小梅さん、「孕(はら)む」でした。本文の最初の字に読み仮名を入れときました(^^ゞ。いずれにしろ、長すぎて読む気がしなかったでしょ(^.^)。 |
遊哉 2008/06/29 09:21 |
☆ さよちん、老眼鏡かけて一気に読んでくれましたか。珍しいねえ(~_~)。なかなか面白かったでしょ。 |
遊哉 2008/06/29 10:16 |
(つづき) |
遊哉 2008/06/29 10:17 |
古い大学ノート ---発言集 近しい連中の 片言言葉書いたの ありますよ ただただ お笑いの 内容ですけどね |
seizi05 2008/06/29 12:03 |
☆ さすがー、seiziさん、いいですねえ。書いとかないと、思い出そうとしても思い出せません。読み返したら、楽しいでしょうねえ(^^♪。 |
遊哉 2008/06/29 16:40 |
楽しく読ませていただきました、。 |
トド 2008/06/30 08:49 |
☆ トドさん、バカ親父は逆に、男の子を育てていないので、男の子の成長の楽しさを知りません。残念(^^ゞ。 |
遊哉 2008/06/30 09:48 |
「縦軸が子育て、横軸が文学、斜線に体のことなどちょっと女子トーク、という感じでお願いします」・・キャー、編集者と作家の会話って感じ!で、「わかりました」とホイホイ書けちゃう作者、ってやっぱり才能あるんですね〜。私も「○○語録」ってとってあるんですよ。3,4個しかないけど。。しかもこんな風に解析も出来ないで笑っておしまいだったし。。。仮定法過去に結びつけるなんてさすがに翻訳家だわ〜。娘が孕んだ暁にはこの本プレゼントしようかしら・・子育てが楽しくなるかも。 |
リサ 2008/06/30 23:15 |
☆ リサさん、この編集者の言い方というか、たとえ方が絶妙ですよね。作家だったら、「うん面白そう、よ〜しやってやるか」という気持ちになりそうです。もちろん、才能があればこそでしょうが(~_~)。 |
遊哉 2008/07/01 00:48 |
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