白船来航
タイトルの“白船来航”って何? 「黒船」を「白船」と打ちまちがえたんじゃないの? なんて思われたかもしれない。バカ親父も、最初はそれ何? と思ったのである。
時は1908(明治41)年10月、ペリー提督の黒船来航から半世紀後のことである。横浜港に黒船ならぬ“白船(Great White Fleet)”が来航したという。
これは、当時のセオドア・ルーズベルト大統領が世界一周に派遣した16隻の米国大西洋艦隊で、黒い船体を白く塗り替えたものであった。演習航海の途中で横浜に来航したのである。
当時、日露戦争に勝利した日本は、満州での利権や太平洋での影響力などをめぐり米国との対立を深めていた。また、米国内では西海岸での日本人移民の急増が排日機運を高めていた時代である。白船の派遣は日本に米国の海軍力を誇示し、圧力をかけることも目的の一つだったという。
欧米メディアでは日米開戦か、などと報じられていたというが、その予想とは反対に日本政府や横浜、東京の人々は白船を大歓迎で迎えた。幕末のペリー来航に続く横浜が舞台となった歴史的出来事となったのである。
横浜到着は10月18日。横浜港内には白船のほか、日本や外国の軍艦も加わり、40隻以上が停泊した。港周辺は市民で大混雑し、艦隊を一目見ようと、街路樹にも大勢の人がよじ登り、東京朝日新聞はその様子を「樹木は人間の数珠なり」と紹介したという。
日本の歓迎ぶりに驚いた米国の新聞には、「最も熱誠且(か)つ盛大なるもの」「日米開戦論の如(ごと)き愚論は、今後全く其(その)声を収むべし」などと紹介されたということである。
この白船来航について、横浜開港資料館でその時の人々の様子を紹介する企画展「白船来航-米国大西洋艦隊にわく100年前の横浜・東京」が開催されている。
同展では白船来航に沸いた横浜、東京の様子を、白船来航関係資料を集めたレヴィーン・コレクションを中心に構成し、写真や当時の新聞、記念絵葉書、みやげものなど約200点を展示している(10月26日まで)。
その時の記録によると、来日した船員は約1万3千人。約2400発の花火が打ち上げられ、市内で歓迎会や晩餐会が開かれた。町中が提灯で飾られ、船舶はサーチライトの光を放ったという。
また、1週間の滞在中、日本側の警備、管理は厳重だった。当時、警察が10月20日付でまとめた「米国艦隊員入京に関する事故統計」には、帰艦時間を守らず注意58人、吉原に入り込んだ者294人などとあるということだ。
日本の白船への熱烈歓迎によって米世論が好転し、両国の緊張関係が薄まり、親善が図られたのである。
黒船来航以来の日米の関係は有為転変の歴史とも言えるが、こんな歴史もあったのである。
どうも日本は、昔から米国に対して熱烈歓迎が好きなようであるが、それだけではなかったし、これからもどうなるかわからない。
でも、国と国の関係も基本となるのは人と人の関係だろう。日本は米国の属国のような気がしないでもないが、国同士の関係は別として、米国人とのつき合いでは熱烈歓迎がいいのかもしれない。(もちろん、他の国の人とも同じであるが)
なんていうのは、甘すぎるだろうか。
<後記>レヴィーン・コレクションのレヴィーンさんという方は歴史学者かと思ったら、違うそうです。
現在ニュー・ジャージーに在住のスティーヴン・J・レヴィーン(69)という歯科医で、1965年から2年間米国海軍横須賀基地に勤務し、夫人の道子さんは横浜市出身だという。日本勤務時代に白船に興味をもち、その後15年余をかけて写真や絵はがき、文書、記念品などの関係資料を集めたそうです。
来年の横浜港の「開港150周年」を前に、横浜の歴史を振り返ったり、未来を展望する良い機会だと思いますが、このような“白船来航”のような歴史に埋もれていたようなことを学ぶのは、日本の近代史を知る上でも興味深いと思います。
関心があって行ける方は是非、この白船来航展をご覧ください。
<今日のSORA>
今日はちょっと工作をしたいことがあって、小さくて背の低い折りたたみの椅子を出してありました。テレビを観ていて、ふと気がつくとそこにSORAが寝ていました。
よくぞこんな狭いところにいるものだと思いましたが、今日も涼しくて床が冷えていたのかもしれません(^^ゞ。
時は1908(明治41)年10月、ペリー提督の黒船来航から半世紀後のことである。横浜港に黒船ならぬ“白船(Great White Fleet)”が来航したという。
これは、当時のセオドア・ルーズベルト大統領が世界一周に派遣した16隻の米国大西洋艦隊で、黒い船体を白く塗り替えたものであった。演習航海の途中で横浜に来航したのである。
当時、日露戦争に勝利した日本は、満州での利権や太平洋での影響力などをめぐり米国との対立を深めていた。また、米国内では西海岸での日本人移民の急増が排日機運を高めていた時代である。白船の派遣は日本に米国の海軍力を誇示し、圧力をかけることも目的の一つだったという。
欧米メディアでは日米開戦か、などと報じられていたというが、その予想とは反対に日本政府や横浜、東京の人々は白船を大歓迎で迎えた。幕末のペリー来航に続く横浜が舞台となった歴史的出来事となったのである。
横浜到着は10月18日。横浜港内には白船のほか、日本や外国の軍艦も加わり、40隻以上が停泊した。港周辺は市民で大混雑し、艦隊を一目見ようと、街路樹にも大勢の人がよじ登り、東京朝日新聞はその様子を「樹木は人間の数珠なり」と紹介したという。
日本の歓迎ぶりに驚いた米国の新聞には、「最も熱誠且(か)つ盛大なるもの」「日米開戦論の如(ごと)き愚論は、今後全く其(その)声を収むべし」などと紹介されたということである。
この白船来航について、横浜開港資料館でその時の人々の様子を紹介する企画展「白船来航-米国大西洋艦隊にわく100年前の横浜・東京」が開催されている。
同展では白船来航に沸いた横浜、東京の様子を、白船来航関係資料を集めたレヴィーン・コレクションを中心に構成し、写真や当時の新聞、記念絵葉書、みやげものなど約200点を展示している(10月26日まで)。
その時の記録によると、来日した船員は約1万3千人。約2400発の花火が打ち上げられ、市内で歓迎会や晩餐会が開かれた。町中が提灯で飾られ、船舶はサーチライトの光を放ったという。
また、1週間の滞在中、日本側の警備、管理は厳重だった。当時、警察が10月20日付でまとめた「米国艦隊員入京に関する事故統計」には、帰艦時間を守らず注意58人、吉原に入り込んだ者294人などとあるということだ。
日本の白船への熱烈歓迎によって米世論が好転し、両国の緊張関係が薄まり、親善が図られたのである。
黒船来航以来の日米の関係は有為転変の歴史とも言えるが、こんな歴史もあったのである。
どうも日本は、昔から米国に対して熱烈歓迎が好きなようであるが、それだけではなかったし、これからもどうなるかわからない。
でも、国と国の関係も基本となるのは人と人の関係だろう。日本は米国の属国のような気がしないでもないが、国同士の関係は別として、米国人とのつき合いでは熱烈歓迎がいいのかもしれない。(もちろん、他の国の人とも同じであるが)
なんていうのは、甘すぎるだろうか。
<後記>レヴィーン・コレクションのレヴィーンさんという方は歴史学者かと思ったら、違うそうです。
現在ニュー・ジャージーに在住のスティーヴン・J・レヴィーン(69)という歯科医で、1965年から2年間米国海軍横須賀基地に勤務し、夫人の道子さんは横浜市出身だという。日本勤務時代に白船に興味をもち、その後15年余をかけて写真や絵はがき、文書、記念品などの関係資料を集めたそうです。
来年の横浜港の「開港150周年」を前に、横浜の歴史を振り返ったり、未来を展望する良い機会だと思いますが、このような“白船来航”のような歴史に埋もれていたようなことを学ぶのは、日本の近代史を知る上でも興味深いと思います。
関心があって行ける方は是非、この白船来航展をご覧ください。
<今日のSORA>
今日はちょっと工作をしたいことがあって、小さくて背の低い折りたたみの椅子を出してありました。テレビを観ていて、ふと気がつくとそこにSORAが寝ていました。
よくぞこんな狭いところにいるものだと思いましたが、今日も涼しくて床が冷えていたのかもしれません(^^ゞ。
この記事へのコメント
浦賀の町って名前だけ知ってましたが良く解らず地図で調べちゃいました・・・
そのお友達にとって私は黒船なのか?白船なのか?どっちなんでしょう(^0^)
SORAちゃん落ちそうで落ちないね!
床が寒すぎた?
私は以前居た横浜が気になる、約30年いたから、。
横浜市のPCでのモニター?してたよ。
人同士も、国同士も、大変だね、。でも基本的には異なった文化は面白いよ。お互いの尊重が必要だけどね、。
その友達と突然に出会ったのなら黒船、紹介で会ったのなら白船というところでしょうか(^^ゞ。
SORAは上手く丸まってるでしょう。寝ぼけたら落っこちそうです(~_~)。
横浜に30年いらしたんですね。それなら気になりますよね。来年は開港150周年ですが、知らない歴史がいろいろあるようで面白いです。
外国の人とつき合うのは難しいところがいろいろありますが、異なった文化を知るのは面白いですね。国が違っても、人間同士としてお互いをよく知ることができれば、戦争も起こらないんじゃないかと思います。
SORAちゃんたら!ずいぶん狭くてアンバランスなところに寝て…かわいい。^m^
SORAは暗くて狭いところが好きだけど、こんなところに寝るとは思ってもいませんでした(^^ゞ。
地元ならでは目を向けられることもあるし…。
白船かぁ…見てみたかったですね。
吉原に入り込んだのね(@_@。
資料を収集していた人がいたからこそ、こんな企画展もできるんでしょう。新聞などがない時代のことはほとんどがわからないことばかりじゃないでしょうか。だから面白いともいえますが(~_~)。
当時の人たちがどんなふうに、どんな思いで白船を迎えたのか、見てみたかったし知りたいですね。
吉原に行ったようです。バカ親父も一度くらいは行ってみたかった~(~_~)。