ひとり遊び

画像 ちょっと前に記事にした本『どうしても描きたかった 60年前のえにっき』で、“子供はひとりのときものを考えるし、ひとりのとき成長する”という考え方があることを紹介した。

 子どもは仲間といっしょの遊びで生きる逞しさを身につけたり、社会性や知恵をつけるものではあるが、ひとり遊びすることもとても大切なことだと思う。
 それは、自分を見つめ、考えることだから、心の成長や考える力をつけるには、なくてはならないことなのかもしれない。
 では、この“ひとり遊び”は大人には必要なことなんだろうか?。

 それはさておき、ちょっと前だが、良寛の次のような和歌を知った。

  世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我は勝(まさ)れる

 この歌の意味は、「世間的なつき合いをしないというわけではないが、ひとりで読書をしたり歌をつくったりしているほうが、自分自身にとってはより好ましいことである」というようなことらしい。
 これは、「世俗の名声などとは無縁に、自らの偽りのない、かつ飾り気のない人生を楽しみたい」という想いなのかもしれない。
 いずれにしろ、良寛は“ひとり遊び”の名人・達人だったようである。
 良寛といえば、「子どもと遊ぶのが好きなお坊さんで俳句や和歌をつくり、時には絵を描いた人」くらいの認識しかなかったから、“ひとり遊び”というのにちょっと意外さを感じたのである。

 そんな時、3日ほど前だったが新聞の本の広告を見ていたら、雑誌『サライ』の2月5日号で「良寛を旅する」という特集を組んでいるという。
 読みたくなった。というわけで買って読んでみたのである。

 特集は、次の2部に分かれていた。

第1部 清々として天真爛漫
     良寛に倣う『天上大風』の生き方
第2部 新潟、高野、吉野…生地から伝説の旅路まで
     良寛「諸国行脚」を旅する

 その第2部の「新潟◎分水」のところに、この歌が出てきた。
 良寛は宝暦8(1758)年、出雲崎の名門・橘屋(たちばなや)の跡取りとして生まれ、安永4(1775)年に弟に家督を譲り、18歳で曹洞(そうとう)宗の光照寺で剃髪(ていはつ)したという。
 安永8(1779)年には、玉島(たましま・倉敷)の円通寺住職・国仙(こくせん)和尚に出会い得度(とくど)し、禅僧として修行に励んだり諸国を行脚するのである。
 寛政9(1797)年には、新潟・分水(分水)の田園地帯に聳(そび)える国上山(くがみやま・現燕市)の中腹にある、国上寺(こくじょうじ)境内の五合庵(ごごうあん)に仮住まいする。
 一時、ここを離れるが文化2(1805)年に再住し、以後12年間ほど托鉢で暮らすのである。
 最初に五合庵に住むことになったのは、良寛が40歳ころである。以来、彼がもっとも長く住んだ寓居となり、のべ18年間に及んだという。
 この地で、良寛は清貧の日々を送り、書、漢詩、和歌の名作を生み出していくのである。

 ここでの良寛について、『サライ』では次のようなことが書かれていた。「良寛はひとり遊びの名人」という小見出しがつけられている。

 五合庵の良寛を慕って訪ねる人は多く、食料や金銭をお布施として渡す見返りに、書を求められることもあったという。
 そんなことについて、新潟良寛会会長・柳本雄司さんが良寛の心中を推し量っている部分もあり、面白い。引用してみる。

<「<雨の降る日はあはれなり良寛坊>、という良寛の句があります。雨の日は外に出かけられないので、庵(いおり)にいるしかない。すると人が書を求めにやって来て、断るつもりでこの句を書いて渡したという逸話はユーモアがありますね」>

 さらに続く。

<また、雪に閉じ込められた五合庵での孤独を詠んだ歌もある。良寛は、孤独と向き合い、楽しむことさえできたのである。
 「<世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我は勝れる>、という歌があります。友人づきあいをしないわけではないけれど、ひとりで読書をし、気ままに筆をとるほうが好きだ、という意味です。良寛さんはひとり遊びの名人だったのですね」
 文人としての良寛の名声は徐々に広まり、長岡藩主・牧野忠精(ただきよ)は、長岡に寺を用意するから、住持に迎えたい、と自ら五合庵を訪ねた。しかし、良寛はその申し出を拒否する。
 「そのときに詠んだ句が、<焚くほどは風がもて来る落ち葉かな>。煮炊きをするほどの落葉なら、風が自然に持ってきてくれる、自分はそれ以上求めない、そんな意味です。権力に近づくことを避ける姿勢がうかがえます」
 60歳近くなった良寛は、体力の衰えを感じ、国上山の中腹にある五合庵から、麓の乙子(おとご)神社の庵に移る。ここは里に近いため、子供たちがよく遊びにきたという。
 乙子神社の境内に立つと、笑顔で子供たちと鞠(まり)をついて遊ぶ良寛の姿が目に浮かぶようだ。>

 良寛は清貧の中で、孤独としっかりと向き合いながらも、創作の日々を過ごし自分を高めていったようである。
 それは“ひとり遊び”と言いながらも厳しいものがあっただろうが、その厳しさも楽しんでいたような気がする。孤独の中に、自由を見出していたのだろうか。

 バカ親父も“ひとり遊び”が好きなんだけどねえ。良寛さんとはエライ違いである。厳しさがないし、自由でもないし、孤独でもないし、創作もしてない(~_~)。


<後記>良寛について興味のある方は、この『サライ』の特集でとてもよくまとめられているので、糸口として読まれるといいと思います。
 最初に、小沢昭一(俳優)、矢萩春恵(書家)、長谷川洋三(早稲田大学名誉教授)の鼎談が載っていますが、小沢昭一さんは、なんと良寛の遠縁にあたるそうです。それぞれの視点から良寛の魅力を語っていて、面白いです。

 団塊世代は退職をした人もいるし、これから迎える人もいるでしょう。退職後は、再就職したりボランティアなどで社会に貢献したり、社会とのつながりを維持することも必要かもしれませんが、“ひとり遊び”ということも大切なような気がします。
 子どもが成長していく時と同じように、仲間との遊びと同時に“ひとり遊び”も必要なんじゃないでしょうか……もう一度成長するために(^^ゞ。

 今日は一日雨でした。乾燥していたから、お湿りとなってよかったですが、肌寒く感じました。
 これから明日にかけては大雨になるらしい。この季節としては珍しいことです。みなさんも、充分お気をつけください。
 明日の夕方にチビりん一家が遊びに来るという連絡が入りました。楽しみです(^^♪。


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この記事へのコメント

2009年01月31日 00:43
ちょっと、メモを取らせて頂きます。。。
>世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我は勝(まさ)れる
<雨の降る日はあはれなり良寛坊>
<焚くほどは風がもて来る落ち葉かな>

真ん中のだけは聞き覚えがあるような…
遊哉さんのおっしゃる通り、「孤独の中に、自由を見出して」いたのでしょうね。清貧の厳しさの中での遊びですね。
明日はチビりんちゃん、楽しみですね♪
2009年01月31日 10:06
大人の一人遊び
成長させるとは思わないけど
年取って出来ない人ほどあわれな気もします
これからそんな人がとっても増えそうですね
私も時々無理に人に付き合います
笑っていますけど本音は嫌々なんです
面倒な事柄ばかりで・・・あちら立てればこちらが
あ~~めんどくさ~~~
遊哉
2009年01月31日 10:25
☆ soraさん、良寛さんという方、なかなか奥の深い方のようです。今までほとんど知らなくて、今回は“ひとり遊び”ということだけに焦点を当ててみました。もし興味があるようなら、とりあえずこの『サライ』を読んでみてください。今なら本屋にあると思います。
 良寛といえば、托鉢に出ながら日暮れまで子どもたちと遊んでしまったなどという逸話で有名ですが、良寛さんとは一緒にいるだけで安心を感じて、やがて離れられなくなるという方だったようです。これは“無為の功徳による「同事業」”というようですが、「孤独の中に自由を見出す」ということにつながるのかもしれません。良寛は面白い人です(^^♪。
 チビりんがより生意気になっているかもしれませんが、それも楽しみです(~_~)。
あど
2009年01月31日 10:30
【小沢昭一さんは、なんと良寛の遠縁にあたるそうです】←妙に納得。積年の疑問が氷解した気分です。
遊哉
2009年01月31日 10:44
☆ 小桜小梅さん、大人のひとり遊びによる成長は、あくまで結果として人として成長するということだと思います。何かのための“ひとり遊び”でも良いと思いますが、それがあまり表に出るとちょっとイヤラシイ(^^ゞ。
 年取ってひとり遊びができないと、たしかに哀れかもしれませんね。ひとり遊びを楽しめる人は、生きること自体も楽しめる人かもしれません。
 バカ親父も人づき合いは苦手で面倒だと思ってますが、まったくなくなってしまうと、人としてはちょっとおかしくなりそうです。前々回の記事に書いたオノ・ヨーコさんの“嫌悪という感情は愛と同じくらいの強さがあるから、愛に変えようと考えた”という“ラブ&ピース”の考え方になれるといいですね。難しそうだけど、良寛の生き方もそんな感じだったようです(^^ゞ。
遊哉
2009年01月31日 10:49
☆ あど さん、そうなんですよね。妙に納得できますよね。小沢昭一さんのあの飄々とした感じが、良寛に通じるような気がします(^^♪。
2009年01月31日 11:28
結構 私 一人遊び 得意です 
2009年01月31日 12:58
遊ぶなら複数であろうと一人であろうと 得意です。
遊哉
2009年01月31日 13:39
☆ seiziさん、はい、得意そうですね(^^♪。時には、モナリザ様といっしょに遊んでくださいね(^^ゞ。
遊哉
2009年01月31日 13:41
☆ uraraさんは、ひとり遊びと複数での遊びのバランスがよさそうですね。大いに遊んでくださいね。ブログ記事を楽しみにしてま~す(^^♪。
tare
2009年02月01日 11:03
「遊ぶ」って言葉がどうもまだピンときません。それだけ精神的に余裕のない生活なんでしょう。
遊哉
2009年02月01日 16:00
☆ tareさん、そうですね“精神的”に余裕のある生活というのが課題かもしれません。
 良寛のこの五合庵での清貧の生活は、外へ出ての托鉢と庵では書・俳句・和歌・絵などの勉強というか修行三昧だったようです。他人から見ると厳しい生活だったんでしょうが、自らは楽しむというか遊びにしていたんだと思います。“修行=遊び”にしていたというのは、やはり精神的余裕なのかもしれません。
キーブー
2009年02月02日 14:02
良寛さんは、子どもの頃に読んだ伝記本で、優しいタッチの挿絵と共に心に残ってます。
お金持ちのぼんぼんで、「昼あんどん」と呼ばれていた、という文章の挿絵に、解けかけの帯をひきずってる幼い良寛さんが描かれてました。
おじいさんになってから、楽しそうに子どもたちと毬
をつく絵も覚えています。懐かしいなあ(^_^)
遊哉
2009年02月02日 15:58
☆ キーブーさん、子どものころに良寛の伝記本を読んだことがあるんですね(^^♪。
 お金持ちのぼんぼんだったようですが、家督を弟に譲って18歳で坊さんになったようです。いろいろ考えることがあったんでしょうね。その後も修行に励んだようですが、60歳くらいから近隣の子どもたちとよく遊ぶようになったようです。何かを突き抜けたのかもしれません。
 なんだか、いいですよね(~_~)。

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