いったい、何が現れるのか?
「悩みのレッスン」という相談コーナーがあるのだが、その3人の回答者、あさのあつこ(作家)、明川哲也(劇作家)、森岡正博(哲学者)のそれぞれの悩みを、三つ巴のように他の回答者に回答してもらうというものだ。
回答はユーモアがあって面白いのだが、そのなかで、森岡さんがあさのさんに相談している内容と回答に興味をもった。
ちょっと紹介してみようと思う。
森岡さんの悩みは、“「カント」の名も忘れそう”と題されていて、次のようなものである。
最近物忘れがひどくなり、漢字が書けなくなったり、親しい人の名前も思い出せないことがある。このままだと、哲学者のデカルトやカントなどの著名人の名前も思い出せなくなり、大学の教壇に立ったまま絶句する日が来るかもしれない。
ついては、対策をしておきたいので、何か良いアドバイスをもらえないか。
というもので、あさのさんの回答は次のようである。
<森岡先生、だいじょうぶです。なにもご心配はいりません。失礼ながら先生の悩みは、杞憂(きゆう)にすぎないと思います。
これは、さる老人介護施設でケアマネージャーとして働く友人に聞いたのですが、人間、年を経れば経るほど、その人の本質が現れてくるのだそうです。長い年月の間に地表が削れ、大岩がのぞくように、です。つまり、優しい人はどこまでも優しく、意地悪い人はとことん意地悪くなるのです。精神の骨格が露(あらわ)になると言い換えられるのかもしれません。
だとしたら、先生が壇上で哲学者の名を忘れることなどありえないと思います。先生の奥深くまで染み込んでいる哲学の存在は、消そうとして消せるものではないのです。むしろ、日常の瑣末(さまつ)なことを次々と忘れることで、より鮮明に形をなしてくるのではないでしょうか。下草を刈り取ると巨木全体の姿がくっきりと際立つのと同じですよね。>
続けて、ここで問題なのは哲学者の名前より、ごく近しい人のことを失念することじゃないか、という。そして、アドバイスとしては、
<手帳に知人、友人、ご家族の名前を網羅し講義の前に目を通す習慣をつけるよう、お勧めします。>
と結んでいるのである。
なるほどねえ。人は年を経るほどその人の本質が現れる、言い換えると精神の骨格が露になる、らしい。
うちの親父は95歳で、まだらボケで、現在療養病床に入院している。うちにいるころから、夜中になにか喚いていることがあったが、この前病院に行ったら看護婦長が「昨日の朝、泣いてたんですよ。なにか昔のことでも思い出してたんでしょうかねえ」と言っていた。
親父の本質は何だろう。気が小さくて心配性だから、そんな面が現れているのかもしれない。
はてさて、バカ親父の本質は何なんだろう。このまま長生きしたら、どんな精神の骨格が露になるんだろうか。
変なモノが現れてこなきゃいいんだが……興味津々である。でも、それが現れるころはボケていて、それが何かをわからなくなっているかもしれない。
まあ、その方が幸せかもしれないねえ(^^ゞ。
<後記>どんな本質が現れるか、ちょっとブキミです。なんてことはないですが、知りたいような知りたくないような、微妙な気持ちです(^^ゞ。
人は自分のことは自分が一番よく知っているつもりですが、意外とわかっていないような気もします。
年とともに、“長い年月の間に地表が削れ、大岩がのぞくように、精神の骨格が露になる”というのは、そのとおりなんでしょうね。
今まで知らなかった自分が見えてくるとしたら、ちょっと面白そうです。
みなさんは、どう思われるでしょうか?
この記事へのコメント
すごく興味があるような、とても怖いような…
悩ましい気持ちもしますね^^
森岡さんの悩みも、あさのさんの回答も、
なるほどと思いました。
面白い記事のご紹介ありがとうございました。
それと「とまれ」の写真もかなり面白いです♪
私は既にボケちゃってるかも知れないなあ~。
ブログ書くときも言葉が出てこなくて困っちゃう。
私は根が優しい???から、きっと優しいところしか出てこないよ、って勝手に言わせてもらお!
( ´,_ゝ`)イ ヒヒ・・・お粗末!!!
年とともに物忘れは激しくなってきてますが、忘れちゃってもいいもの、忘れちゃ困るもの、人それぞれで面白いものです。忘れたくないものは、繰り返し頭に覚えこませるしかないんでしょうね。
「止まれ」の写真、面白いでしょ。霊園の駐車場にありました。木が先にあったのか、標識が先にあったのか、それが問題です(~_~)。
ブログを書くときに言葉が出てこなくなってるのは同じです。漢字はパソコンで変換してくれるからなんとかなるけど、その元の言葉が出てこないんですよね。ピタッとはまる言葉があるのはわかってるんだけど、それが出てこない。嫌になっちゃうけど、まあ誰にでも起こることで、気にしないほうがいいと思います。
さよちんは優しい情熱家かな。そのうちに、短歌がコンコンと湧き出てくるかもしれませんよ(~_~)。まあ、何が現れてきても、それを楽しんじゃったほうがいいような気がします。さよちんがどんなバアちゃんになっていくか、楽しみ。イヒヒッ(^^ゞ。
写真は何かに似てるのですが…思い出せない。
でも手っ取り早く思いついたのが、昔子供と見たTV番組の「ひらけ!ポンキッキ」に出ていたムックがガチャピンをおんぶしてるみたい。といっても遊哉さんには分らないかな?(笑)
バカ親父はだんだん口が悪くなっているようで、ちょっと心配です(^^ゞ。
日常の瑣末なことを削ぎ落としていっても、生きてる限りは残るものがあるでしょう。それがuraraさんの場合に何になるか、興味がありますが、如何?(~_~)。
ムックとガチャピンの、ガチャピンは覚えてますが、ムックがわかりませんでした。ネットで調べて見ました。なーるほどでした(~_~)。“ムックがガチャピンをおんぶしてるみたい”って、言い得て妙です(^^♪。
私の最後はどんなふうになるのかなぁ?少し怖いです。(^^ゞ
写真の止まれは、鳥さんたちにかな?木にぶつかったら大変だもんね。
おじいちゃんが元気なころに厳しかったのは、子どものためを思っていろいろ言ったりやったりしてたからなんでしょうね。子どもにより良く育ってほしいと思ったら、厳しさも必要だものねえ。自分のことより子どもたちのことを心配してたというのは、親なら誰でもできそうですが、なかなか難しいことだと思います。そんな人たちと一緒に生活できて、いろんなことを教えてもらってよかったですね(^^♪。
キョンさんは大丈夫。今までの人生で培った知恵が残ると思います。それに、優しさも(~_~)。
この「止まれ」は鳥さんたちのためか~。それは面白いけど、字を読めるかなあ(^^ゞ。でも、すてきな発想です(^^♪。