後ろは振り返る、そして同じことを繰り返す



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 加藤和彦さんが亡くなった。自殺だそうである。
 同じ年の生まれだから、いろいろ感慨深いものがある。

 67年に、ザ・フォーク・クルセダーズの出した「帰って来たヨッパライ」のテープの早回しには驚かされたし、「おらは死んじまっただー」という歌詞も意表を突いたもので面白かった。
 そのあとの、「イムジン河」、「悲しくてやりきれない」、「青年は荒野をめざす」、そして北山修さんとの「あの素晴らしい愛をもう一度」などのメロディーは、しっかりと頭に残っている。歌詞は一部忘れてるけど。
 それ以後のことはあまり知らなかったが、吉田拓郎、竹内まりやなどに曲を提供したり、プロデューサーとして活躍していたようである。

 最近では、06年に木村カエラさんをボーカルに迎えてサディスティック・ミカ・バンドの再結成をしたり、アルフィーの坂崎幸之助さんと「和幸(かずこう)」というユニットを結成し、コンサートにも出ていた。
 活動が精力的と思えたけれど、うつ状態にあったらしい。残念である。

 昨日の朝日新聞朝刊に、きたやまおさむ(北山修、精神科医・作詞家)さんが、「加藤和彦さんを悼む すべて一流のプレーヤー」と題して、追悼文を書いていた。
 その一部を紹介してみる。

<もはや、あの人懐っこい笑顔が見られないかと思うと本当に心が痛む。(後略)
 彼は「振り返る」のが大嫌いだったが、大した戦績だったので、嫌われるのを承知で書こう。私は、一時期同じバンドのメンバーにして、楽曲を作る仲間、そして人生の良きライバルだった。(中略)今から数十年前のこと、その加藤がこう言ったことがある。
 「お前は目の前のものを適当に食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産はたいてもどこへだって飛んでいく」
 趣味は一流、生き方も一流だった。ギタープレーヤーとしても一流で、プレーヤーすなわち「遊び手」としても一流。グルメであり、ワインに詳しく、ソムリエの資格をとるほどで、何をやらしても天才の名に値するレベルだった。
 それがゆえに、凡百とのおつきあいの世界は、実に生きにくいものだっただろう。しかし天才の肩の上に乗ったら、見たことない景色が遥(はる)か遠くまで見えた。
 加藤和彦が日本の音楽にもたらしたもの、それは「革命」だった。作品だけではなく、彼の生き方ややり方が新しかった。六十年代、若者の革命が幾つも夢想される中、ほとんど何も持たない若いプレーヤーたちが芸能界のエスタブリッシュメントに挑んだのだ。(中略)クリエーター加藤和彦は、このプレーヤーたちの戦いの旗手となった。
 自主制作の「帰って来たヨッパライ」が300枚作られ、結果的に280万枚を売った半年で、日本の音楽の流れが大きく変わったのだ。大先生が作る作品を歌手が歌うという「上から下」の主流に、自作自演という「下から上」への波が音を立てて流れ込んだのである。(後略)
 後ろは振り返らない、そして同じことは絶対にやらないというモットーを貫き通した彼は、おいしいケーキを食べるために全財産をはたいて、また手の届かぬところに飛んで行った。戦友としては、その前だけを見る戦いぶりに拍手を贈りたい。しかし、昔話に花を咲かせ共に老後を過ごすことを楽しみにしていた仲間として、そしてこれを食い止めねばならなかった医師として、友人としては、実に無念である。>

 “後ろは振り返らない、そして同じことは絶対にやらない”というモットーを、加藤さんは貫き通したということだが、これはクリエイター(創作者)としては、当然の姿勢だったんだと思われる。
 天才だからこそ、それができたともいえるが、残念ながら潰(つい)えてしまった。
 他の歌手のプロデュースには成功したが、自分自身の人生のプロデュースには失敗したとも言えるかもしれない。

 常に前を見て、新しいことを創り出していく。それがクリエイターかもしれないけど、それだけでは苦しすぎないだろうか。
 彼は、クリエイターとしてはすばらしかったと思うが、一人の人間としては、もっと“後ろを振り返り、同じことを繰り返す”ことがあってもよかったのではないか、と思う。

 人には自殺という死を選ぶ自由がある。それも人生の選択肢の一つだろうが、どんなに苦しくても命尽きるまで生き抜くという選択もできる。
 どう生きるか(死ぬか)は自由だし、自殺する人にとってはそのほうが楽(?)だったのかもしれない。でも、残された家族、近親者、友人にとっては“無念”以外の何ものでもないだろう。
 やはり、生きていてほしかったと思うのである。

 “後ろは振り返る、そして同じことを繰り返す”、生き抜いていくには、そういう平凡さも必要なのかもしれない。

<後記>中学の時だったと思いますが、アーネスト・ヘミングウェイが銃で自殺したということを聞いて、ビックリした覚えがあります。
 彼もうつ病だったということですが、クリエイターが創作に行き詰って自ら命を断つということは意外と多いようです。
 常に前を見て、他人にできない自分だけの新しいことをつくり出さなければならないのがクリエイターでしょうが、いつかは行き詰まることがあるでしょうね。
 その時は、自分の歩いてきた道を振り返り、同じことを繰り返すという凡人に戻ってもいいんじゃないでしょうか。まあ、難しいんでしょうけどねえ。

 ヘミングウェイは61年の7月2日に亡くなりましたが、7月21日が誕生日で62歳を迎える直前でした。加藤さんは62歳でした。バカ親父は、61歳と10か月。
 なんの関連も意味もありませんが、この年代(現在の団塊の世代)は、乗り越えなければならない何かの壁があるのかもしれません。
 バカ親父は、はたして乗り越えたんだろうか? これから何かの壁が現れるんだろうか? まあねえ、天才じゃないから、関係ないのかもしれませんが(^^ゞ。

 上の写真は昨日のSORAです。グターっと寝ていて死んだかと思いました(^^ゞ。朝シャンプーをしたので、疲れたようです。
 SORAは前を見ることも後ろを振り返ることもないでしょうね。現在だけを生きているように思えます。ある意味、幸せだと思います。

 今日は風が強かったです。黄砂が降ったところもあるらしい。
 夕方散歩に行くと、雲が多かったものの夕焼けがきれいでした。

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この記事へのコメント

2009年10月20日 21:07
天才の悩みは死を選ぶほど深かったのでしょうか。
「日はまた昇る」のにね。。。
もう過去の業績の貯金だけで余生を穏やかに暮らす、という性格ではなかったんですね。やっぱり死ぬまでクリエイターでいたかったのか。。真実はわかりませんがあの人もこの人も死んでしまって寂しいです。

SORAはいかにもヘバった様子ですね。シャンプー嫌いなんだね。でも明日には忘れてますね^^。
遊哉
2009年10月20日 23:08
☆ リサさん、そうだよね、「日はまた昇る」のにねえ。本当のところは本人にしかわからない、というか本人にもわからないかもしれないけど、生きているより死んじゃったほうが楽、あるいは良いと感じちゃったんだと思います。
 クリエーターの本能というか身に備わってしまった性質なのかもしれませんが、前に進めなくなった時、過去の業績の貯金だけで余生を過ごすなんていうことには耐えられないのかもしれませんね。
 生き甲斐を感じていたことがダメになった時に、別のものを見つけられるか、別のことに価値観を見出せるか、が鍵かもしれません。
 あの人もこの人も死んじゃいましたね。寂しいですね。
 SORAはシャンプーをしている間はわりと大人しいんだけど、洗い終わって拭く時に暴れ回ります(^^ゞ。そのあと家中を駆け回るし、それで疲れちゃうんだと思います(~_~)。翌日には忘れちゃうでしょうね。次にシャンプーをする時に、思い出すようですが(~_~)。
雪の精
2009年10月21日 08:11
良い人は先に逝ってしまいますね。碑文谷会館で会葬されましたが、若い時二ヶ月程碑文谷に住んでいて、その時の事ですが、学芸大駅前で買い物をしていた時、若い男子が私に赤の薔薇の花束を押し付けて風のように去って行った珍事がありました。40年前の事です。脇に何か四角い物を抱えていた人としか見ていません。都会の人は粋な事をするんだなぁ~と思ったウブで純粋な頃でした。
遊哉
2009年10月21日 08:57
☆ 雪の精さん、加藤さんは他人には優しく、自分には厳しい方だったようです。笑い顔が印象に残っています。遺書には「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい」と書かれていたということです。
 碑文谷に住んでいたときに、面白い経験をされたんですね。ウブで純粋なころでしたか(^^ゞ。人にはいろんな思い出がありますが、加藤さんにもそういう思い出を振り返ってほしかったと思います。
2009年10月21日 09:44
中学生の頃でした。フォークソングの中にも野暮ったくない曲があるんだということを知り、アコースティックギターを始めるきっかけも与えてくれました。
コミックソングでのデビューは意表を突かれましたが、後に発売されたアルバムの完成度の高さなど、その音楽性に魅かれましたね。
彼が生きている間は現在進行中だったあの頃が、今は想い出になってしまいました。
遊哉
2009年10月21日 10:26
☆ Pochiさん、そうですね、いかにも日本的なフォークの中にあって、西欧的なお洒落な感じがありましたね。歌詞もメロディーも優しさに溢れていたように思います。アコースティックギターをやりたくなりますよね。バカ親父は挫折しましたが(^^ゞ。
 アルバムについてはよく知らないんですが、右のバーのAmazonの広告に「あの頃,マリーローランサン」というのが出てきました。そういえば、あったなあと思い出しました。
 彼自身が思い出になってしまったというのは、寂しいですね。
2009年10月21日 10:36
もっとも死には遠い人のような印象だったのに。。
なんだか、あまりにあっけなくまるで事故にあったとしか思えませんね
帰ってきた酔っ払いを皆で歌ったのを思い出します
うつ病の病がさせてしまった事故かもしれないけれど
北山修氏の言葉が染みます
なんだか皆先を急ぎすぎてる。。
のんびりすればいいのに。。
ああ~SORAのように今だけを楽しみたい。。
SORAは良く寝ていますね。。
この精神が欲しい!(笑)
2009年10月21日 10:59
初めまして。
<過去を振り返る>に誘われたら、やっぱり、加藤和彦でした。学生時代、料理をする男性が素敵だと思うようになったのは彼がきっかけでした。
才能ある女性との出合いにも恵まれ、パートナーの裏方をカッコよくこなす姿も新しい男性の生き方を拓いたように見えたのに・・・。
世の中、余りにも前向き連呼が多すぎて、窮屈になりました。私など、同じ過ち繰り返しつつ、「また、韻を踏んだ」と笑いとばすことにしています。
2009年10月21日 11:06
その昔、北青山三丁目の交差点で安井かずみさんと一緒に歩いていらっしゃった加藤さんに会ったことがあります。オシャレでのっぽで細くって一際目に付きました。同じ22年生まれの父ちゃんとはえらい違いでした。(^_^;)アッタリマエ
人それぞれの生き方といえばそうなのですが、私らは鈍くさくても格好悪くても、後ろを振り返って同じことを繰り返す平凡な生き方で上等だと思います。みな自然のお迎えが来るまでそれぞれの自然体で生き抜いて欲しいと思う。。。
「加藤さんのご冥福をお祈りします」とどこかに書きたかった、やるせないモヤモヤをだれかに告げたかった、ちょうどよかったここで・・・。遊哉さんタイムリーなblog、ありがとう。
2009年10月21日 11:06
そう、あの頃…衝撃的でした。思い出しますね。
飄々としているようで、何でもすんなり流しているように、ある意味人を喰ってたように見えていたけど。
悲しくて悲しくてとてもやりきれない。
この限りないモヤモヤを誰かに告げようか…。
皆んなに告げて逝っちゃいましたね。




遊哉
2009年10月21日 11:44
☆ コケ魔女さん、そうですね、飄々とした感じだったから飄々と生きていってほしかったです。
 引用しませんでしたが、北山さんの追悼文の最初の1行の(後略)部分には、こうありました。
<それにしても、やられた。すべて計算ずくだったと思う。ワイドショー的なマスコミ報道の減る週末を選んだのも、あいつ一流の作戦だったのだろう。>
 うつ病がさせてしまった事故かもしれないし、彼の最後のプロデュースだったのかもしれません。
 世の中、先へ先へと進まなきゃいけないような風潮がありますが、時には立ち止まってのんびりすることも大事でしょうね。
 歳とともに、今を楽しみながら生きていくことが大切だと思うようになってます。SORAはちゃんと実践しているようです(^^ゞ。疲れたら眠ればいいですよね。いろんな意味で(~_~)。
遊哉
2009年10月21日 11:56
☆ 七海さん、いらっしゃい♪
 加藤さんは、いろんな意味で時代の先端を切り開いていた方だったと思います。女性からみると、なるほど、“料理をする男性”であり、“パートナーの裏方をカッコよくこなす姿も新しい男性”だったんでしょうね。海外に飛び出していった方だから、今までの因習にとらわれない新しい考え方を持っていたんだと思います。
 前向きは大切ですが、後ろ向きも大事ですよね(^^ゞ。その“また、韻を踏んだ”という表現が素敵です。これから使わせてもらいます(^^♪。
遊哉
2009年10月21日 12:16
☆ レイコ姐さん、安井かずみさんとのツーショットを見られたんですね。加藤さんにとっては、一番充実して幸せな時だったかもしれません。
 実は10年くらい前ですが、銀座で彼を見かけたことがあります。ビルの2階の喫茶店の窓際にいましたが、下の道に大きなクラシックな欧州車が停まりました。ドアを開けて出てきたのが加藤さんでした。“オシャレでのっぽで細くって一際目に付きました”。バカ親父ともえらい違いでした(~_~)。アッタリマエカ(~_~;)
 前向きな生き方は必要でしょうが、それだけでは苦しすぎるでしょうね。鈍臭くても格好悪くても、平凡な生き方で上等ですね。それ以外できないということもありますが(^^ゞ。自然体で生き抜いていきたいと思いますね。
 バカ親父も何か書いておきたかったんです。北山さんの追悼文を見つけたので、なんとかまとめることができました。よかったです(^^ゞ。
遊哉
2009年10月21日 12:26
☆ Fチェスカさん、なるほど、“ある意味人を喰ってたように見えていた”飄々さがありましたね。
 最初の「帰って来たヨッパライ」から、そういう雰囲気があったかもしれません。それにしても、こんなに早く「おらは死んじまっただー」になるとは思ってもいませんでした。やはり、残念です。生き抜いていてほしかったです。
 今から思うと、彼が歌っていた曲の歌詞にいろんなメッセージが残されているようです。振り返っていくと面白いかもしれません。
2009年10月21日 13:33
常に自分の世界を持って他を圧倒するような生き方をして来られて疲れてしまわれたのでしょうか。
60を過ぎるとある程度の残りも予測がつくでしょうしもはやしなければならないことも少なくなって来た
寂寥感でしょうか。
でもやはり自分で結末をつけるのは違うような気がしますね~
コジ君も23日にカットに行きます小さな幸せです。
2009年10月21日 14:58
私はこの人自体はよく知らないのですが、作られた曲はどれも耳に馴染んだものでした。
昔にスポットライトを浴びてたヒトかな、なんて思ってたけど、竹内まりやの「不思議なピーチパイ」もこの人だったのですね。
才能の多彩さに驚きました。
それだけの才能があって、それによって一般の人が知らないクリエイティブな喜びもご存じで、名声もお金も友達もいて。
それでも死んだほうがマシだったなんて。
「幸福」っていったい何なのか、どうやったら掴めるのか。考えさせられました。
まあ、掴みにいくものじゃなく、そこにあるのを気付くものなのかなとも思いますが。
あど
2009年10月21日 17:58
訃報が続きますね。拙BLOGは数年後には自然に訃報専門BLOGになりそうです。

合掌。
tare
2009年10月21日 18:48
音楽に疎い私ですが、加藤さんの死には少なからず、衝撃を受けました。
私なぞ凡人には考え及ばん悩みやったんかもしれん。それにしても秋は人恋しい季節です。
遊哉
2009年10月21日 19:13
☆ 紫さん、本当のところはわかりませんが、自分の世界をもう創れなくなってしまった、と感じたんじゃないでしょうか。
 60を過ぎると先が見えてきますね。彼の場合はやりたいことはたくさんあっても、それをやり遂げる力がなくなったと感じたのかもしれません。寂寥感はあったでしょうね。
 身近な者が自殺すると、周囲の者はなぜ止められなかったのかと罪悪感を覚えるようです。それだけを考えても、自殺はしてほしくなかったです。
 コジ君、カットにいくんですね。さっぱりとかわいくなると、嬉しくなりますね(^^♪。
遊哉
2009年10月21日 19:30
☆ キーブーさんの年代だと、加藤さんはあまり馴染みがないかもしれませんね。「帰って来たヨッパライ」が出たのが、小学校の低学年でしょうか。上に紹介した歌は流行ったから、耳に残っているでしょうね。
 いろんな歌手に歌を提供したり、プロデューサーとして活躍しつつ、自らもコンサートにゲスト出演などしていたようです。
 才能があって世間的にも成功していても、満たされないものがあったんでしょうね。幸せは他と比べるのでなく、自らが納得できるかどうかだと思いますが、この先その見通しが立たなくなったということじゃないでしょうか。
 “青い鳥”じゃないけれど、幸福は外に探し求めても得られるものではないかもしれません。我が身の中にあるもののような気がしますが、それが感じられなくなったのかな。
2009年10月21日 19:34
本当に訃報が続きますね。
私も加藤和彦さん個人のことはあまり知りませんでしたが、どの歌も馴染みのある曲ばかりです。でもニュースを聞いたときはやはり「なぜ?」でした。別に忘れられた人でもないし、仕事がなかったわけでもないのに。。凡人からすれば死ぬ理由が無い様な気がしますが、クリエーターが新しいものを紡ぎ出せなくなった時には死んだも同然だったのかなとも思います。凡人の私だって作品を創る時にはどこにも無いものを創り出したい!と思うのですから。。。後ろを振り返って良き時代にすがり付くようなことはしたくないし、同じことは。。。できればやりたくないと思います。創り出す人って同じパターンをずっと繰り返す人もいますよね。作品を見れば(聴けば)「あ、これは○○さんのだ!」とすぐわかる人。これはこれで維持するのが大変なのでしょうけど、加藤さんはそれでは生きていけない人なんですね。
鬱がさせたことでしょうけど、本当に消えてしまいたいという表現が本心なのでしょうね。残された人達のことまで考えたなら死ななかったでしょうし、悲しまないように存在自体無かったことにしたかったかもしれません。
遊哉
2009年10月21日 19:40
☆ あど さん、はい、訃報が続きますね。歳をとるにつれて、同世代以上の見送る死が増えてくるでしょうね。青春時代に心躍らされた人たちが亡くなるのは、寂しいものです。自死となればなおさらです。合掌するしかないでしょうが、残念です。
遊哉
2009年10月21日 19:46
☆ tareさん、バカ親父も音楽に詳しいわけではないですが、同い年だけにいろいろ考えちゃいます。
 我々には思いもよらない、天才というかクリエイターならではの悩みがあったんでしょうね。自ら死を選んだというのが、切ないです。
 人恋しい秋ですね。さて、どうしましょう(^^ゞ。
遊哉
2009年10月21日 20:35
☆ patyokoさん、訃報が続きますね。加藤さんの歌った曲やつくった曲は馴染みがあるでしょうね。優しさの溢れた曲が多いですね。
 死んだ理由の本当のところはわかりませんが、“創作の意欲がなくなった”と遺書にはあったようです。うつのなせる業だったかもしれません。クリエーターとして、新しいものを紡ぎ出せなくなったというより、意欲がなくなったというのが大きそうですね。
 クリエーターは、他にはない自分だけの作品をつくり続けたいものでしょうね。なにか壁にぶつかった時には、前に進もうとするだけでなく、よき時代に縋りつくということでもなく、今までの自分が歩んできた道や作品を振り返ってみることも必要かもしれません。
 よくわかりませんが、今までの作品をぶち破るような作品でも、その人ならではのものが表れる、それがパターンとして認識されるということもあると思います。型に嵌まったパターンになったら、いつかは飽きられるでしょうね。
 加藤さんの場合は、どうだったんでしょうね。
 消えてしまいたい、自分の存在、存在したことを抹消したいという気持ちだったんでしょう。残された人たちのことを考えるゆとりもなかったのかもしれません。考えたとしても、それ以上に死を選ばせるものがあったといえるかもしれません。
2009年10月21日 22:22
 『もう なにもやることがなくなった。』って言ってたそうですね。うつ病のせいだったそうですから、仕方なかったのかもしれないけれど、なにもやることがなくなったなんて!そんなに世界は狭くないのにね。本当にもったいない。
 SORAちゃんもシャンプー嫌いなのね。そうそう、シャンプーが終わると なぜか走り回るよね。それから体をいろんな所に必死でこすりつけるのよね。くたびれるほど走り回ったのかな?可愛いねSORAちゃん。
 遊哉さんは、自殺しないよね?だって、後ろ振り返ったり見回したりする勇気持っているものね。
遊哉
2009年10月21日 23:01
☆ キョンさん、“もう なにもやることがなくなった”って言ってたんですか。前だけを見て新しいことを創り続けていた人にとっては、そう思ってしまったら、生きていく甲斐がなくなっちゃうのかもしれません。
 後ろを振り返ったり、周りを見回せば、やることはたくさんあると思うけど、そういう気にもならなかったんでしょうね。もったいないよねえ。生きていく道は一つだけじゃないものねえ。
 アクセルもシャンプーが終わると走り回りますか(^^ゞ。SORAはシャンプーの時はわりと静かなんだけど、終わったとたんに走り回るし、バスタオルを廊下に置いておくと、その上で転げまわります。足を舐め回したりもします(~_~)。すごい勢いでやるから、疲れちゃうんでしょうね。面白いね(^^ゞ。
 バカ親父は自殺はしませんよ。これから何が起こるかわからないし、辛くて死にたくなることもあるかもしれないけど、たった一度の貴重な人生だから、自分で自分の最後を見届けるというか、命尽きるまでつき合うつもりです(~_~)。キョンさんも、最期まで生き抜こうね(^^♪。
Sauerkraut
2010年05月18日 03:06
今日はこちらにお邪魔させていただきます。団塊の青春を代表する彼の曲を続々と思い出します。
芸術家は死んで名を残す、
芸術家には過去も未来もない、あるのは現在とも言いますよね。ちょうどSORAちゃんのよう?
私達(平)凡人は持ちこし苦労と取り越し苦労して過去だ、未来だと気わずらって生きている点、医療がこれほど発達しなければ、私達ももう「さようなら」の準備しているでしょう。
「誰でも年はとりたくないが長生きしたい」という表現があります。なんのために長生きしたいのか?今の快的な生活が続けば長生きしたい、これ以上苦しければ長生きなぞしたくないイコール苦しみの継続だからでしょう。そして殺してくれ~!と乞う。
芸術家・クリエーターは、現在生み出せなければ「人間」としてより先に「芸術家」として死んだもと同然なのでしょう・・と思います。モネーは目が見えなくなっても庭の睡蓮を描き続けたという。他の画家達で、ナチ国家時代に創造生活禁止されスイスに逃れたが、雪に閉ざされた世界で死ぬ者、リューマチで指が動かない者は、筆を縛ってもらって絵を描き続けていた。いつも大天使の絵ばかりです。小説家も然り。私は彼らは与えられた才能のもとに創作できなくなれば死人同様に感じるのだと思っています。彼らの家族も友も、愛情あれば逝かせてあげ、あまり悲しまないでしょう。リハルド・シュトラウスは1947年に85歳で重病で病院で亡くなりますが、2度の苦しい手術を受けている時にも「この体験を作曲しなくっちゃ!」と言ってたそうです。一度「苦」を作曲済みだそうです(苦笑)かって芸術家は生きて行くには大変だった過去から、今日小額でも「芸術家社会保険」があって、最低限度の生活が守られるようになったのです。私自身は創造性のかけらもない食べるだけ楽しみの平平凡人です~。
遊哉
2010年05月18日 11:39
☆ Sauerkrautさん、加藤さんのつくった曲は忘れられないものですね。プロデューサーとしても一流だったようです。
 芸術家にもいろいろあるようです。ゴッホなどは生きているうちは、評価はほとんどされませんでした。まさに“芸術家は死んで名を残す”といえるかもしれません。
 ジャンルの違いもあるかもしれません。新しく書いた記事のアンディ・ウォーホルなどはポップ・アートというジャンルということもありますが、当時の今(時代)を生き抜いた人でしょうね。
 創造というのは今の自分を表現するともいえるから、過去も未来も関係ないのかもしれません。芸術家にとっては、生み出すものがなくなったと感じたら、生きている甲斐がなくなっちゃうんでしょう。死んじゃったほうがいい、と思うのかもしれません。
 凡人はそんなことには関係なく、生きていたいと思うものかもしれませんが、苦しいことが続けば死んじゃいたいと思うでしょうね。
 最近は、長生きは別にしたくはないですが、生きている限りは苦しくても生きてやろうと思ってます。先のことはわからないことだらけだから思いわずらうのは止めようと思っています。今をできるだけ楽しくしっかり生きていきたい。将来はその結果だろうとと思います。
 「芸術家社会保険」というのがあるんですね。生活の心配をせずに創造に邁進(?)できるというのはいいことなんでしょうね。

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