『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』
村上春樹さんの小説には、熱烈なファンが多いようである。
ところが、バカ親父はちょっと苦手である。
今までに何度か挑戦してみたことはあるのだが、何ページか読んで、その先に進めなくなってしまうのである。
何故だかはわからないのであるが(^^ゞ。
でも、エッセイは好きである。
10年ほど前に『村上ラヂオ』というエッセイ集が出た。内容はもう忘れてしまったが、面白かったということだけは覚えている。
イラストが大好きな大橋 歩さんだったということもある。
今度、その『村上ラヂオ』の第2弾がまとめられて刊行された。
イラストも、同じく大橋 歩さんだ。
やはり面白かった(~_~)。
「十年ぶりに戻ってきて」という“まえがき”のなかで、村上さんはこんなことを書いている。
<僕は本職が小説家であって、エッセイは基本的に「ビール会社が作るウーロン茶」みたいなものだと考えています。でも世の中には「私はビールが苦手で、ウーロン茶しか飲まない」という人もたくさんおられるわけだし、もちろん手を抜くことはできない。いったんウーロン茶を作るからには、日本でいちばんおいしいウーロン茶を目指して作るというのは、物書きとして当然の気構えです。でもまあ、そう言いながらも、僕としては肩の力を抜いて、わりに気楽にこの一連の文章を書きました。肩の力を抜いて、わりに気楽に読んでいただければなによりです。>
ひょっとすると、村上さんの小説は上戸が、エッセイは下戸が好きなのかもしれない(~_~)。
な~んてことはもちろんないだろうが、バカ親父も下戸でビールも含めてアルコールは苦手、ウーロン茶は特別好きじゃないけど、ビールよりはいい。
村上さんのエッセイが好きな理由は、このあたりにありそうである(^^ゞ。
ということで(ということもないが)、村上さんのこのエッセイ集を紹介してみる。
内容は、次のとおりである。
まえがき 村上春樹
野菜の気持ち/ハンバーガー/ローマ市に感謝しなくては/パーティーが苦手/体型について/エッセイはむずかしい/医師なき国境団/ホテルの金魚/アンガー・マネージメント/シーザーズ・サラダ/いわゆるミート・グッドバイ/オリンピックはつまらない?/右か左か/究極のジョギング・コース/夢を見る必要がない/手紙が書けない/オフィス・アワー/無考えなこびと/やあ暗闇、僕の旧友/三十歳を過ぎたやつら/オキーフのパイナップル/まるで豹のように/もうやめちまおうか/悪魔と青く深い海のあいだで/タクシーの屋根とか/ちょうどいい/新聞ってなに?/コミュニケーションが必要なんだ/月夜のキツネ/太宰治は好きですか?/他人のセックスを笑えない/本が好きだった/携帯電話とか、栓抜きとか/キャラメル・マキアートのトール/おいしいカクテルの作り方/あざらしのくちづけ/うなぎ屋の猫/ガラスの家に住む人は/ギリシャの幽霊/お一人様の牡蠣フライ/自由で孤独で、実用的ではない/おおきなかぶ/こっちのドアから入ってきて/アボカドはむずかしい/スーツを着なくちゃな/並外れた頭脳/『スキタイ組曲』知ってますか?/決闘とサクランボ/カラスに挑む子猫/男性作家と女性作家/ジューン・ムーン・ソング/ベネチアの小泉今日子
あとがき 大橋歩
さて、いくつか引用してみるが、短く切り取っているので、テーマと直接結びつかなくてわかりにくいかもしれない。
【 】内は、それぞれのエッセイのタイトルである。
……以下は、バカ親父の感想のようなもの。
<僕はちょっとした考えが頭に浮かぶのに、ひとより時間がかかる性格なのだ。考えが浮かんだときには、だいたいいつも手遅れになっている。>【ハンバーガー】
……バカ親父がおしゃべりが苦手なのも、同じ理由である(^^ゞ。
<僕の個人的な意見を言わせてもらえると、マニュアル・シフトの運転が上手な女性は魅力的に見えます。最近の日本ではオートマ限定免許のおかげで、その数がずいぶん減ってしまったけど、たまにマニュアルで運転している女性を見かけると、「いいなあ」と思う。機敏で賢そうに見える。きちんとした目的と明瞭(めいりょう)な視野をもって、自立的に人生を生きている人のように見える。実際はそうじゃないのかもしれないけど、何となくそんな感じがする。>【ローマ市に感謝しなくては】
……マニュアルの小型SUVを運転する女性で、ポニーテールにキャップを被っていたら最高。もちろん、かわいくなきゃダメだけど(^^ゞ。
<右と左というのは不思議なもので、僕は靴下を履くときはいつも左側から履くけど、靴を履くときは右側から履く。ズボンは右側から足を通す。どうしてかはわからないけど、昔からそう決まっている。逆にやろうとするとかなり違和感を覚える。
女性とひとつのベッドで寝るときには、右側でも左側でも、とくにどちらでもかまわない。世の中には「こっち側じゃないと、落ち着いてうまく眠れない」という人も多いようだが、僕の場合そんなことはない。相手の女性は選ぶけど(当たり前だ)、サイドは選ばない。>【右か左か】
……サイドは選ばないけど、ひとつのベッドでいっしょに寝てくれる女性がいない。カミさんも一応、女性なんだけどねえ(^^ゞ。
<人と人との出会いには「また今度」はないんだと思いつつ、僕らは生きて行かなくてはならないのかもしれない>【夢を見る必要がない】
……まさに、人生は一期一会だ。
<これも古い話しになるけど、地下鉄銀座線の車両はその昔、駅に停車する直前に必ずばたっと照明が消えた。そして乗客は一秒くらい漆黒の闇の中に置かれた。いつの間にか設備が改良され(たのだろう)、そんなこともなくなったが、僕はあれがなぜか好きだった。真っ暗になるたびに、「そうだ、人が目的地に着く直前には常に深い闇が訪れるんだ」と一人で勝手に肯(うなず)き省察し、『サウンド・オブ・サイレンス』の出だしの一節、Hello darkness, my old friend を口ずさんでいた。
そういう意味で、最近の銀座線は乗っていてあまり楽しくない。もちろん人々は何も僕を楽しませ、省察させるために電車を走らせているのではないから、まあそれはしょうがない。でも旧式の銀座線車両に乗ったことがある人とない人とでは、人生の暗転に対する覚悟の度合いがつまみひとつ半くらい違っていると思う。それも僕の個人的自説のひとつだ。>【やあ暗闇、僕の旧友】
……“一秒くらい漆黒の闇の中に置かれた”と村上さんは書いているけど、照明が消えている間だけ、各ドアの脇か車両の端のドアの脇かにあった小さな電球がポッと灯った、という記憶がある。
ちょっと不思議な感覚を覚える一瞬だった。“人生の暗転に対する覚悟の度合い”は、乗ったことがあるから違っているかも(^^ゞ。
<会社って「問題があるもの」が好きじゃないんだなとつくづく思う。不揃いなもの、前例のないもの、発想の違ったものを、それはほとんど自動的に排除していく。そんな流れの中で、個人として「腹をくくれる」社員がどれくらいいるかで、会社の器量みたいなものが決まっていくような気がする。
僕が考えて何がどうなるというものではないんだけど、日本経済はこれからいったいどうなっていくんでしょうね。>【もうやめちまおうか】
……夫婦という組織(?)も同じかもしれない。“腹をくくれる”ことが大事?!(^^ゞ
<そんなにしょっちゅうではないけど、たまに道を歩いていて読者(なんだろうな)に声をかけられて、握手を求められ、「お会いできて嬉しかったです」と言われることがある。そのたびに「僕なんか毎朝、鏡で自分の顔を見てるけど、そのたびにうんざりしてますよ」と言いたくなる。そんなものを街角で目撃して、何がどう嬉しいのか。
とはいえまあ、そういうものでもないのだろう。こんなもので少しでも喜んでいただければ、僕としては何よりです、はい。>【ちょうどいい】
……バカ親父が使っている鏡は、一辺が5cmの四角い携帯用の鏡。それより大きい鏡は必要ない。自分の顔なんて、別に見たくもない(~_~)。
<(前略)本を所有することにもとくに関心はない。読んだ本は、あとで役立ちそうなものは別にして、適当に処分してしまう。
それでもたまに自分の本棚を見渡し、幾多の引っ越しを生き延びてきた古い本の背表紙を眺めていると、「そうか、僕という人間は結局のところ、本によってつくられてきたんだな」と実感する。何しろ、多感な青春時代を通して、書物による情報のインテイクが圧倒的だったので、そのへんでとりあえず人間がひとつ出来上がってしまっている。「女たちが私という人間をつくった」なんてさらっと言えるとかっこいいんだけど、そうじゃなくて、僕の場合は本です。もちろん「女たちが私にいくつかの変更を加えた」くらいのことは言えるけど。>【本が好きだった】
……僕の場合も本です。もちろん、「結婚後はカミさんが私に多大の変更を加えた」とは言えるけど。
<僕の小説の読者は昔から一貫して、だいたい男女半々です。そして女性読者にはきれいな方が多いです。いや、ほんとに。>【男性作家と女性作家】
……バカ親父のこのブログの女性読者にはきれいな方が多いです。いや、たぶん(~_~)。
<この人生においてこれまで、本当に悲しい思いをしたことが何度かある。それを通過することによって、体の仕組みがあちこちで変化してしまうくらいきつい出来事。言うまでもないことだけど、無傷で人生をくぐり抜けることなんて誰にもできない。でもそのたびにそこには何か特別の音楽があった。というか、そのたびにその場所で、僕は何か特別の音楽を必要としたということになるのだろう。
ある時にはそれはマイルズ・デイヴィスのアルバムだったし、ある時にはブラームスのピアノ協奏曲だった。またある時それは小泉今日子のカセットテープだった。音楽はその時たまたまそこにあった。僕はそれを無心に取り上げ、目に見えない衣として身にまとった。
人はときとして、抱え込んだ悲しみやつらさを音楽に付着させ、自分自身がその重みでばらばらになってしまうのを防ごうとする。音楽にはそういう実用の機能がそなわっている。
小説にもまた同じような機能がそなわっている。心の痛みや悲しみは個人的な、孤立したものではあるけれど、同時にまたもっと深いところで誰かと担(にな)いあえるものであり、共通の広い風景の中にそっと組み込んでいけるものなのだということを、それらは教えてくれる。
僕の書く文章がこの世界のどこかで、それと同じような役目を果たしてくれているといいんだけどと思います。心からそう思う。>【ベネチアの小泉今日子】(太字は、本書での傍点部分である)
……小説というか本というか、本(活字)を読むことで悲しみや辛さをしのぐことができた、ということはありましたね。音楽も同じかな。それは一種の“逃げ”だったかもしれませんが、バカ親父にとっては必要なものだったような気がします。
“僕の書く文章がこの世界のどこかで、それと同じような役目を果たしてくれているといいんだけどと思います”けど、無理か~(^^ゞ。
さて、このくらいで終わりにしようと思うのだが、各エッセイの終わりに「今週の村上」という一言が載せられている。
これも、ちょっと面白いので、いくつか引用してみる。
・ 必要があって、先日生まれて初めてバンダナを買いました。悪いことしてないんだけど、なんかどきどきしました。
・ 信号待ちの間サイドミラーで近くの猫を観察していたら、信号が変わったのを見逃して後ろの車に叱られました。
・ 「ワープロ」とか「ミニスカ」とか略されるのに、なぜセイタカアワダチソウはちっとも短くならないのだろう?
・ 「婚約破棄」と聞くといつも捨てられたコンニャクを思い浮かべるんだけど、下らないですね。
・ ホワイト・デーのお返しって一度もしたことないんだけど、たたりみたいなことがあるのかな?
・ 暗闇の中ですき焼きを食べるのってけっこうむずかしそうですね。とくにしらたきなんか。
・ 鮨職人がベルトコンベアに載ってやってくる回転鮨ってないですね。目がまわるからかな?
・ 「かっぱらいに注意」という看板。誰かがマジックで「らい」を塗りつぶしていた。暇な人がいる。
・ 水洗トイレに「大小」というレバーがあるけど、あれは「強弱」じゃいけないんでしょうか?
・ アリクイにディープキスされるのも大変そうですよね。そんなことわざわざ考えなくてもいいんだけどさ。
・ 「若葉マーク」と「紅葉マーク」を並べてつけている車を見たことありますか? あまり近寄りたくないですよね。
<今日のお薦め本>
『おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2』 村上春樹 文、大橋 歩 画、マガジンハウス 刊、1470円、11.07.07第一刷発行
この本は、『anan』No.680(2009年10月21日号)、No.1698(2010年3月3日号)、No.1701(2010年3月24日号)~No.1750(2011年3月23日号)に掲載された連載「村上ラヂオ」を加筆修正してまとめたものだそうです。
<後記>肩の力を抜いて、わりと気楽に読めるエッセイ集です(^^ゞ。
村上さんは自分のエッセイは“どうでもいいような話”と書いています。
とはいえ、なかなか深いものもあるし、なるほどと勉強になるところも多々あります。
最後にまた何ですが、「エッセイはむずかしい」というエッセイから、少し引用しておきます。
<とはいえ僕にも、エッセイを書くに際しての原則、方針みたいなのはいちおうはある。まずひとつは人の悪口を具体的に書かないこと(これ以上面倒のたねを増やしたくない)。第二に言いわけや自慢をなるべく書かないようにすること(何が自慢にあたるかという定義はけっこう複雑だけど)。第三に時事的な話題は避けること(もちろん僕にも個人的な意見はあるけど、それを書き出すと話が長くなる)。>
ブログを書くについても、ある意味参考になるかもしれない、と思った箇所でした。
今日は北風が吹いて肌寒いです。最高気温が24℃、最低気温が22℃という予報です。昨日までは半袖に半ズボンでしたが、今日は長袖・長ズボンです(^^ゞ。
昨日の夕方の散歩の時の写真です。
小雨は降っていましたが、SORAとサッカー遊びをしました。
空には、黒い雲が南から北へ急速に流れていました。
ねぐらに帰るカラスも飛びにくそうでした。
ところが、バカ親父はちょっと苦手である。
今までに何度か挑戦してみたことはあるのだが、何ページか読んで、その先に進めなくなってしまうのである。
何故だかはわからないのであるが(^^ゞ。
でも、エッセイは好きである。
10年ほど前に『村上ラヂオ』というエッセイ集が出た。内容はもう忘れてしまったが、面白かったということだけは覚えている。
イラストが大好きな大橋 歩さんだったということもある。
今度、その『村上ラヂオ』の第2弾がまとめられて刊行された。
イラストも、同じく大橋 歩さんだ。
やはり面白かった(~_~)。
「十年ぶりに戻ってきて」という“まえがき”のなかで、村上さんはこんなことを書いている。
<僕は本職が小説家であって、エッセイは基本的に「ビール会社が作るウーロン茶」みたいなものだと考えています。でも世の中には「私はビールが苦手で、ウーロン茶しか飲まない」という人もたくさんおられるわけだし、もちろん手を抜くことはできない。いったんウーロン茶を作るからには、日本でいちばんおいしいウーロン茶を目指して作るというのは、物書きとして当然の気構えです。でもまあ、そう言いながらも、僕としては肩の力を抜いて、わりに気楽にこの一連の文章を書きました。肩の力を抜いて、わりに気楽に読んでいただければなによりです。>
ひょっとすると、村上さんの小説は上戸が、エッセイは下戸が好きなのかもしれない(~_~)。
な~んてことはもちろんないだろうが、バカ親父も下戸でビールも含めてアルコールは苦手、ウーロン茶は特別好きじゃないけど、ビールよりはいい。
村上さんのエッセイが好きな理由は、このあたりにありそうである(^^ゞ。
ということで(ということもないが)、村上さんのこのエッセイ集を紹介してみる。
内容は、次のとおりである。
まえがき 村上春樹
野菜の気持ち/ハンバーガー/ローマ市に感謝しなくては/パーティーが苦手/体型について/エッセイはむずかしい/医師なき国境団/ホテルの金魚/アンガー・マネージメント/シーザーズ・サラダ/いわゆるミート・グッドバイ/オリンピックはつまらない?/右か左か/究極のジョギング・コース/夢を見る必要がない/手紙が書けない/オフィス・アワー/無考えなこびと/やあ暗闇、僕の旧友/三十歳を過ぎたやつら/オキーフのパイナップル/まるで豹のように/もうやめちまおうか/悪魔と青く深い海のあいだで/タクシーの屋根とか/ちょうどいい/新聞ってなに?/コミュニケーションが必要なんだ/月夜のキツネ/太宰治は好きですか?/他人のセックスを笑えない/本が好きだった/携帯電話とか、栓抜きとか/キャラメル・マキアートのトール/おいしいカクテルの作り方/あざらしのくちづけ/うなぎ屋の猫/ガラスの家に住む人は/ギリシャの幽霊/お一人様の牡蠣フライ/自由で孤独で、実用的ではない/おおきなかぶ/こっちのドアから入ってきて/アボカドはむずかしい/スーツを着なくちゃな/並外れた頭脳/『スキタイ組曲』知ってますか?/決闘とサクランボ/カラスに挑む子猫/男性作家と女性作家/ジューン・ムーン・ソング/ベネチアの小泉今日子
あとがき 大橋歩
さて、いくつか引用してみるが、短く切り取っているので、テーマと直接結びつかなくてわかりにくいかもしれない。
【 】内は、それぞれのエッセイのタイトルである。
……以下は、バカ親父の感想のようなもの。
<僕はちょっとした考えが頭に浮かぶのに、ひとより時間がかかる性格なのだ。考えが浮かんだときには、だいたいいつも手遅れになっている。>【ハンバーガー】
……バカ親父がおしゃべりが苦手なのも、同じ理由である(^^ゞ。
<僕の個人的な意見を言わせてもらえると、マニュアル・シフトの運転が上手な女性は魅力的に見えます。最近の日本ではオートマ限定免許のおかげで、その数がずいぶん減ってしまったけど、たまにマニュアルで運転している女性を見かけると、「いいなあ」と思う。機敏で賢そうに見える。きちんとした目的と明瞭(めいりょう)な視野をもって、自立的に人生を生きている人のように見える。実際はそうじゃないのかもしれないけど、何となくそんな感じがする。>【ローマ市に感謝しなくては】
……マニュアルの小型SUVを運転する女性で、ポニーテールにキャップを被っていたら最高。もちろん、かわいくなきゃダメだけど(^^ゞ。
<右と左というのは不思議なもので、僕は靴下を履くときはいつも左側から履くけど、靴を履くときは右側から履く。ズボンは右側から足を通す。どうしてかはわからないけど、昔からそう決まっている。逆にやろうとするとかなり違和感を覚える。
女性とひとつのベッドで寝るときには、右側でも左側でも、とくにどちらでもかまわない。世の中には「こっち側じゃないと、落ち着いてうまく眠れない」という人も多いようだが、僕の場合そんなことはない。相手の女性は選ぶけど(当たり前だ)、サイドは選ばない。>【右か左か】
……サイドは選ばないけど、ひとつのベッドでいっしょに寝てくれる女性がいない。カミさんも一応、女性なんだけどねえ(^^ゞ。
<人と人との出会いには「また今度」はないんだと思いつつ、僕らは生きて行かなくてはならないのかもしれない>【夢を見る必要がない】
……まさに、人生は一期一会だ。
<これも古い話しになるけど、地下鉄銀座線の車両はその昔、駅に停車する直前に必ずばたっと照明が消えた。そして乗客は一秒くらい漆黒の闇の中に置かれた。いつの間にか設備が改良され(たのだろう)、そんなこともなくなったが、僕はあれがなぜか好きだった。真っ暗になるたびに、「そうだ、人が目的地に着く直前には常に深い闇が訪れるんだ」と一人で勝手に肯(うなず)き省察し、『サウンド・オブ・サイレンス』の出だしの一節、Hello darkness, my old friend を口ずさんでいた。
そういう意味で、最近の銀座線は乗っていてあまり楽しくない。もちろん人々は何も僕を楽しませ、省察させるために電車を走らせているのではないから、まあそれはしょうがない。でも旧式の銀座線車両に乗ったことがある人とない人とでは、人生の暗転に対する覚悟の度合いがつまみひとつ半くらい違っていると思う。それも僕の個人的自説のひとつだ。>【やあ暗闇、僕の旧友】
……“一秒くらい漆黒の闇の中に置かれた”と村上さんは書いているけど、照明が消えている間だけ、各ドアの脇か車両の端のドアの脇かにあった小さな電球がポッと灯った、という記憶がある。
ちょっと不思議な感覚を覚える一瞬だった。“人生の暗転に対する覚悟の度合い”は、乗ったことがあるから違っているかも(^^ゞ。
<会社って「問題があるもの」が好きじゃないんだなとつくづく思う。不揃いなもの、前例のないもの、発想の違ったものを、それはほとんど自動的に排除していく。そんな流れの中で、個人として「腹をくくれる」社員がどれくらいいるかで、会社の器量みたいなものが決まっていくような気がする。
僕が考えて何がどうなるというものではないんだけど、日本経済はこれからいったいどうなっていくんでしょうね。>【もうやめちまおうか】
……夫婦という組織(?)も同じかもしれない。“腹をくくれる”ことが大事?!(^^ゞ
<そんなにしょっちゅうではないけど、たまに道を歩いていて読者(なんだろうな)に声をかけられて、握手を求められ、「お会いできて嬉しかったです」と言われることがある。そのたびに「僕なんか毎朝、鏡で自分の顔を見てるけど、そのたびにうんざりしてますよ」と言いたくなる。そんなものを街角で目撃して、何がどう嬉しいのか。
とはいえまあ、そういうものでもないのだろう。こんなもので少しでも喜んでいただければ、僕としては何よりです、はい。>【ちょうどいい】
……バカ親父が使っている鏡は、一辺が5cmの四角い携帯用の鏡。それより大きい鏡は必要ない。自分の顔なんて、別に見たくもない(~_~)。
<(前略)本を所有することにもとくに関心はない。読んだ本は、あとで役立ちそうなものは別にして、適当に処分してしまう。
それでもたまに自分の本棚を見渡し、幾多の引っ越しを生き延びてきた古い本の背表紙を眺めていると、「そうか、僕という人間は結局のところ、本によってつくられてきたんだな」と実感する。何しろ、多感な青春時代を通して、書物による情報のインテイクが圧倒的だったので、そのへんでとりあえず人間がひとつ出来上がってしまっている。「女たちが私という人間をつくった」なんてさらっと言えるとかっこいいんだけど、そうじゃなくて、僕の場合は本です。もちろん「女たちが私にいくつかの変更を加えた」くらいのことは言えるけど。>【本が好きだった】
……僕の場合も本です。もちろん、「結婚後はカミさんが私に多大の変更を加えた」とは言えるけど。
<僕の小説の読者は昔から一貫して、だいたい男女半々です。そして女性読者にはきれいな方が多いです。いや、ほんとに。>【男性作家と女性作家】
……バカ親父のこのブログの女性読者にはきれいな方が多いです。いや、たぶん(~_~)。
<この人生においてこれまで、本当に悲しい思いをしたことが何度かある。それを通過することによって、体の仕組みがあちこちで変化してしまうくらいきつい出来事。言うまでもないことだけど、無傷で人生をくぐり抜けることなんて誰にもできない。でもそのたびにそこには何か特別の音楽があった。というか、そのたびにその場所で、僕は何か特別の音楽を必要としたということになるのだろう。
ある時にはそれはマイルズ・デイヴィスのアルバムだったし、ある時にはブラームスのピアノ協奏曲だった。またある時それは小泉今日子のカセットテープだった。音楽はその時たまたまそこにあった。僕はそれを無心に取り上げ、目に見えない衣として身にまとった。
人はときとして、抱え込んだ悲しみやつらさを音楽に付着させ、自分自身がその重みでばらばらになってしまうのを防ごうとする。音楽にはそういう実用の機能がそなわっている。
小説にもまた同じような機能がそなわっている。心の痛みや悲しみは個人的な、孤立したものではあるけれど、同時にまたもっと深いところで誰かと担(にな)いあえるものであり、共通の広い風景の中にそっと組み込んでいけるものなのだということを、それらは教えてくれる。
僕の書く文章がこの世界のどこかで、それと同じような役目を果たしてくれているといいんだけどと思います。心からそう思う。>【ベネチアの小泉今日子】(太字は、本書での傍点部分である)
……小説というか本というか、本(活字)を読むことで悲しみや辛さをしのぐことができた、ということはありましたね。音楽も同じかな。それは一種の“逃げ”だったかもしれませんが、バカ親父にとっては必要なものだったような気がします。
“僕の書く文章がこの世界のどこかで、それと同じような役目を果たしてくれているといいんだけどと思います”けど、無理か~(^^ゞ。
さて、このくらいで終わりにしようと思うのだが、各エッセイの終わりに「今週の村上」という一言が載せられている。
これも、ちょっと面白いので、いくつか引用してみる。
・ 必要があって、先日生まれて初めてバンダナを買いました。悪いことしてないんだけど、なんかどきどきしました。
・ 信号待ちの間サイドミラーで近くの猫を観察していたら、信号が変わったのを見逃して後ろの車に叱られました。
・ 「ワープロ」とか「ミニスカ」とか略されるのに、なぜセイタカアワダチソウはちっとも短くならないのだろう?
・ 「婚約破棄」と聞くといつも捨てられたコンニャクを思い浮かべるんだけど、下らないですね。
・ ホワイト・デーのお返しって一度もしたことないんだけど、たたりみたいなことがあるのかな?
・ 暗闇の中ですき焼きを食べるのってけっこうむずかしそうですね。とくにしらたきなんか。
・ 鮨職人がベルトコンベアに載ってやってくる回転鮨ってないですね。目がまわるからかな?
・ 「かっぱらいに注意」という看板。誰かがマジックで「らい」を塗りつぶしていた。暇な人がいる。
・ 水洗トイレに「大小」というレバーがあるけど、あれは「強弱」じゃいけないんでしょうか?
・ アリクイにディープキスされるのも大変そうですよね。そんなことわざわざ考えなくてもいいんだけどさ。
・ 「若葉マーク」と「紅葉マーク」を並べてつけている車を見たことありますか? あまり近寄りたくないですよね。
<今日のお薦め本>
『おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2』 村上春樹 文、大橋 歩 画、マガジンハウス 刊、1470円、11.07.07第一刷発行
この本は、『anan』No.680(2009年10月21日号)、No.1698(2010年3月3日号)、No.1701(2010年3月24日号)~No.1750(2011年3月23日号)に掲載された連載「村上ラヂオ」を加筆修正してまとめたものだそうです。
<後記>肩の力を抜いて、わりと気楽に読めるエッセイ集です(^^ゞ。
村上さんは自分のエッセイは“どうでもいいような話”と書いています。
とはいえ、なかなか深いものもあるし、なるほどと勉強になるところも多々あります。
最後にまた何ですが、「エッセイはむずかしい」というエッセイから、少し引用しておきます。
<とはいえ僕にも、エッセイを書くに際しての原則、方針みたいなのはいちおうはある。まずひとつは人の悪口を具体的に書かないこと(これ以上面倒のたねを増やしたくない)。第二に言いわけや自慢をなるべく書かないようにすること(何が自慢にあたるかという定義はけっこう複雑だけど)。第三に時事的な話題は避けること(もちろん僕にも個人的な意見はあるけど、それを書き出すと話が長くなる)。>
ブログを書くについても、ある意味参考になるかもしれない、と思った箇所でした。
今日は北風が吹いて肌寒いです。最高気温が24℃、最低気温が22℃という予報です。昨日までは半袖に半ズボンでしたが、今日は長袖・長ズボンです(^^ゞ。
昨日の夕方の散歩の時の写真です。
小雨は降っていましたが、SORAとサッカー遊びをしました。
空には、黒い雲が南から北へ急速に流れていました。
ねぐらに帰るカラスも飛びにくそうでした。
この記事へのコメント
わたしも村上さんの書くエッセーの方は普通にさらさら読めるのになぜか小説の方は相性が悪いのか退屈で読み進めなくなり途中で挫折してしまうんですよね。
仲間がいて安心しました。
わたしは「遠い太鼓」が好きで時々読み返したりもします。
>ひょっとすると、村上さんの小説は上戸が、エッセイは下戸が好きなのかもしれない(~_~)。
この見解当たってますよ。
わたしも下戸ですから。(^.^)
間違いなく私も昔の美人です(^0^)
言うのはかってですも~~ん♪
このブログは確認できない事が良い・・・なんてね!
申し訳ないけど村上さんの本には何故だか手が出なかったわ
昔は本屋で手にして選んでいたのに最近は行っても選べなくて買わない事が多いけど
それでも年を取りミーハーになってきたらしく
星守る犬の本を買ってしまいました
やはり村上さんの小説を読み進めなくなっちゃいますか~(^^ゞ。バカ親父も、仲間がいて安心しました。なぜでしょうね(~_~)。
さっき、このランプリングさんのコメントを読んでいたので、「遠い太鼓」をついでのあった本屋で手に入れました。読み出がありそうですね。面白そうなので、じっくりと読んでみます。
アハハ、下戸でしたか。上戸と下戸で好みが分かれそうな気がしますよね(~_~)。
上戸の方で村上さんのエッセイは苦手という方が現れたら、面白いですね(^^ゞ。
大橋歩さんとの『村上ラヂオ』、うちの本棚にもあります。第2弾が出たんですね。これは絶対、買わなくちゃ♪
だいぶ前のそちらのブログで、姫様と遊んでいる写真を見て、すらっと背の高い美人(?)というイメージを持ってます(~_~)。最近のトップの写真で、髪の毛はだいぶ白っぽくなっていたような……(^^ゞ。
バカ親父も、昔のイケメンです。今はもう見る影もない(~_~)。ブログではイメージだけというのが、いいのかもしれませんね(^^ゞ。
村上さんの作品は読んでませんか。上戸のさらばぁば♪さんでも、このエッセイは面白いんじゃないかと思います(~_~)。
『星守る本』、買っちゃいましたか。犬と人との絆の話だし、姫様と車で旅をしているから、特別な感慨があるかもしれませんね(^^ゞ。
ウーロン茶が大好きなら、村上さんのエッセイとの相性はいいんでしょうね(~_~)。
最初の『村上ラヂオ』は、村上さんのエッセイの中でも独特の雰囲気をもっていたと思います。この第2弾もいいですよ。絶対に買って損はないと思います(^^ゞ。
知り合いの村上さんの小説のファンは酒豪ですそして訳の解らない人です???その人の話を聞いて、村上さんの本は読まないと決めてます。
アハハ、お知り合いは酒豪で村上さんの小説のファンで、訳のわからない方なんですね(~_~)。
なんとなく読みたくないということはわかりますが、一度は村上さんの本を読んでもいいかもです。ひょっとしたら、面白いと感じるかもしれません。下戸でも(^^ゞ。
ただ、イラストは安西水丸さんや和田誠さんのほうが好みです。
話は変わりますが。小川洋子さんの「人質の朗読会」もかなりいいです♪
私も村上春樹さんは何となく苦手なのですが、大橋歩さんは『アルネ』の創刊号からのファンなので、あの大橋さんの挿絵のエッセイなら、と『村上ラヂオ』も買って読みました。
小説は村上春樹さんのイメージに合う感じが勝手にして(笑)途中でやめちゃったりしましたが、『エッセイ』は
「なんだ、この人面白くてイイ人じゃん!」なんて思いながらすらすら読みました。(笑)
大橋さんの『アルネ』も終わっちゃってつまらない、と思っていたところ、今回の『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』 を本屋さんで見つけてすぐ読みました。
今回の『エッセイ』も前と変わらず中々面白かったです。ちっちゃい字の『今週の村上』もいいですよね。(^^♪
『ノルウェイの森』を読んだだけでも、バカ親父からすればスゴイと思います(~_~)。
『うずまき猫の見つけ方』は読んでいませんが、面白かったですか。かるきちさんは、下戸だった?!(^^ゞ。
四月うさぎさんは、かなりの美人だと思います。いや、ほんとに……いや、たぶん(~_~)。
イラストは、バカ親父も安西水丸さんや和田誠さんが好きですが、この『村上ラヂオ』シリーズに関しては、大橋歩さんのものが合っているような気がします。銅版画がいいです。
話は変わりますが、新潮文庫から『青豆どうふ』という安西さんと和田さん共著が出ました。以前に単行本になっているから既読かもしれませんが、“文庫版のおまけ”として村上さんがあとがきのようなものを書いています。本屋ででも読んでみてください(~_~)。
小川洋子さんの『人質の朗読会』は気になっています。かなりいいですか~。読むかもしれません(^^ゞ。
『アルネ』のファンは多いようですが、終わっちゃったんですね。バカ親父にとっての大橋歩さんは『平凡パンチ』の表紙絵からです(~_~)。大橋さんの文章もなかなかいいです。
この『村上ラヂオ』のイラストというか銅版画は、本とマッチしていて好きです。
村上春樹さんのイメージがあんまり好きじゃないのかな?(^^ゞ。バカ親父は特別のイメージは持っていませんが、小説は苦手です(~_~)。
『村上ラヂオ』もこの『村上ラヂオ2』も軽いタッチで書かれているけど、なかなか中身が濃いものがあって面白いですね。
「今週の村上」はクスッと笑えて、ユーモアがあっていいですね(~_~)。
しかし村上さんの真摯な態度は好きです。
エルサレム賞での「わたしはタマゴの側に立つ」発言は拍手でした。
エッセイもわかりやすくて最後の一行が好きです。
きのうは暑さが一休みでヤレヤレでしたね。夕方には一時青空がでてました。今日も暑くないそうで、リリィの散歩が助かります(^^♪
エッセイはあまり読みませんが、これは面白そうですね。小説で見せる複雑さがあまり感じられません。
私が読んだといえるのは『風の歌を聴け』『ノルウェーの森』『やがてかなしき外国語』の三冊ですが、『やがて…』を読んだのは2年くらい前で、その当時も読んでいて何となく遊哉さんの文章に似てると思ったことがありました。エッセイは書き手の心の声が聞けて、自分の気付かなかったことを気付かせてくれることもあって興味深いです。
ところで、私は下戸に近く飲む内には入らないけど夏の生ビール、冬の熱燗、最初の一口が好きです(o^-^o)
昔、「ノルウェイの森」読みましたけど時間かかりました^^頭に入っていかなくて。
でもこのエッセイはタイトルも内容も面白そう!こっそり生活の楽しさを教えてもらえそうですね(~~)
「わたしはタマゴの側に立つ」の発言はなかなかのものでした。カタルーニャ国際賞の受賞スピーチもよかったです。日本のあり方、世界のあり方を真面目に考えているんでしょうね。
エッセイはちょっとヒネリやユーモアがあって、面白いと思います。短めのほうがいいかもしれません。この『村上ラヂオ』はちょうどその長さがバッチリだとおもいます(^^ゞ。
昨日は寒いくらいでしたね。夕方の空は雲もあったけど、青空が出て気持ちがよかったです。
今日も涼しくて過ごしやすいですね。リリィちゃんやSORAには、いい散歩日和ですね(~_~)。
『海辺のカフカ』でごちそうさまですか(~_~)。村上さんの小説は、少しずつ読んでいると、わからなくなっちゃうかもしれません。ある程度一気に読んだほうがいいのかなあ(^^ゞ。
このエッセイ集は雑誌に連載されたものだから、長さが短めで一定しているからか、とても読みやすいです。中身は濃いけど気楽に書かれているという感じでしょうか。ヒネリもあって面白いです。よかったら、読んでみてください(~_~)。
その3冊はPiccoloさんらしい選択かもしれない、と思いました(^^ゞ。
実は、このエッセイを読んでいて、自分でもなんだか村上さんの文章と似ているところがあるな、と思いました(^^ゞ。今までそれほど村上さんの作品を読んでいるわけでもないし、意識したこともないんですけどね。村上さんも団塊の世代ですが、同じ時代を生きてきたから、どこかで似ているところがあるのかもしれません(~_~)。
エッセイって面白ですよね。それぞれの人の本職の仕事ではわからなかった本音というか裏側を知ることができるような気がします。その人のエッセンスが表れているような感じもします。教えられる、あるいは気付かせてくれることもありますね。
“夏の生ビール、冬の熱燗、最初の一口が好きです”か~。上戸の素質が潜んでいるかも(~_~)。
村上さんの小説は、気持ちを引き締めていないと読み進めないのかもしれません(^^ゞ。『ノルウェイの森』を読み終わっただけでも、尊敬しちゃいます(~_~)。
このエッセイ集の各タイトルが洒落てるでしょ。中身も村上さんが考えたこと、仕事に関すること、観察したことなどがユーモアとヒネリを利かせて書いています。なかなか面白いです。よかったら、読んでみてください(~_~)。
そういう男がいたら気持ち悪いですね。(~o~;
それに比べたら、女性は大変ですね。女性でなくてよかったです(~_~)。
男と女の考え方が違う原因の一つに、鏡を使う時間や使い方があるかもしれません(~_~)。
いつも丁寧でまとまった文章をマメに書かれていて関心します。
私も村上春樹、、挑戦したこと有るのですが、中座ですね。風の歌を聞け、、くらいですかね、完読したのは。世界に誇る村上春樹なのにね。エッセイは読んだことないです。でもこのエッセイは読みやすそうですね。目の方が回復したので最近また読書はじめました。参考にささせていただきます。
遊哉さん、イクジイぶりもすっかり板につき、写真撮影もどんどんお上手になってきていますね。
時々、こういう長いのを書きますが、最近は写真が主体の記事が増えてます(^^ゞ。
村上さんの『風の歌を聴け』を一冊でも完読したんなら、バカ親父からみれば大したものです(~_~)。どうも小説は途中で挫折してしまいます。
このエッセイのシリーズは1も2も、とても読みやすいと思うし、masaさんの好みにも合っているような気がするので、よかったら読んでみてください。
イクバァバに助けられてのイクジイですが、なんとかやってます(^^ゞ。
写真、上手くなってますか~。そう言ってもらえると嬉しいです(~_~)。
いつも気持玉を、たくさんありがとうございます。m(__)m
村上春樹さんの小説は何故か私も苦手で、ノルウェーの森は一生懸命読んだのですが、雲の上を歩いているような感覚・・遠い感覚で、こうした本が好きな人もいるんだなぁ・・という感想で、他の本も手が出ません。(^^ゞ
でも、このエッセィ集は紹介されている文だけでも面白そうで、読んでみたくなりました。
村上さんの小説は苦手ですか(^^ゞ。『ノルウェーの森』は好きな方が多いようなのですが、バカ親父は読み進められませんでした。読んだだけでも、大したものです(~_~)。
このエッセイは読みやすいですが、中身はなかなか深いものがあります。よかったら、読んでみてください(~_~)。