『バン、バン! はい死んだ』
20世紀を代表する英国の女流作家ミュリエル・スパークの日本オリジナル短篇集『バン、バン! はい死んだ』を紹介してみる。
次のような3ジャンルに分けられ、15篇が収められている。
世渡り上手と世渡り下手
ポートベロー・ロード(The Portobello Road)
遺言執行者(The Executor)
捨ててきた娘(The Girl I Left Behind Me)
警察なんか嫌い(The Thing about Police Stations)
首吊り判事(The Hanging Judge)
自信家たち
双子(The Twins)
ハーパーとウィルトン(Harper and Wilton)
鐘の音(Chimes)
バン、バン! はい死んだ(Bang-Bang You're Dead)
占い師(The Fortune-Teller)
頭の中をのぞいてみれば……
人生の秘密を知った青年(The Young Man Who Discovered the Secret of Life)
上がったり、下がったり(Going Up and Coming Down)
ミス・ピンカートンの啓示(Miss Pinkerton's Apocalypse)
黒い眼鏡(The Dark Glasses)
クリスマス遁走曲(Christmas Fugue)
本書は、昨年の11月に発行され、あちこちの書評に紹介されていてちょっと気になっていた。
実は、『週刊文春』(昨年12月26日号)書評欄の「私の読書日記」にも池澤夏樹さんが取り上げていて、それを読んで読みたくなって読んでみたのである(^^ゞ。
次のようなものだった。
<×月×日
少しばかり本気の小説論から始めたい。
小説における作者と主人公の関係、これがなかなかむずかしい。
両者の重なりが深いと、作物はいわゆる私小説になる。自分の体験をほとんどそのまま書く。
主人公への肩入れの度合いはさまざまだから、突き放して彼らをいじめる作者もいる。それはなぜかイギリスに多い。あの国の気質なのだろう。
ミュリエル・スパークという女性の作家がいて(一九一八年生まれ、ぼくらの父母の世代)、この人が本当に意地が悪い。登場人物をひどい目にあわせる。
それは『バン、バン! はい死んだ』(木村政則訳 河出書房新社 2200円+税)というタイトルを見ただけでわかるだろう。いきなり撃たれて死なされるのだから。
人生にはとんでもないことが起こるものだ、というのがこの作家の基本思想。神は意地が悪い。十五の短篇ぜんぶにその実例が溢れている。
表題作のヒロインはシビル、語りの時期にはもう初老だろうか。
子供の時、シビルはデジレという遊び友だちを得た。一見して二人はよく似ているが、性格はまるで違う。デジレは浅はかで、他の子も入れて遊ぶゲームのルールを理解せず、いきなり相手を撃って死んだと宣言する。いくら説明してもわからない。
二十年後、この二人が偶然アフリカの植民地の小さなコミュニティーで再開する。
そして男たちが絡む複雑な経緯があって、事件が起こる。読者はその場面の直後の「相手を間違えたことに」というたった十文字のセンテンスに戦慄する。伏線は多々あったのに、見事に足をすくわれる。その衝撃はミステリの謎解きなどの比ではない。
この話をスパークは十八年後のシーンを作って提示する。事件の頃のコミュニティーを撮った素人映画があって、ずっとしまわれたままだったのが上映されることになる。友人たちに囲まれてそれを見るシビルの心中の思いとみんなの反応が交錯する。
三つの時期を立体的に配置して実に巧妙に組み立てられた物語。
感傷的な人間観を排除する。ぜったいに人生に甘えない。それを伝達するために主人公たちにとんでもない試練を与える。
そのためには臆面もなく超常現象まで駆使する。「占い師」、女同士の呪力の隠れた闘いとか、「捨ててきた娘」の忘れ物とか。
スパークは読者の反応を冷徹に計算している。驚愕の一瞬に向けて緻密に罠を仕掛け、完璧な技法でそこに誘い込む。
「捨ててきた娘」は六ページに満たない短い話だが、ぎりぎりまで先行きがわからない。最後の三行で二回転横捻り宙返りして、ぴたっと着地。まいった!
イギリスの作家は、と先に書いた。サキ、サマセット・モーム、イーヴリン・ウォー、ジョン・ファウルズ、ロアルド・ダール……登場人物を窮地に追い込む意地悪な作家にはこと欠かない国なのだ。
×月×日
それに比べると日本の作家は優しい。>
さて、どうだろう?! 読みたくなったのではなかろうか(^^ゞ。
著者のスパークはテレビドラマにもなった長篇『ミス・ブロウディの青春』で有名な作家だが、「私は皮肉と嘲笑の芸術を擁護します」と主張したという。
この短篇集でも、ドタバタ喜劇風の作品があるかと思えば、悪意に満ちたあるいは一癖も二癖もある登場人物が出てきたり、不条理だったり悲哀や狂気を主題にした作品があったりして、人間のもつ裏側を皮肉・諧謔に満ちた目で見ているようだ。
池澤さんが書いているように、スパークは“登場人物を窮地に追い込む意地悪な作家”なのだろう。
また、「火花はじける(スパーク)面白さ」と副題のつけられた「訳者あとがき」で、こんなことが書かれている。
<スパークは、喜劇と悲劇の区別なしに、嫉妬や詐欺や不倫や脅迫や殺人など、日常生活の中で不意に現れる悪を執拗に描く。「人間は向上心が強くて愛情にあふれた愛すべき生き物である」という性善説に基づいた考えなど「幻想」でしかない。そのことを私たちに認識させようとしている。重要なのは、スパークがそういう醜悪な現実を描くとき、イギリス小説のお家芸とも言える伝統的な泥臭いリアリズムをあっさり破壊してしまう点である。真の芸術家は見たままの現実を別の物へと変えなければならない。そう主張するスパークは、いざ現実を変容させるとき、当たり前のように非現実を滑り込ませる。言い換えれば、物語の同一平面上に、現実と非現実――たとえば、生きている者と死んでいる者――を何食わぬ顔で併存させる。>
池澤さんも書いているが、スパークは“読者の反応を冷徹に計算している。驚愕の一瞬に向けて緻密に罠を仕掛け、完璧な技法でそこに誘い込む”のである。
巧妙な構成で物語が進み、最後に「ワオーッ!」と叫んでしまいそうになる短編集である(^^ゞ。
<今日のお薦め本>
『バン、バン! はい死んだ ― ミュリエル・スパーク傑作短篇集 ― A SELECTION OF STORIES by Muriel Spark』 ミュリエル・スパーク 著、木村政則 訳、河出書房新社 刊、2310円、13.11.30. 初版発行
巻末から、著者について紹介しておく。
<ミュリエル・スパーク(1918-2006)
イギリスを代表する詩人、作家。1918年スコットランドのエディンバラで生まれた。長篇に『死を忘れるな』『ミス・ブロウディの青春』『運転席』『ホットハウスの狂影』『シンポジウム』、ブッカー賞候補となった Loitering with Intent などがある。小説のほかに児童書、ラジオドラマ、戯曲、メアリー・シェリーやエミリー・ブロンテの評伝も書いた。
短篇デビュー作「熾天使とザンベジ川」でオブザーヴァー紙短篇賞を受賞して注目され、英国文学賞、T.S.エリオット賞をはじめ、エドマンド・キャンピオン賞、スコットランドの年間ベストブックに与えられるサルタイア賞、ボッカチオ国際文学賞、ゴールデン・ペン功労賞など受賞多数。ロンドン大学、エディンバラ大学、オックスフォード大学ほかから名誉学位を授与されている。1993年には大英帝国勲章(DBE)を受章。2006年、フィレンツェにて88歳で逝去。>
<後記>本書には、「ポートベロー・ロード」と「バン、バン! はい死んだ」というアフリカを舞台にした物語がありますが、「訳者あとがき」によれば、スパークは19歳の時13歳年上の英語教師シドニー・オズワルド・スパークと婚約後に南ローデシア(現ジンバブエ)に渡り、そこで結婚したそうです。
アフリカでの現実は予想以上に悲惨で、白人移住者たちによる現地人への人種差別や暴力が日常茶飯事で、彼女は結局、白人社会には溶け込めず、孤立したということです。
しかも夫の精神病と暴力が重なって結婚生活は破綻し、離婚に至りますが、幼い息子の将来を考えて、スパークの姓を名乗ったということです。
また戦時中は、短い間ですが諜報活動(対ドイツ情報操作)にも携わったそうです。
アフリカが悪の存在を彼女に教え、諜報活動が世界が陰謀に満ちていることを教え、真実と嘘を混ぜ合わせてもっと大きな嘘をでっちあげるというフィクションの創作の秘儀を彼女に伝えたようです。
人のマイナス面を、喜劇性と悲劇性の両面から、皮肉と嘲笑を込めて突き放しながら描いていて、哀切で辛辣ですが一種痛快さ(?)も感じさせるとても面白い短編集です。
今日(24日)は、カミさんに散髪をしてもらいました。
夕方、カミさんは美容院に行きました(^^ゞ。
ということで、SORAと散歩に出ました。今日も快晴で陽射しが強かったです。
公園の原っぱに行って、SORAのウロウロクンクンにつき合いました。
公園のあちこちでユキヤナギが咲いています。
原っぱの端っこのベンチにSORAと座って、落日を眺めることにしました。
西空から雲が湧き出てくるようです。
飛行機雲が1本見えましたが、消えずに長く尾を伸ばしていきました。
夕日は一度雲に少しだけ隠れましたが、また現れました。
斜面を下りて帰り始めたんですが、もう一度落日を見たくて上りなおしました(^^ゞ。
写真を並べてみます。
帰ることにしました。
明日(25日)は、曇りがちのようですが気温は上がるようです。
次のような3ジャンルに分けられ、15篇が収められている。
世渡り上手と世渡り下手
ポートベロー・ロード(The Portobello Road)
遺言執行者(The Executor)
捨ててきた娘(The Girl I Left Behind Me)
警察なんか嫌い(The Thing about Police Stations)
首吊り判事(The Hanging Judge)
自信家たち
双子(The Twins)
ハーパーとウィルトン(Harper and Wilton)
鐘の音(Chimes)
バン、バン! はい死んだ(Bang-Bang You're Dead)
占い師(The Fortune-Teller)
頭の中をのぞいてみれば……
人生の秘密を知った青年(The Young Man Who Discovered the Secret of Life)
上がったり、下がったり(Going Up and Coming Down)
ミス・ピンカートンの啓示(Miss Pinkerton's Apocalypse)
黒い眼鏡(The Dark Glasses)
クリスマス遁走曲(Christmas Fugue)
本書は、昨年の11月に発行され、あちこちの書評に紹介されていてちょっと気になっていた。
実は、『週刊文春』(昨年12月26日号)書評欄の「私の読書日記」にも池澤夏樹さんが取り上げていて、それを読んで読みたくなって読んでみたのである(^^ゞ。
次のようなものだった。
<×月×日
少しばかり本気の小説論から始めたい。
小説における作者と主人公の関係、これがなかなかむずかしい。
両者の重なりが深いと、作物はいわゆる私小説になる。自分の体験をほとんどそのまま書く。
主人公への肩入れの度合いはさまざまだから、突き放して彼らをいじめる作者もいる。それはなぜかイギリスに多い。あの国の気質なのだろう。
ミュリエル・スパークという女性の作家がいて(一九一八年生まれ、ぼくらの父母の世代)、この人が本当に意地が悪い。登場人物をひどい目にあわせる。
それは『バン、バン! はい死んだ』(木村政則訳 河出書房新社 2200円+税)というタイトルを見ただけでわかるだろう。いきなり撃たれて死なされるのだから。
人生にはとんでもないことが起こるものだ、というのがこの作家の基本思想。神は意地が悪い。十五の短篇ぜんぶにその実例が溢れている。
表題作のヒロインはシビル、語りの時期にはもう初老だろうか。
子供の時、シビルはデジレという遊び友だちを得た。一見して二人はよく似ているが、性格はまるで違う。デジレは浅はかで、他の子も入れて遊ぶゲームのルールを理解せず、いきなり相手を撃って死んだと宣言する。いくら説明してもわからない。
二十年後、この二人が偶然アフリカの植民地の小さなコミュニティーで再開する。
そして男たちが絡む複雑な経緯があって、事件が起こる。読者はその場面の直後の「相手を間違えたことに」というたった十文字のセンテンスに戦慄する。伏線は多々あったのに、見事に足をすくわれる。その衝撃はミステリの謎解きなどの比ではない。
この話をスパークは十八年後のシーンを作って提示する。事件の頃のコミュニティーを撮った素人映画があって、ずっとしまわれたままだったのが上映されることになる。友人たちに囲まれてそれを見るシビルの心中の思いとみんなの反応が交錯する。
三つの時期を立体的に配置して実に巧妙に組み立てられた物語。
感傷的な人間観を排除する。ぜったいに人生に甘えない。それを伝達するために主人公たちにとんでもない試練を与える。
そのためには臆面もなく超常現象まで駆使する。「占い師」、女同士の呪力の隠れた闘いとか、「捨ててきた娘」の忘れ物とか。
スパークは読者の反応を冷徹に計算している。驚愕の一瞬に向けて緻密に罠を仕掛け、完璧な技法でそこに誘い込む。
「捨ててきた娘」は六ページに満たない短い話だが、ぎりぎりまで先行きがわからない。最後の三行で二回転横捻り宙返りして、ぴたっと着地。まいった!
イギリスの作家は、と先に書いた。サキ、サマセット・モーム、イーヴリン・ウォー、ジョン・ファウルズ、ロアルド・ダール……登場人物を窮地に追い込む意地悪な作家にはこと欠かない国なのだ。
×月×日
それに比べると日本の作家は優しい。>
さて、どうだろう?! 読みたくなったのではなかろうか(^^ゞ。
著者のスパークはテレビドラマにもなった長篇『ミス・ブロウディの青春』で有名な作家だが、「私は皮肉と嘲笑の芸術を擁護します」と主張したという。
この短篇集でも、ドタバタ喜劇風の作品があるかと思えば、悪意に満ちたあるいは一癖も二癖もある登場人物が出てきたり、不条理だったり悲哀や狂気を主題にした作品があったりして、人間のもつ裏側を皮肉・諧謔に満ちた目で見ているようだ。
池澤さんが書いているように、スパークは“登場人物を窮地に追い込む意地悪な作家”なのだろう。
また、「火花はじける(スパーク)面白さ」と副題のつけられた「訳者あとがき」で、こんなことが書かれている。
<スパークは、喜劇と悲劇の区別なしに、嫉妬や詐欺や不倫や脅迫や殺人など、日常生活の中で不意に現れる悪を執拗に描く。「人間は向上心が強くて愛情にあふれた愛すべき生き物である」という性善説に基づいた考えなど「幻想」でしかない。そのことを私たちに認識させようとしている。重要なのは、スパークがそういう醜悪な現実を描くとき、イギリス小説のお家芸とも言える伝統的な泥臭いリアリズムをあっさり破壊してしまう点である。真の芸術家は見たままの現実を別の物へと変えなければならない。そう主張するスパークは、いざ現実を変容させるとき、当たり前のように非現実を滑り込ませる。言い換えれば、物語の同一平面上に、現実と非現実――たとえば、生きている者と死んでいる者――を何食わぬ顔で併存させる。>
池澤さんも書いているが、スパークは“読者の反応を冷徹に計算している。驚愕の一瞬に向けて緻密に罠を仕掛け、完璧な技法でそこに誘い込む”のである。
巧妙な構成で物語が進み、最後に「ワオーッ!」と叫んでしまいそうになる短編集である(^^ゞ。
<今日のお薦め本>
『バン、バン! はい死んだ ― ミュリエル・スパーク傑作短篇集 ― A SELECTION OF STORIES by Muriel Spark』 ミュリエル・スパーク 著、木村政則 訳、河出書房新社 刊、2310円、13.11.30. 初版発行
巻末から、著者について紹介しておく。
<ミュリエル・スパーク(1918-2006)
イギリスを代表する詩人、作家。1918年スコットランドのエディンバラで生まれた。長篇に『死を忘れるな』『ミス・ブロウディの青春』『運転席』『ホットハウスの狂影』『シンポジウム』、ブッカー賞候補となった Loitering with Intent などがある。小説のほかに児童書、ラジオドラマ、戯曲、メアリー・シェリーやエミリー・ブロンテの評伝も書いた。
短篇デビュー作「熾天使とザンベジ川」でオブザーヴァー紙短篇賞を受賞して注目され、英国文学賞、T.S.エリオット賞をはじめ、エドマンド・キャンピオン賞、スコットランドの年間ベストブックに与えられるサルタイア賞、ボッカチオ国際文学賞、ゴールデン・ペン功労賞など受賞多数。ロンドン大学、エディンバラ大学、オックスフォード大学ほかから名誉学位を授与されている。1993年には大英帝国勲章(DBE)を受章。2006年、フィレンツェにて88歳で逝去。>
<後記>本書には、「ポートベロー・ロード」と「バン、バン! はい死んだ」というアフリカを舞台にした物語がありますが、「訳者あとがき」によれば、スパークは19歳の時13歳年上の英語教師シドニー・オズワルド・スパークと婚約後に南ローデシア(現ジンバブエ)に渡り、そこで結婚したそうです。
アフリカでの現実は予想以上に悲惨で、白人移住者たちによる現地人への人種差別や暴力が日常茶飯事で、彼女は結局、白人社会には溶け込めず、孤立したということです。
しかも夫の精神病と暴力が重なって結婚生活は破綻し、離婚に至りますが、幼い息子の将来を考えて、スパークの姓を名乗ったということです。
また戦時中は、短い間ですが諜報活動(対ドイツ情報操作)にも携わったそうです。
アフリカが悪の存在を彼女に教え、諜報活動が世界が陰謀に満ちていることを教え、真実と嘘を混ぜ合わせてもっと大きな嘘をでっちあげるというフィクションの創作の秘儀を彼女に伝えたようです。
人のマイナス面を、喜劇性と悲劇性の両面から、皮肉と嘲笑を込めて突き放しながら描いていて、哀切で辛辣ですが一種痛快さ(?)も感じさせるとても面白い短編集です。
今日(24日)は、カミさんに散髪をしてもらいました。
夕方、カミさんは美容院に行きました(^^ゞ。
ということで、SORAと散歩に出ました。今日も快晴で陽射しが強かったです。
公園の原っぱに行って、SORAのウロウロクンクンにつき合いました。
公園のあちこちでユキヤナギが咲いています。
原っぱの端っこのベンチにSORAと座って、落日を眺めることにしました。
西空から雲が湧き出てくるようです。
飛行機雲が1本見えましたが、消えずに長く尾を伸ばしていきました。
夕日は一度雲に少しだけ隠れましたが、また現れました。
斜面を下りて帰り始めたんですが、もう一度落日を見たくて上りなおしました(^^ゞ。
写真を並べてみます。
帰ることにしました。
明日(25日)は、曇りがちのようですが気温は上がるようです。





















この記事へのコメント
身も蓋もない小説というのがあります。
しかし、ハイペースで読んでおられますね~
ねこのひげは積読の山が高くなるばかりであります。
前記事のダイヤモンド富士は見事でありますね。
すばらしいです。
本は読める時と読めない時がありますが、今は読める時のようです(^^ゞ。
積読もいいものです。将来の楽しみがあります(^^ゞ。
ダイヤモンド富士をやっとこさ撮ることができました。ありがとう(^^ゞ。
『バン、バン! はい死んだ』を読んでいてどうしてもわからない個所があったので、もし覚えていらっしゃったら教えてください。
『黒い眼鏡』に出てくる場面なのですが、
姉のドロシーが点眼薬を探し、
茶色の小瓶を手にして
「ないと困るのよ。違うところに置いてないでしょうね。これがそれかしら?」と弟のバジルに聞きます。
そのあと主人公(ジョーン)の気持ちの描写があるのですが、
「これがそれかしら?」という正確な言い方が気になった。正確にすぎる。やはり、この姉弟は変であり、おかしいに違いない。
と書かれています。
「これがそれかしら?」というドロシーのセリフのどこにそんなにひっかかったのでしょうか?
いくら読んでもわかりません。
もしおわかりでしたら是非教えてください。
残念ながら、その場面は覚えていません。読み返したいのですが、本がどこにあるかわかりません(^^ゞ。
しばらく時間をおいて、もう一度読んでみてはいかがでしょうか?
まあそれでも、わからなければ、それはそれで仕方がないと思います。
何年かたって読んでみたら、わかるようになるかもしれませんね。
突然お邪魔させていただいてすみませんでした。
短編は極力説明を省いた簡潔な表現が持ち味である故に、どうもそれってどういうこと?と不可解さを残してしまうことがあります。
ぎりぎりわかるかわからないかの境界線上で書く絶妙さがいいのかもしれませんが、わからなかったときはモヤモヤしてしまいます。。
またちょっとしてから読んでみます。
本当に御返事、ありがとうございました。
素敵なブログ、これからも続けてください。
読み手の人生経験によっても、どのように読むかは異なるかもしれません。
わからずにモヤモヤすることも、意外と大事かもしれません。
いろんな著者の物語を、これからも読んでいってくださいね(^^♪。