『腹を抱へる』
〔昨日の夕空と夕景〕
昨年亡くなった丸谷才一さんのエッセイから69篇を収録した本『腹を抱へる』を紹介してみる。
7つのジャンルに分けられているのだが、目次から各タイトルを拾ってみる。
Ⅰ 女性対男性
幽霊の話から……/マッチの話から……/首相夫人の話から……/タバコの話から……
Ⅱ ゴシップ・ゴシップ
辞書のゴシップ/楽園の言語/男の運勢/神様になる/離れて遠きベトナムの/ガルボ伝説/日系マッカーサー/地理/剣豪譚/ゼノフォービア/小佐野さんのムームー
Ⅲ 閑話休題
酒中閑談/蛸と器/胴あげ考/どちらの……?/孫の手考/甲子園の土/死んでもラッパ/セーラー服/蔵書印/ベルトの研究/花柳文化/不文律についての一考察/犬と猫
Ⅳ 美味しい話
最も日本的なもの/うまい物番付/食品譚/丼物への道/小説作法/劇場の食堂/味噌汁考/団子
Ⅴ ちょっと文学的
詩人たち……/電報譚/立ちて見に来し印南国原/博徒の詩/ラの研究/後悔あとに立つ……/七月六日のこと/手袋/一冊の本/文士のタイトル……
Ⅵ 懐かしい人
出陣/先生の前/植村清二先生の史眼/菊地武一/思ひ出(石田幹之助)/思ひ出(芥川比呂志)/相撲評論家としての吉田秀和/画家としての福永武彦/彼の釣魚大全/国立の旦那のこと
Ⅶ 自伝の材料
郷土ニュース/丸やギ左衛門のこと/夢二懐旧……/お祭について/故郷の味/姓は丹下名は左膳……/わがカミナリ教師時代/三人の読書会/大洋ホエールズ論……/十八年と三十八年/目黒の坂/なぜ書くのか
さて、何か引用して紹介しようと思うのだが、ブログに書くには長い。それでも一番短いと思われるのを一篇紹介しておく。
“Ⅴ ちょっと文学的”の最後の「文士のタイトル……」である。
その前にちょっとお断りを……
この本のタイトルを見てすでにお気づきだと思うが、丸谷さんは旧仮名遣いで文章を書いている。旧仮名遣いの文章なんて読んでいられるかい! なんて方はお読みにならない方がいいとは思うが、なに、ちょっと読んで慣れればどうということはないのである(^^ゞ。
バカ親父も戦前生まれではないので、旧仮名遣いは習った覚えはない。でも、旧仮名遣いで書けと言われても無理だが、読むのはすぐに慣れたので、試しに一度読んでみていただきたい(^^ゞ。
< 文士のタイトル……
開高健さんは同業者に会ふと、
「やあ、巨匠」
と呼びかける。わたしなんかにもさうする。(もつとも、本物の巨匠、つまり井伏鱒二さんなんかに向つては、かうは言はないでせうね。)そこでわたしは、
「やあ、文豪。元気かい?」
なんて言ふのである。言ひながら、巨匠よりも文豪のほうが上みたいだぞ、とちよつと気にするのである。
かういふ種類の最大級の讃辞が最も発達してゐるのは、文壇ではなくて、将棋のほうだ。名人、十段、王将、王位、棋聖、棋王などとタイトルがたくさんあるため、無理やり作り出さなくちやならなかつたのである。まことに必要は発明の母だよね。
このうちいちばん格が上なのはもちろん名人だが、棋聖なんてのもすばらしい。思はず頭が下るやうな肩書である。将棋と聖人とではピッタリしないと思ふ人もゐるかもしれないが、しかし、音楽のほうにだつて楽聖といふのがある。いや、近頃ははやらないから、あつたと言ふべきか。楽聖ベートーヴェンなんて言ひまはしが、すくなくとも戦前は確立してゐた。その伝でゆけば、棋聖がゐたつてをかしくない。何しろ素人の目から見れば、何十手もさきを読むとか、待つたをしないとかだけでも、ほぼ聖人に近いやうな印象を受けるのだ。
すでにして楽聖があり、棋聖がある。とすれば文聖といふ称号があつたつてをかしくないやうなものだが、かういふ言葉はつひに生れなかつた。谷崎潤一郎だつて、志賀直哉だつて、かうは言はれなかつた。どうしてなのかしら。あれはやはり、小説といふ俗なものと「聖」といふ概念とが不調和だと、漠然と感じられるせいらしいね。武者小路実篤なんて人は、むやみに立派なことばかり言ふ文士で、つまり文聖になるのに最もふさはしい人だったが、彼でさへも文聖になれなかつたことは、意味深長である。
棋王といふのがある以上、文王があつてもよささうなものなのに、これもないね。戦前の菊池寛なんて存在は、まさしく文王そのものであつたはずだが、誰もさう呼ばなかつた。これはやはり「王」といふ政治的イメージが、文士に合はなかつたせいだらうか。
が、文聖や文王がをかしいからと言つて、文豪と呼ぶのはまだ早い、あるいは似つかはしくない、といふ段階がある。そのとき人々は、仕方がないから、巨匠だの、鬼才だの、はては「文学の神様」(これは横光利一のこと)だの、「小説の小さん」(これは里見弴氏のこと)だのと、をかしな肩書をこしらへたのであらう。
しかし、耳に慣れた表現といふのはいいもので、文豪といふのがいちばんスゴミがある。文士はみんなそれに憧れる。これはやはり、ペンは剣よりも強しなんて、剣に張り合ふ思想がもともとあるため、剣豪の向うを張って、塚原卜伝や宮本武蔵、今はあんまりぱつとしないが昔は大したものだつた荒木又右衛門なんかに、自分を見立てたいのだらうか。
戦後まもないころ、河出書房で「現代文豪全集」といふ全集を企劃(きかく)したことがある。このときのことを回想して、河出の編集者、坂本一亀さんは語つてゐた。
「いや、あんなにすらすらと運んだ全集はなかつた。頼みにゆくと、どの作家も二つ返事で快諾するんだよ」 (1976「男のポケット」)>
丸谷さんの小説や評論はほとんど読んだことがないのだが、エッセイは面白くて好きでわりと読んでいる。最後にオチがあることが多くて、なんだか落語みたいである。
語り口もおしゃべりというか、閑談あるいは雑談、時には漫談のようでスラスラと読める。
鹿島 茂さんが「解説」で、こんなことを書いている。
<「あー、おもしろかった」と解説者がいきなり言ってしまっては、読者はビックリするだろうが、著者のエッセイに長く親しみ、少なからぬ文庫本に解説を書いてきた私がはっきりとそう断言するのだから、本書の面白さは群を抜いているのである。
では、なぜ、こんなに面白いのかといえば、それは当然、すべての丸谷エッセイから粒よりのものだけを選び抜いた編集者の選択肢のよさによるのだが、もう一つは構成の妙である。つまり、これまで丸谷才一のエッセイをほとんど読んだことのない人でも、本書一冊だけで、そのエッセンスを味わうことができるような仕組みになっているのだ。そればかりか、丸谷才一という類い稀な人物がどのようにして出来上がっていったか、その過程さえ追えるように工夫されている。
すなわち、最初のエッセイ集『女性対男性』の軽妙なスタイルから始まって、定評ある中期・後期の薀蓄エッセイへと至るところは、丸谷ファンならすでにお馴染みのものだが、特筆大書すべきは、「Ⅵ 懐かしい人」と「Ⅶ 自伝の材料」という最後の二章に「よくぞ、ここまで集めたな」と快哉を叫びたくなるような貴重な文章が拾われていることである。日本の私小説的風土への反発からか、自身の生い立ちや若き日の交友について書くことのまことに少なかった丸谷才一でも、詳しく探索をしてみれば、これだけのテクストが見つかるのだ!(後略)>
ということで、丸谷さんの出自とか生い立ちとかも知ることができて、とても興味深かったのである。
丸谷さんのエッセイを読んだことがない方にも読みやすいので、よかったら読んでみていただきたい。
腹を抱えて笑えるかもしれません(^^ゞ。
<今日のお薦め本>
『腹を抱へる 丸谷才一エッセイ傑作選1』 丸谷才一 著、文春文庫、896円、15.01.10. 第1刷
丸谷さんについて、カバー裏から紹介しておきます。
<大正14(1925)年、山形県鶴岡に生れる。昭和25年、東京大学文学部英文科卒業。43年、「年の残り」で第59回芥川賞受賞。「笹まくら」「たった一人の反乱」「裏声で歌へ君が代」「女ざかり」「輝く日の宮」など多くの小説がある。また60年、評論「忠臣蔵とは何か」で第38回野間文芸賞受賞。評論、エッセイに「新々百人一首」「闊歩する漱石」「思考のレッスン」「双六で東海道」「人魚はア・カペラで歌ふ」、「文学全集を立ちあげる」(共著)などがある。平成23年、文化勲章受章。24年10月13日永眠。25年10月より「丸谷才一全集」(全12巻)が刊行された。>
<後記>「解説」で鹿島さんが、丸谷さんのエッセイの特徴について書いています。バカ親父の独断で簡略にまとめてみます。
“丸谷さんの話には、独特の転調の仕方というか、ブレス(息継ぎ)、リズムがある。
また、意識的に「字面の意味と本当の意味が異なる」韜晦(とうかい)表現をしていて、「自己」を隠しながら、わかる人にだけわかるように「自己」をあらわにして見せる。
日本の文学を、直径家族的(長男的)な文学と核家族的(次三男的)な文学に二分されるかも、という仮説を立てたとすると、これはすぐに例外が噴出して破綻するだろうが、丸谷才一に限っては、核家族の次男坊という「宿命」により、かなりのものが規定されていたのではないだろうか。その本質は、長男的文学が論理(ロゴス)であり、信条はリゴリズムであり、絶対を希求するのに対して、次三男的文学である丸谷才一のはエロスであり、信条はリベラリズムであり、絶対を求めない”
ということです。
この本は、肩の凝らない丸谷さんらしい名エッセイ集だと思います。
なお、第二巻として、長めのエッセイや対談などが収録される『膝を打つ』が刊行予定だそうです。
また、丸谷さんの色っぽいエッセイ集では、以前に『人間的なアルファベット』を紹介しているので、よかったら読んでみてください。
昨日(16日)の夕方は雲が多かったです。
今日(17日)は、晴れたり曇ったりで、午後ほんのわずかの時間ですがにわか雨が降りました。
SORAはいつもどおり廊下で日向ぼっこをしながらの居眠り。暑くなるとソファーで寝ていました。
夕方の散歩に出ると夕日の光が強くて、電線が金色に光っていました。
雲が多かったですが、尾根道に上っていきました。
富士山は見られないと思っていましたが、見られました。
山頂付近の白いのは雲か、風が強かったので雪煙かもしれません。
落日は雲の中。
小さな公園に寄ってから、帰ってきました。
明日(18日)は晴れて、朝は寒そうです。

















この記事へのコメント
SORAちゃん、カーテンに囲まれて、まるでお姫様のベッドのよう。どんな夢を見てるんでしょうね(*^_^*)
かつて「女ざかり」が映画化された時に原作も読んだのですがとんと覚えていません。
氏は村上春樹氏に好意的というかよく理解を示していて、そんな面で良いなと不埒にも思ってしまいます。
「首相夫人の話から」は、“男(夫)の人気は女(奥さん)がつくる”という話です。サルトルとボーヴォワールの話へと発展します(^^ゞ。
それぞれのエッセイ、なかなか面白いです。
SORAは日向ぼっこが好きなんですが、このカーテンをめくって入り込むから、こんな感じになります。“お姫様のベッド”というよりも、単なる“おばさんの昼寝”でしょうね(^^;)。
夢は見ているかもしれませんね(^^ゞ。
近くで無料で見られるところが、きっとあります。探してください(^^♪。
丸谷さんのエッセイは、小説などとはたぶんだいぶ趣が異なるもののような気がします。一種の薀蓄話なんですが、縦横無尽に話が展開して、仲の良い友達同士の雑談のような感じです。
彼のエッセイをなにか一冊、是非読んでみてください(^^ゞ。
丸谷さんは悪口も書きますが、力のある人はしっかりと評価する方だと思います。村上春樹さんのことも買ってるでしょうね。
目は好々爺みたいに優しい目をされているのですが、出てくる言葉は尖がっている、そんな感じの方でした。
ぼくも読んでみようと思います。
学識の豊かな方で、喋る内容も鋭いものがあったでしょうね。硬軟取り混ぜて話したり書いたりできるというのがスゴイと思います。
是非、読んでみてください(^^ゞ。