『ひとり旅立つ少年よ』



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     〔石垣からの、紅葉したはみ出し草〕

 大好きな米国の作家ボストン・テランの新邦訳『ひとり旅立つ少年よ』を紹介する。
 ニューヨークからミズーリまでの長い旅を、わずか12歳にして強いられることとなったチャーリー(シャルルマーニュ)・エゼキエル・グリフィンの、人間として逞しく成長していくさまを描いたロード・ノベルである。

 プロローグは、次のように始まる。


<  ブルックリン

    1

「画家はみな自らの魂に浸した筆で自らの本性をキャンヴァスに描き出す。私はあなたからそう教わりました、ミスター・ビーチャー。私たちが生きるこの時代において、画家の大いなるキャンヴァスとはなんでしょう? そう、それはアメリカそのものです。私たちがともに描き出そうとしているこの国の絵。それこそ大いなるこの国家の将来を決定するものです。私はそのように息子に教えています。でも、それはすべてあなたから学んだことです」
 ザカリア・グリフィンはそう言うと、愛情に満ちた眼差(まなざ)しを息子に向けた。彼が見せた笑みにはザカリアならではの説得力があった。父子がいるのは、当代きっての高名な福音伝道師ヘンリー・ウォード・ビーチャーのオフィスだった。少年とその父親は、カンザス州随一の奴隷制度廃止運動家の署名入りの手紙を携えて、はるばるカンザス州トピーカからブルックリンのプリマス会衆派教会へやってきたのだった。その手紙とは、教会のために地道な活動をしているこの著名な活動家に、奴隷制度との戦いに必要な資金援助を求める緊急の嘆願書だった。
 ザカリア・グリフィンは息子の髪をうしろに撫でながら言った。「親の愛というものは自分が親になって初めてわかるものです」
 心やさしいミスター・ビーチャーは机の上で両手を組み、熱心にうなずきながら、自分の名言が男の口から発せられるのを聞いて言った。「ハンサムな息子さんだ」
(後略)>


 時代は、南北戦争前夜の1850年代後半である。
 チャーリーの父親ザカリアは詐欺師で、奴隷制度廃止運動のために使うと嘘をつき、高名な伝道師ヘンリー・ウォード・ビーチャーから4000ドルという大金を巻き上げた。
 息子のチャーリーが彼に協力したのは、父親から精神科病院に入院している母レベッカを救い出し、親子3人で一緒に暮すためだと言われたからである。
 ところが、とんでもないことが起きてしまった。
 その大金を狙う犯罪者ビリー・トゥーリとその相棒で逃亡奴隷のハンディに、ザカリアが殺されてしまったのである。
 チャーリーは難を逃れたが、金を持っていたために、この二人の悪党に追われる身となった。

 どうするか悩んだチャーリーだが、自身も加担した詐欺という罪を償うため4000ドルという大金を上着の裏地に縫い込み、本来の受取人である奴隷制度廃止運動家ジェームズ・モンゴメリーのいるカンザス・シティーまで届けることを決意した。
 はたして、チャーリーは過酷な旅を乗り越えて4000ドルという大金を無事に届けることができるのだろうか?
 簡単すぎるが、あらすじはこれでオシマイ(^^)/。

 この物語はロード・ノベルであるとともに、ピカレスク小説でもある。
 ピカレスク小説というのは、悪漢小説とか悪党小説と訳されている。スペイン語で“novela picaresca”のことで、下層階級の悪漢的冒険者(ピカロ “picaro”)が各地を放浪しながら、さまざまな人たちとの交流を通して逞しく生きていく物語である。
 教養小説の側面を持つと同時に、社会の矛盾を突きつけられた弱者が、生き残りをかけて戦っていく物語でもある。

 チャーリーも、危険な連中だけでなく、あらゆる階層、立場の人々と接し、その出会いと別れの繰り返しが、物語を先へとつないでいく。
 その出会いを通して、今まで知ることのなかった社会の全体を見ることにもなるのである。
 肌の色の違いで乗る車両が異なる列車、裸にされて行われる奴隷の競り市、抵抗すると容赦なく殺される逃亡奴隷狩りなどの狂った現実を、彼は突きつけられていくことになる。
 チャーリー自身も、見かけは白人だが黒人奴隷の子どもと見なされ、競り市にかけられたりもするのである。
 それらは当時は適法行為であり、残酷な行為をする者たちは自身に正義があると盲信しているわけだが、そんな社会の歪みや不公正さ、矛盾をチャーリーは身をもって経験していくことになるのだ。

 現れては消えていく人々との交流から、彼は何かを感じ取り自らの骨肉として成長していくのである。
 序盤でこんな場面がある。ブルックリンからマンハッタンに渡るフェリー上の話である。

<(前略)とても個性的な人物を見かけた。そう、個性的としかほかに言いようがなかった。つばの広い帽子を気取った角度にかぶり、ゆったりとしたブロード地のシャツを着たその紳士は、片方の手に持った薄い本を声に出して読んでいた。風の中でも朗々と響く声だった。
「毎日のように、出歩く少年(ア・チャイルド・ウエント・フォース)がいた。少年は、初めて眼にするものに驚き、憐れみと愛を覚え、恐れて、自らがそれらのものとなった。そして、それらのものは少年の一部となった。その日のあいだにしろ、その日の一部のあいだにしろ、あるいは何年ものあいだにしろ、めぐる長い年月のあいだにしろ」
 チャーリーはほんの数歩と離れていないところから興味深げに紳士を見つめた。「何をしているんですか?」
 紳士は大きな眼をしていた。見つめられると、思わず何かを考えずにはいられなくなるような力を秘めた眼だった。「詩を朗読しているんだよ」
(後略)>

 別れ際、この紳士は彼を呼び止め、本から一枚ページを破り取るときれいにたたんで、チャーリーの肩掛け鞄の中に入れた。
 後日列車に乗っている時、鞄の中を漁っていた彼は、この詩の一篇を見つけ時間潰しに読んでみた。

<毎日まえに進んだ少年がいた……
 ことばづかいも発想もチャーリーにはなじみのないものだった。『三銃士』とは全然ちがっていた。読んでも気持ちは少しも高揚しなかった。それでも……ある何行かのところでチャーリーの眼がとまった。

 少年の両親。少年の父親になった男と、少年を子宮に宿して産んだ女。
 彼らは自らを越えるものを少年に与えた。
 そのあとも毎日のように与えつづけ――やがてふたりは少年の一部となった。

 チャーリーは詩が書かれた紙を下に置いた。列車の窓の外に、地平線まで続く緑と、遠くの木々の向こうに広がる絵のような雲を浮かべた青空と、太陽の光を浴びてきらめく美しく長い川が見えた。しかし、そのときその窓ガラスの枠の中にチャーリーが見たかったのは、そういうものではなかった。父親の顔は確かに見えた……きりっとした眉、まっすぐで高い鼻、ふっくらとした唇の意志の強そうな口元。しかし、チャーリーが探し求めていたのは母親だった。チャーリーはわざと笑顔をつくってみた。そうすれば、母親も同じような笑顔になり、喜びに満ちた表情で自分を見つめてくれそうな気がしたのだ。
 思い出にふけるのは愚かなこと? 父親はいつもそう言っていた。過去というのは朽ち果てた古い骨にすぎず、現在だけが流動的でしなやかで生き生きとした生きものなのだ、と。
(後略)>

 ここに出てくる詩は、ウォルト・ホイットマンの『草の葉』に収録されている“There Was a Child Went Forth 「歩き続けた少年がいた」”という一篇である。
 少年が歩き続け、見聞きしたものが彼の一部になっていくという内容で、本作のモチーフに選ばれたようである。この物語の原題もここから採られている。
 本作は、一冊の本が少年に影響を及ぼし、そこから独自の人生をつくり出していくという物語でもあるのだった(^^ゞ。


<今日のお薦め本>
『ひとり旅立つ少年よ A CHILD WENT FORTH』 ボストン・テラン 著、田口俊樹 訳、文春文庫、994円、19.08.10. 第1刷
 著者について、カバー裏から紹介しておきます。
<アメリカ、サウスブロンクスのイタリア系一家に生まれ育つ。1999年、『神は銃弾』でデビュー、イギリス推理作家協会新人賞を受賞、「このミステリーがすごい!」第1位、日本冒険小説協会大賞の3冠に輝く。『音もなく少女は』は「このミステリーがすごい!」第2位となり、『その犬の歩むところ』は本屋大賞「翻訳小説部門」第3位に選ばれた。他の邦訳作品に、『死者を侮るなかれ』『凶器の貴公子』『暴力の教義』がある。>

ひとり旅立つ少年よ (文春文庫)
ひとり旅立つ少年よ (文春文庫)

<後記>以前に紹介したことのあるボストン・テランの『その犬の歩むところ』は、ある犬とその犬とかかわっていく人間たちの物語ですが、やはりロード・ノベルでした。
 バカ親父は、どうもこのロード・ノベルというのが好きなようで、本作も先の読めない旅の行方が気になって気になって、一気に読み進めることができました(^^ゞ。
 テランの書く物語は味わい深くて面白いです。
 それに田口俊樹さんの訳が読みやすく品があっていいです。原文とつき合わせて読んだわけではありませんが(読んだとしてもわかりませんが(^^ゞ)、田口さんの訳が、詩情豊かな原文とよく合っているのかもしれません。
 一読の価値ある物語です(^^ゞ。

 今日(23日)は雲が多く、ときどき小雨が降っていました。午後3時半ころにはわりと激しく雨が降り、しばらくして雷が轟きました。
 日中はテレビを観たり本を読んだりダラダラと過ごしました(^^ゞ。
 散歩に出たのは5時半ころでした。
 ときどき雨がポツリポツリと落ちてくる程度でしたが、一応傘を持って行きました。

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 壁の小さな雨染みです。

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 南西の雲の多い空である。
 公園に行き斜面を上っていきました。

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 原っぱに出てウロウロしていきます。

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 夕日は雲に隠れて見えません。

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 SORAは原っぱを斜めに横切っていきました。

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 SORAは端っこで大トイレをすると、すぐに階段を下り始めたので、帰ることにしました。

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 帰り道で見た西空です。少し明るくなっていました。
 東の空を見たら、

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 薄い虹が出ています(^^)/。

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 残念ながら、短いもので先には延びていませんでした。
 虹が見られると、なんだかとても嬉しいです(^^ゞ。

 明日(24日)の横浜の南の端っこの天気は、うっすらと陽射しが届くことがあっても、雲が優勢の一日のようです。
 気温は上がりますが、わりと湿度が低いかもしれません。

この記事へのコメント

2019年08月23日 23:11
12才、まだ6年生くらいですね。
子どもが過酷な目に合うのは、読むのもつらい・・・
でも、子どもの方が、生きる、ということに対して、真っ直ぐな信頼があるかもしれませんね。そのたくましさを期待して、読んでみようかな。
文章が、比喩が美しいですね。
虹を見ると、うれしくなるのは、なぜかなぁ。
石垣の草、壁の雨染み、絵画のようです。
遊哉
2019年08月24日 00:54
☆ 毎日ばらいろ さん、このチャーリーという12歳の少年は、なかなか頭がよくて嘘をつくのもうまいんです(^^ゞ。過酷な運命に苛まれますが、それを乗り切っていく力を持っているんでしょうね。
 その逞しさには感心します。期待して読んでもいいと思います(^^ゞ。
 文章がいいでしょ。原文も訳文も艶があるような気がします。
 虹を見るとなんで嬉しくなるんでしょうね。大きな空に思ってもいない色の帯が出現するからでしょうか(^^ゞ。
 壁の雨染みも、はみ出し草も絵画のようで面白いですね(^^)/。