自“子”中心主義
こんな諺がある。・ 子どもの喧嘩に親が出る
取るに足りないことに口出ししたり、おとなげない振る舞いをしたりするたとえ。子ども同士の争いごとに、わが子かわいさで親が介入する愚かさを笑いものにしたもの。
・ 盗みする子は憎からで 縄懸(か)くる人が恨(うら)めしい
我が子を身びいきする親のたとえ。泥棒をした我が子を憎まずに、捕まえる相手を憎むということ。
・ 子故の闇に迷う
子どもへの愛情の強さから、親が理性を失い思慮分別もつかなくなるということ。
こんな諺そのものの親が増えているらしい。
たとえば、こんなことを教師に言ってくる親がいるのだという。
・ 「うちの子と○○ちゃんは仲が悪いみたいなの。今すぐクラスを別々にしてもらえます?」
・ 「うちの子は箱入り娘で育てたいから、誰とも喧嘩させないという念書を提出しろ!」
・ 「うちの子がけがをして学校を休む間、けがをさせた子も休ませろ!」
あるいは、こんなことを言う親もいるという。
・ 「義務教育だから給食費は払わない!」
・ 「保護者会に参加するために会社を休んだから休業補償を支払え!」
こんな理不尽な無理難題を要求する親たちが急増していて、教師は頭を悩ませているという。それに対応しようと頑張って、心を病んでしまう教師も多いのだという。また、真剣に親と向き合うあまり、教師と親とが敵対関係になってしまうこともあるという。
文部科学省の調査によれば、全国の公立小中学校で精神性疾患による教職員の休職者は10年前のほぼ3倍に上っているのだそうだ。
大阪大学の小野田正利教授を中心に発足した「学校保護者関係研究会」は、教師が頭を悩ます「理不尽な親たち」について、その原因究明と対策に乗り出しているという。
その背景には教師の能力に問題がある場合も多分にあるが、保護者のコミュニケーション能力の低下が主な原因としてあげられる、のだそうである。
こんな自分の子どもを溺愛するあまり、常軌を逸した行動に出てしまう親たちのことを、「“自子中心主義”の親たち」と言うんだそうである。
こんな親の偏った愛情の発露から、子どもも知らず知らずのうちに、学級で浮いた存在になり、孤独にさいなまれたり、いじめにあったりして、学校に行けなくなってしまうこともあるという。「親の因果(いんが)が子に報い」(親が犯した悪行のために、何の罪もない子どもが災いを受けること)ということであろうか。
親は子どもをかわいがるのは当然だし、かわいがらなきゃいけないとは思う。でも、溺愛して、自分の子どもさえよければいいという自子中心主義になっては、「贔屓の引き倒し」で子どものためにはならないだろうねえ。
子どもは小さな争いをしながら成長していくものである。喧嘩を通して彼我の関係を認識したり、自分以外の他人の存在を自覚し認め、他人を愛するという感情も生まれるようになるわけで、喧嘩は子どもにとっては成長の糧になるものといってもいいだろう。
自子中心主義の親は子どものころに、こんな喧嘩もしてこなかったのではないだろうか。それで、人と人とのかかわり方、つきあい方、コミュニケーションの仕方を学ばずに大人になってしまったのではないだろうか。
・ 子どもの喧嘩親かまわず
子ども同士のいさかいに、親たちは口出ししたり介入したりしてはならないということ。
・ 可愛い子には旅
子どもを愛しているのならば、目先の情愛にとらわれることなく、子どもを厳しく鍛えよという意。
こんなあたりまえの考え方が忘れられているような気がするのである。
教師と保護者が手を結んでいかないと、まともな教育を子どもにはできないのだから、なんとかこんな自子中心主義の親の目を覚まさせなきゃいけないと思うのだが、う~ん、難しそう。
<後記>「子どもは親(大人)の鏡」という諺があります。子どもは親(大人)の姿や生き方を反映するから、子どもを鏡として生きてゆかなければいけないという教訓です。
子どもたちにおかしな考え方や行動が見られたら、それは親や大人のそれの反映と思って、自らを省みる必要がありそうです。というか、それ以前に気がつかなきゅいけないんでしょうけどね。
*諺の解説等は『岩波 ことわざ辞典』を参考にしました。
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