『ぼくの名はチェット』
先々週の『週刊文春』(7月29日号)で、書評コーナーの「ミステリーレビュー」に、池上冬樹さんが面白そうな本を紹介していた。
次のようなものである。(前記事の「これは何?」の答えは、<後記>に書いてあります(^^ゞ)
<動物を主人公にしたミステリはいままでもあったが、スペンサー・クインの『ぼくの名はチェット』(東京創元社)はとびきりかもしれない。米国でベストセラーを記録し、世界十八カ国で翻訳刊行されたのも納得だ。主人公は私立探偵バーニーの愛犬チェットで、犬の一人称一視点で語られる。
事件は女子高校生の失踪で、大きな謎や驚きの真相があるわけでもないのに読ませる。人間社会の会話を聞いているだけなのに、ときにまったく意思疎通ができないのに、それが逆にもどかしく、サスペンスとなり、使命に貫かれたアクションとなり、事件解決への足掛かりとなる。“わくわくどきどき、夢中で読み通すこと間違いなし”(ジョゼス・フィンダー)の作品だろう。>
これはもう、読まないわけにはいかない、と思って読んでみた。面白かった(^^♪。
バーニーの愛犬といっても、チェットは仕事の相棒でもある。体重は40キロを超すような雑種の大型犬で、耳の色が左右で違うという。
警察犬訓練所を、優秀な成績だったが卒業寸前に落第した犬である。どうも、猫を見ると追いかけたくなるという性格が災いしたらしい(^^ゞ。
何より好きなのは、バーニーの中古のポルシェの助手席に乗って、疾走感を楽しむこと。
一方、バーニー(・リトル)は陸軍士官学校卒で従軍経験もある優秀な男だが離婚していて、愛息チャーリーは前妻レダの元で暮らしている。
彼が一人で営むリトル探偵事務所は、浮気調査の他に仕事があまりなくて経営は苦しい。それに、バーニーは養育費や学費を請求され懐具合はいつも寂しい。
舞台は、アメリカ西部でラスヴェガスに近いヴァレー(渓谷)と呼ばれる町である。
ある夜、15歳の娘マディソンを捜してほしいと、シンシア・シャンブリスという母親からの依頼が舞い込む。娘は一度は何事もなく帰宅するのだが、再び失踪してしまう。
家出か事故か、はたまた誘拐事件か。バーニーは、チェットとともに地道な捜索をしていくのだが、やがて隠されていた深刻な事実がわかってくる。
頭脳と行動力のバーニー、臭覚と聴覚と攻撃力のチェットの絶妙のコンビが、生命の危機にさらされながらも事件を解決していくのである。手に汗握るアクションもある(~_~)。
この物語は、なにせ犬のチェットが語り手だから、犬の心の動きや行動が面白く、詳細に描かれている。といっても、チェットは特別な能力を持った犬ではない。
犬らしい犬だから、人間の言葉も簡単なものならわかるが、早口で話されたり、複雑な内容はわからないし、すぐに忘れちゃう。食べ物が落ちていたりすると、そちらに興味がいってしまう。
バーニーはよくチェットに話しかけてくるのだが、それに答えるのも吠えたり、尻尾を振ったりすることなどでしか表わせないから、うまく通じなかったり誤解もある。
そこにまた、スリルやユーモアも生まれて、独特の面白さが形成されていくのである。チェットの人間観察も、とても面白い。
スージーというバーニーの恋人になりそうな女性も現われ、チェットと親交を深めていく。
少し紹介してみる。たぶん長くなると思う(^^ゞ。
<彼女はいかにも不安そうに両手を握り合わせた。手は人間のもっとも奇妙な部分であり、もっとも魅力的な部分でもある。手を観察していれば、知る必要があることはすべてわかる。>
<バーニーはよくうなずくし、それでいろいろ表現する。うなずきの種類はとりあえず思い浮かぶだけでも数種類あって、ちょっとコツをつかんでしまえば、一つ一つの意味を見分けるのは簡単だ。今のうなずきは、なるほど一つわかった、という意味だ。>
<彼女の目に涙が光った。いつ見ても不思議な光景だ、泣くというのは。泣き声のほうは理解できるが、涙のほうは理解に苦しむ。レダが泣くと、バーニーはそれを噴水(ウォーターワークス)と呼んでいた。動揺すると、人間は、とくに女は、目から涙を流す。あれはいったいどういうことなんだろうか? バーニーは地面に視線を落として、足をもぞもぞ動かしていた。どうしていいかわからないのだ。けれど、バーニーが目に涙を浮かべるのをぼくは見たことがある。レダが出ていく前に、チャーリーの荷物をまとめていたときのことだ。チャーリーは二人の息子で、今はレダと住んでいて、時々遊びに来るだけだ。ぼくもバーニーも、チャーリーがいなくなってから寂しくてたまらない。>
<ため息というやつもまた、なかなかおもしろい。ぼくの観察するところ、人間は若いほどため息をつく回数が少ない。>
<車のなかには強い風が吹いていて、とても心地よかった。気づいてみれば、ぼくが尻尾を激しく振る勢いのせいだった。チャーリーが笑った。笑い声はなんといっても人間がたてる最高の音だし、なかでも子供の笑い声は格別だ。チャーリーは丸顔で、大きな歯と小さな歯とが楽しく混じっている。>
<ぼくはバーニーのベッドの足元で眠るのが好きだが、昼寝はもっぱら朝食コーナーのテーブルの下が好みだ。陰になっているし、壁に背中をくっつけるとひんやりして気持ちがよく、しかもバーニーの椅子のあたりには、よくちょっとした食べ物が落ちている。毎日一度、ときには二度ばかり昼寝をして、ぐっすり眠りにつくのはバーニーが帰ってからにしている。>
<バーニーは電話を切った。立ち上がって引き戸を開け、パティオへ出た。椅子の下から、ねじったタバコのパックを見つけた。パックのなかに指を突っ込んでタバコを一本取り出すと、やましげな視線をぼくに送った。かわいそうなバーニー。タバコはよくないというが、その理由はぼくにはわからない。バーニーはタバコを吸うのが好きだったのに。いったい、どうしたんだろう? 彼がポケットをぱたぱたはたいた。その意味はわかっている。マッチをさがしているのだ。長椅子の下に紙マッチがあるのが見えたので、ぼくは安楽椅子から飛び降りた。>
<バーニーはぼくに視線を注いだ。と、彼の目つきが変わって、仕事の最中になにか考えついたときの様子になった。ぼくらは仕事上の役割分担がある。バーニーはアイデアを考えつき、ぼくが掘りさげる。>
<「いったい、どれくらいの人たちが、毎日このヴァレーへ引っ越してくるんだろう」バーニーが言った。「法的にきちんと手続きをして入ってくる人たちだけでも」
そんなのわかるわけがない。それに、どうでもいいことじゃないか? バーニーは時々、心配してもどうしようもないことを心配する。>
<なにか食べ物が落ちていないかと嗅ぎまわった。プールサイドは、普通ならポテトチップスの一つや二つ落ちているものだし、運がよければホットドッグが見つかったりする。ただし、一緒についてくるつまようじには気をつけないといけない。苦しい体験から身をもって学んだ教訓だ。>
<「ああ、チェットはなにもしませんよ」バーニーがやっと答えて、ぼくをちらりと見た。その視線を感じたとたん、ぼくは自分が前足を持ち上げて、知らない人が見たら攻撃しようとしていると思うような姿勢を取っていることに気づいた。そこで前足を床に降ろして、平静さをアピールした。>
<だが、考えはそこでとぎれた。ベッドの下にスナック菓子が落ちているのを見つけたのだ。むしゃむしゃ、あっというまに食べてしまった。ほこりがついていることさえ気にしなければなかなかうまかったし、ぼくは好みがうるさいほうじゃない。>
<「抜け目がない(クレージー・ライク・ア・フォックス)、という表現がぴったりくる気がする」
それはどうかな。キツネ(フォックス)なら知っているし、ヴァレーで何度か出くわしたこともある。どいつもこいつも臆病者で、そのへんにこそこそ隠れていて、そっと忍び寄ってきては後ずさりしていく。クレージー・ライク・ア・フォックスとは、いったいどんな意味なんだろう? ぼくはバーニーをちらりと見ながら、彼がキツネは頭がよくて、ぼくの仲間よりも賢いなんて思っていませんようにと祈った。そんなのあり得ない。もう心配するのはやめて、助手席で背筋をのばして座りなおし、ドライブを楽しんだ。>
<バーニーは彼女の腕にさわって「だめ、だめ」と言った。そして、「おい、チェット、後ろに乗れ」と指示を出した。
後ろに乗れだって? ぼくに言ってるのか? ぼくは動かなかった。絶対に席を譲る気なんかなかった。全身に力を込めて、動くまいとした。
「珍しいな、こいつがこんなに強情をはるなんて」バーニーが言った。
強情? なんて言いぐさだ、ひどいじゃないか。でも、こんな具合になってしまったら、誰かが譲らなくちゃならないよね? ぼくは狭苦しい後部座席にもぐり込んだ――ゆうに四十キロ以上もあるぼくが、だ。そして、リアウィンドーから景色を見るのに専念することにした。たいしたものは見えなかったが。>
<なにかをじっと考えているとき、人間の目は霧がかかったようにはっきりしない。ぼくに言わせれば、あれこれ複雑に考え込むのは、楽しさを失わせるように思えるけれど。>
<男はパソコンの前に移動して、キーを叩いた。プリンターが動く音は、ぼくの耳に不快に響いた。「さあ、どうぞ」男がバーニーに紙を一枚渡した。人間にとって、紙はとても重要だ。彼らは紙のことで時間をたくさん無駄にする。まったくばかな話だ。>
<「行くぞ、チェット」
ぼくらはスイングドアへ向かった。暴走族たちは誰もなにも言わなかった。ドアを通るとき、バーニーがポケットから紙幣を何枚か出して放りなげた。「一杯おごるよ」彼は言った。ああ、バーニー。ぼくらは金欠病なんだ。それを忘れたのか? だけど、ぼくは納得した。バーニーは最高だろう?>
<また方向を変えた。そして、さらに何度か方向を変えた。バーニーはぼくの横を歩いていた。時々ぼくが速足になると、彼は走らなければならなくなり、息を吐く音が響いた。時間がとてもたくさん過ぎた。彼はなにも言わなかった。彼の信頼が感じられた。彼はぼくを信じていた。それがぼくの心をいっそう強くした。必要とあれば一晩じゅうだって探索を続けてみせる。>
<これまでにも何回かこんなカーチェイスの経験があるが――カーチェイスは最高の仕事の一つだ――最後はいつも、ぼくが犯人の脚に咬みついて一件落着だ。>
<こんなとき人間なら不満のため息をつくのだろうが、ぼくがため息をつくのは満足したときだけだ。>
<バーニーがなにを話しているのかはわからなかったが、チャーリーの笑い声が受話器から漏れてきた。ぼくはチャーリーを笑わせるのが得意だ。顔をなめれば、いつもすぐに笑いだす。人間の子供の笑い声ほどすばらしいものはない。「これでもう、どうすればパパに電話をかけられるかわかったな。いつでも……チャーリー? 聞いてるかい……」バーニーは静かにバーイと言って受話器を置いた。そして、窓の外をじっと見つめた。時々彼の目がからっぽに見えることがある。今がまさにそれだった。どうしてそんなふうになるのだろう? ぼくにはわからなかった。>
<玄関の呼び鈴が鳴った。バーニーは立ち上がって玄関へ向かった。ぼくも心地よい霧をぶるっと振り払って立ち上がった。警備担当のぼくとしては玄関は持ち場なのだ。>
<ぼくの方を向いて「私の夢は、有名記者のウッドワードやバーンスタインみたいに『ワシントンポスト』で働くことなの」と言った。スージーの夢がなんなのか、ぼくには見当もつかなかった。ぼくの夢は、渓谷で狩りをすることと、犯罪者を捕まえること、そして、時々はステーキソースをたっぷりかけた肉を食べることだ。バーニーが格子模様に焼き目をつけてくれたステーキがとくに好物だが、その理由はよくわからない。>
<生まれてこの方、いろんなものをかじってきた。たとえば、レダの革財布。緑色で、しかもただの革ではなくイタリア製の革とかいう貴重なものだったらしいが、あれはこれまで口にしたなかでいちばんうまかった。ほかにも、仔犬のころまで思い返してみれば、服に家具に玩具に園芸用品、とにかくなんでもかじってばらばらにしてきた。だから、かなり太いとはいえ、こんな古いロープくらい、簡単に咬み切れる。ぼくの歯がどれほど鋭いかについては、もう話したかな? ナイフのような切れ味で、大きさもなかなかのものなんだ。>
<抜け目がなさそうな人間ほどじつは間抜けだと、バーニーは言った。まったくそのとおりだが、そんなことを言うときのバーニーが、ぼくは大好きだ。>
<今日のお薦め本>
『ぼくの名はチェット ― 名犬チェットと探偵バーニー 1 DOG ON IT: A Chet And Bernie Mystery 1』 スペンサー・クイン 著、古草秀子 訳、東京創元社 刊、1785円、10.05.31. 初版
この本は、全4冊のシリーズものの第1作で、今年の1月に2作目が出版され、10月には3作目が出る予定だそうです。早く翻訳が出てほしいです。
<後記>ひょっとして、SORAもこんなことを考えているのかもしれない、と思わされるところがたくさんありました(~_~)。
犬好きには堪らない物語です。ミステリーとしても冒険モノとして読んでも面白いし、爽やかさもあります。お薦めです。
チェットのブログがあるそうです。もちろん英語ですが、興味のある方はお読みください。
さて、前記事の「これは何?」の答えです。
回答いただいた方々、ありがとうございます。正解の方もいらっしゃいました(~_~)。
まず、①ですが、次の写真でわかると思います。
製品名は「ミリケシ」といって、消したい1行だけを、はみ出さずに消せる、という消しゴムです。
周りの透明のプラスチックは取っちゃってもいいんでしょうが、1ミリ幅の目盛りもついていて、中の消しゴムを少しずつ押し出して使うようです。一行の罫線の間隔に合う幅の突起部分を使うということですね(~_~)。
普通の四角い消しゴムでもよさそうですが、どうなんでしょう。使いやすいのかなあ(^^ゞ。
②は、バカ親父が集めている鉛筆削りの新種(?)です。最近は、なかなか新しいものが見つからなくて、久しぶりの鉛筆削りです(~_~)。
上下を持ってちょっと回すと、上のドームが開いていきます。その中に鉛筆を入れる穴が現われます。
削りかすは、真ん中でぱっくり割って出します。単純ですが、よく考えるものですね。面白いです(~_~)。


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