『最終講義 ― 生き延びるための七講』




画像

               〔公園で咲き始めたヒマワリ〕


 内田 樹さんの講演集『最終講義 ― 生き延びるための七講』を紹介してみる。
 これは、内田さんが2011年に神戸女学院大学を退官する時の「最終講義」の他に5篇の講演録を追加して、単行本として刊行されたものの文庫版である。

 単行本では「生き延びるための六講」という副題だったが、文庫化に際してボーナストラックとして一篇追加され「七講」となっている。
 次のような構成になっている。

 Ⅰ 最終講義
   神戸女学院大学 二〇一一年一月二二日

 Ⅱ 日本の人文科学に明日はあるか(あるといいけど)
   京都大学大学院文学研究科講演 二〇一一年一月一九日

 Ⅲ 日本はこれからどうなるのか?
   ――〝右肩下がり社会〟の明日
   神戸女学院教育文化振興めぐみ会 講演会 二〇一〇年六月九日

 Ⅳ ミッションスクールのミッション
   大谷大学開学記念式典記念講演 二〇一〇年一〇月一三日

 Ⅴ 教育に等価交換はいらない
   守口市教職員組合講演会 二〇〇八年一月二六日

 Ⅵ 日本人はなぜユダヤ人に関心をもつのか
   日本ユダヤ学会講演会 二〇一〇年五月二九日

 文庫版付録 共生する作法
       部落解放研究第三五回兵庫県集会 記念講演
                二〇一四年一一月二二日

 さて、ⅠからⅥまでの内容はざっくり言えば、教育(学校教育)のあり方についての講演と言える。いろいろ示唆に富み、考えさせられる内容である。
 それらは、単行本の時に読まれた方もいると思うので、ここでは文庫本で追加された「共生する作法」について紹介してみる。
 その内容には、次のような9つの小見出しがつけられている。

 「自我」という枠組みをどこまで拡大できるか
 「学校教育」とは何か
 「ファカルティ(教師団)」は多様性がないと機能しない
 アメリカの「セルフメイドマン」幻想
 「グローバル人材」は誰のために必要なのか
 映画『七人の侍』に学ぶ組織のあり方
 戦後七〇年、今なお続く「対米従属」
 国民国家の株式会社化
 経済成長と引き換えに、かけがえのないものを手放せるのか 

 最初の“「自我」という枠組みをどこまで拡大できるか”では、枕として解散総選挙(2014年12月14日)についての話が語られる。
 内田さんは、毎日新聞から「今回の選挙に名前をつけるとしたら何ですか?」という質問を受け、「朝三暮四解散」という名前をつけると、採用され記事になったという。
 そして、その理由を話していく。


<「朝三暮四」というのは、『荘子』や『列子』に載っている中国の古い逸話です。狙公(そこう)という人が、猿が大好きでたくさん飼っていた。ところがどんどん猿が増えてきたので、猿の餌を減らさなくてはならなくなった。そこで猿のところに相談に行き、「君たちの餌を減らさなくてはいけなくなった。今までは、栃の実を朝に四つ、夕方に四つあげていたけれど、これからは朝三つ、夕方四つ与える。それで勘弁していただきたい」と言ったら、猿がみんな怒り出した。狙公は「悪い、悪い。それなら朝四つ、夕方三つにする」と言ったら猿が喜んだ、という話です。それだけの話です。でも、これは非常に奥の深い話だと思います。意味がよく分からないから。何で猿なのか。猿とは一体何なのか。猿と人間の違いはどこにあるのか。考えてみてください。一日に支給される「七個」という量は変わらない。前は一日八個もらっていたわけですから、前よりは減っている。でも、朝と夕方で配分を変えると、あるときは怒り、あるときは喜ぶ。今回の選挙でいうと「消費税」が「栃の実」に当たるわけです。
 「猿」が猿である所以(ゆえん)は、朝方栃の実を食っている自分と、夕方栃の実を食っている自分が「同じ猿」であることがわからないということです。つまり「自我」とか「私」という感覚が非常に狭い。今の自分だけが自分であって、夕方の自分は自分じゃない。そう思っている。過去と未来、あるいは空間を左右に広げていって、自分と集団を共有している人間にまで自我を広げていく。あるいは過去の自分や未来の自分、そういうものも自我の変容態だとして受け容れる。それができないのが「猿」だということですよね。荘子は「夕方の自分も朝方の自分も同じ自分だ」と思える能力が人間を人間たらしめていると逆説的に言いたかったのだと思います。
 だから、目先の利益にしがみついて長期的な利益を逸する人間のことを我々は「猿」と侮(あなど)ってよい。それはその人の「自我」がきわめて狭隘(きょうあい)なものだからです。>

 こんな話を振った後で、演題である「共生する作法」についての考察をしていくのだが、最後の“経済成長と引き換えに、かけがえのないものを手放せるのか”の末に、内田さんはこんなことを言っている。

<日本は成熟社会・定常社会に向けて自然過程を歩んでいます。これを無理強いして経済成長させようとすることは、われわれが公共的に所有し、次世代に無傷で伝えなければならない国民資源に手を付けることなしには果たせません。未来の日本国民たちが、僕たちが今無償で享受しているものをお金を出して買わなければならない状態にすることでしか成長はできません。だから、僕はこの状態を「朝三暮四」だと言ったのです。未来の日本国民たちを僕たちは自分自身だと思っていない。今の自分に「栃の実四つよこせ」、未来の自分には「三つでいい」、そう言っている人たちがこの国の政治経済を指導しているのです。猿が支配している国なんです、日本は。
 今の日本の指導層はもう国益のためには働いていません。未来の日本人のことなんかもちろん考えていない。考えていたら、原発の再稼働なんて思いつくはずがない。国益よりも自分たちの個人的な利益や個人的な欲望充足を優先している人たちが国の方針を決定している。そういう人間しか出世できないシステム、そういう人間しか権力を持てない仕組みを戦後七〇年かけて、日本人は完成させてしまった。そのことの恐ろしさにそろそろ気づいていい頃じゃないでしょうか。
 七〇年かけて作り上げたシステムですから、一朝一夕には変わりません。もう七〇年かけて作り変えるくらいの覚悟が要ります。でも、希望がないわけじゃない。沖縄が変わりました。沖縄は日本の中で、日本がアメリカの属国であるということを県民全員が平明な事実として知っている。まともな現実を認識している唯一の場所です。そこから政治は変わってゆくだろうと僕は思っています。現実を変革するのはイデオロギーや夢想ではなくて、現実に足がついた思想と運動だけです。日本社会はこれから沖縄を起点に変わってゆくだろうと僕は思っています。長い時間がかかる事業でしょうけれど、さしあたりはそこにしか希望が見出せません。ご清聴ありがとうございました。>

 ちょっとわかりにくいところがあるかもしれないが、内田さんの言いたいことはわかってもらえるのではないだろうか。
 現在の日本は「朝三暮四」の状態で、政治経済の指導者たちは個人的な利益や欲望充足を優先する「猿」だというのである。

 そんな「猿」の話が、“戦後七〇年、今なお続く「対米従属」”で語られているので、紹介しておく。

<戦後日本は、「対米従属」を通じての「対米自立」という、非常にねじれた国家戦略を採用してきました。敗戦国には戦勝国に対する従属しか選択肢がなかったというのは痛ましいけれど現実です。それしか戦後日本のとれる道はなかった。でも、対米従属に徹したのは、「一時的な従属を通じて、最終的には国家主権を回復する」という見通しに立ってのことでした。実際に対米従属は日本にそれなりの「ごほうび」をもたらした。
 敗戦から六年間にわたって徹底的にアメリカに従属し、みじんも反抗の気配を見せなかったことによって、一九五一年のサンフランシスコ講和条約で、世界史に前例をみないほど寛大な講和条約が締結されました。これによって日本は形式的には主権を回復しました。対米従属を通じて主権回復したのです。「小成は大成を妨げる」という古諺にあるように、この成功体験に日本人は居着いてしまった。>

 アメリカのベトナム侵略を支持し、米軍の後方基地として経済的な恩恵に浴し、1972年には沖縄の施政権が返還されるという巨大な成果を得た。
 しかし、

<戦後日本の「対米従属を通じての対米自立(主権回復と国土回復)」という戦略はそれ以外のすべての可能性を忘れさせるほどの重さを得た。もう、対米従属以外の国家戦略の代案を思いつく人間は一人もいなくなってしまった。とにかくアメリカの言うことをきいて、そのイエスマンに徹していれば「いいこと」がある、と。日本の指導層はその信仰をほとんど血肉化してしまった。
 でも、それからもう四二年が経ちました。沖縄返還から四二年、日本は「対米従属」を続けてきました。でも、主権は回復されず、国土も返還されない。沖縄の基地はそのままだし、横田基地もそのままです。四二年間対米従属によってもたらされた「いいこと」が何もない。もちろん、個人的には対米従属によってアメリカに可愛がられ、そのおかげで私財を増やしたとか、出世したとか、社会的威信を得たという人は指導層にいくらでもいるでしょうけれど、国家的スケールで見ると、主権も国土も回復されなかった。
 ふつう、これくらい外交戦略の果実が少なければ「この戦略はまずい」と言い出す人が出てきてよい。でも、一人も出てこない。とりあえず、政治家にも、官僚にも、メディア知識人にも、およそ日本の指導層を形成する人々の中には、「対米従属を止めて、違う国家戦略に切り替えたらどうか」と提言する人が一人もいない。>

 このあと、アメリカ人は日本のことを主権国家だと思っていないのに、日本人は日本のことを主権国家だと思っていて、その認識の落差は大きい。アメリカは日本を衛星国(Satelite state)であり、属国(Client state)だと思っているのに、日本人は主権国家だ勘違いし、それを疑わなくなっているというのである。
 そして、
 
<アメリカに従属していると「いい思い」ができるという成功体験を三代にわたって積み上げた結果、政官財、メディア、学界、どこを見回しても、「そんな連中」ばかりが大きな顔をするようになった。彼らは日本の国益を犠牲にして、自己利益を増しているのですが、そのことに本人たちも気づいていない。自国の資源を外国の支配者に売り渡して、その代償にいくばくかの自己利益を手に入れるもののことを歴史用語では「買弁」と言います。清朝末期に、イギリスをはじめとする帝国主義列強が中国を植民地化しようとしたときに、それに迎合して、その見返りに利権を手に入れようとした中国人のことです。今の日本の指導層はそれによく似ています。日本はたぶん国際社会には「買弁国家」のようなものとして映っている。わが国の国家戦略は「対米従属を通じての対米自立」ではもうなくなって、「対米従属を通じての指導層の自己利益の拡大」にまで矮小化してしまった。
 「買弁」的政治家の代表が今の総理大臣です。まったく国益に背馳する政策を安倍首相は次々と打ち出しています。「集団的自衛権の行使」というのは要するに、アメリカの海外の軍事活動に追随していって、アメリカの青年の代わりに日本の青年が血を流し、アメリカが負担している軍費を日本国民の税金から支払うことです。アメリカからすれば自分たちのためにそうしたいと日本の方から申し出てきているのですから、断る筋の話じゃない。でも、その見返りに首相は何を要求したのか。「靖国神社参拝」です。彼はもともと靖国参拝は個人的な宗教行為であって、外国政府にとやかく言われる筋ではないと言い張ってきました。ということは、つまり、彼個人のプライヴェートな宗教的信条を満たすために、外交的な譲歩をしてみせたということです。個人の宗教的行事を果すために、国民の生命身体と国富を差し出した。その行為のどこが国益なのか。もちろん聞かれれば、「アメリカの国益を最大化することが、日本の国益を最大化することなのだ」と日米同盟基軸論を以て答えることでしょう。けれども、こんな言い分を指導者が口にする国は世界で日本しかありません。一外国の国益を最優先に配慮することが国の統治の基本方針であるというような世迷い言を口走るような指導者は今はもう世界のどこにもいない。自国の首相が衛星国・従属国の指導者しか口にしないような常套句を口走っていることを「変だ」と思う国民がいない、野党も指摘しない、メディアも批判しない。それが日本が衛星国・従属国であることの何よりの証拠です。
(後略)>
 

 いい加減疲れたので、この辺で止めにしておく(^^ゞ。(詳しくは、この本を読んでみていただきたい)  
 これらをどう読み取るかは読んだ方の判断にお任せするが、今日の午後、安全保障関連法案が衆議院を通過したことを思うと、この本のことを紹介しておきたいと思ったのである。
 法案をめぐっては、多くの憲法学者が憲法違反だと指摘したり、世論調査でも法案への反対意見が多いのにもかかわらず、また自ら「国民の理解が進んでいる状況ではない」と語りながらも、首相は法案を無理やり通した。
 このやり方は、独裁国家のようである。首相は独裁者への道を突き進んでいるのかもしれない。
 首相は、最近は靖国神社参拝は自粛(?)しているようだが、法案が参院を通過したらまた始めそうだ。ほかにも個人的な意図があるのかもしれないと勘繰りたくなる。ひょっとしたら、尊敬しているという祖父・岸信介氏の日米安保体制の成立とか、その弟の佐藤栄作氏の沖縄返還のようなことを成し遂げたい、という個人的な願望があるのかもしれない。


<今日のお薦め本>
『最終講義 ― 生き延びるための七講』内田 樹(うちだ たつる) 著、文春文庫、810円、15.06.10. 第1刷

最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫)
文藝春秋
2015-06-10
内田 樹

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


<後記>安全保障関連法案の中身は多すぎるし複雑で、正直言ってわからないところが多いし、判断しがたいところがあります。
 首相は米国に成立を約束したから、やるしかないのかもしれません。やはり国民を見ずに米国を見ている買弁的政治家のようです。
 国会での答弁でも、誠実に答えているとは思えないし、答えにくい質問には決まりきった答えを繰り返しているだけのような気がします。傲慢さを感じてしまいます。
 独裁者にならないことを祈ります。

 以前に『月に映すあなたの一日』というネイティブ・アメリカン(インディアン)の諺を集めた本を紹介したことがあります。
 そのなかに、次のようなものがありました。
  
 土地は先祖からの授(さず)かりものではなく
 子どもたちからの預(あず)かりもの。[部族名不明]

 なにを為すのであれ、
 今から七世紀後の子どもたちへの
 影響を考慮して
 行われなくてはならない。[チェロキー]

 こんな思いというか理想をもった政治家が日本にいそうもないのが、とても残念で悲しいです。
 
 今日(16日)は未明まで雨でしたが、日中はあまり降りませんでした。夜になって激しく降っています。
 夕方の散歩の時も、今にも降りそうでしたが曇りでした。

画像

 SORAは原っぱに行って、ボール遊びもせずにすぐにベンチでマッタリでした。南西からの風が強くて、暑そうにハアハアしていました。

画像

画像

画像

 ワンコとはあまり会いませんでした。中学生の男の子たちがサッカーをしていました。
 しばらくしてから、帰ることにしました。

画像

画像

画像


 明日(17日)は雨が断続的に降るようです。南風が強く蒸し暑そうです。
 台風11号はゆっくり進んで、影響も広範囲に及ぶようなので、お気をつけください。

"『最終講義 ― 生き延びるための七講』" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント