すぐそこにある宝

朝日新聞に連載された「北極異変」から、大島さんについて紹介してみる。
シオラパルクは、一年の大半は凍結しているフィヨルドの岸辺に、20戸の家屋が寄り添っている。陸路はなく、最も近い町まで氷上を犬ゾリで走って8時間以上かかる。人口は80人だが、そり犬は200頭を超すという。
一年のうち4か月は太陽が昇らず、逆に今の時期は24時間昼である。冬には零下40度を下回ることもあり、一般人が定住する「地球最北の村」と言われる。
92年に発電施設が完成したことをきっかけに、この10年で村は外見上、大きく変わったという。変わらないのは、人々が今も犬ゾリを利用した伝統的な狩りをし、肉や皮を生活の糧としていること。そして、数千年前から極限の地で生き抜いてきた民の知恵が今も生きていることである。
たとえば、ここのそり犬は愛玩犬(ペット)ではない。農耕馬のような存在であり、言うことを聞かない時は迷うことなくムチを与える。なぜスノーモービルを使わずに、犬ぞりを使うのか。その優れている点を大島さんは次のように挙げる。
・ 氷が薄くても走れる。
・ 静かで獲物に気づかれない。
・ 勝手に子を産んで増える。
・ 狩りをすればエサが手に入り、燃料補給せずに長期間動ける。
・ エンジンが故障したら遭難するが、犬なら1、2頭死んでも問題はない。
・ 「それに、残すのは大小便だけだからね」
今、この北極の地では、温暖化、狩猟制限、貨幣経済……と極北の狩猟民は、激変にさらされているということだ。温暖化で極地から氷が消えたら、白熊もいなくなるし、セイウチも捕れなくなるという。究極のエコビークル(エコな乗り物)である犬ゾリも役に立たなくなる。
大島さんの孫たちが大人になったとき、地球最北の村は、その姿を保ち続けているのだろうか。この地球はどうなっているのだろうか……。
それはさておき、東京出身の大島さんは、1972(昭和47)年、日本大学山岳部OBとして、極地の高峰に遠征する準備のため、村を訪れた。その3か月前からは、冒険家の植村直巳が南極単独横断を目指し、厳寒生活の体験のために村に滞在していた。
冒険を志した2人は対照的な道を歩むことになった。植村さんは10か月後に村を離れ、6年後に北極点単独行を成功させる。大島さんは冒険よりも極地での生活に強く惹かれ、2年後に村の娘と結婚し、この地で狩猟を糧に家族を養う、という生活を送る人生を選んだ。1男4女をもうけ、今は孫が5人いる。
大島さんは、なぜ日本での生活を捨て、極北の地を選んだのであろうか。彼はこう答える。
「冒険に来て、また帰る。それは何か違うと感じた。すぐそこにある宝に目を向けず、通り過ぎていく気がしたんだよ」と。
人を圧倒する自然のなかで、狩りをして、自給自足で家族を養う生活。彼は、そこに自分だけの宝物を見つけたのである。
<後記>だいぶ以前ですが、テレビのドキュメンタリーで、この大島育雄さんの生活を放送していました。そのころ子どもだった長男の海(ひろし)さんも28歳になっていて、大島さんと一緒に狩りに出ているそうです。
宝を見つけた大島さんのこのような生活が、いつまでも続いていってほしいと思いますが、なかなか難しそうです。でも、「すぐそこにある宝」を見つけた大島さんの写真の顔は、とても幸せそうでした。
バカ親父にとっての、すぐそこにある宝とは?……みなさんの、すぐそこにある宝とは?
* 大島さんの次のような著書があります。
この記事へのコメント
大島さんはこの極寒の地の自然と、人々の生活や生き方を宝だと思ったんじゃないでしょうか。もちろん、家族もですが。
ぬくぬくとした平凡な生活も、すばらしい宝かもしれませんよ。そこでどんな夢を見出すか、ですかねえ。
これは・・何者にもかえられないもんね。
ちょっとお利巧なコメントすぎるかな~~
この新聞記事、けっこう楽しみに読んでました(^^)。星野道夫さんの著作と重なる部分もあって、興味深かったです。
”宝”って、やはり家族であり、ありふれた日常の生活ですねぇ。そして、「出会い」も宝だと思います。こうやって見回すと、実は世の中は宝物に溢れているのかもしれませんね☆
「出会い」も宝でしょうね。世の中にはいろんな宝が溢れているかもしれませんが、それに気がつかずに見逃しているような気がします。気づくことのできる感性のようなものを養わなきゃいけませんね。