ソロとパーティー

画像 先週16日の朝日新聞・文化欄に沢木耕太郎さんの講演の要旨が載っていた。演題は「ソロとパーティー」である。
 いろいろ考えさせられる内容だったので、簡単に紹介してみる。


 沢木さんは、南米で体験した小型飛行機の不時着事故や、登山家夫妻との交流を通して、自らが信じる生き方の基本を語ったという。
 この登山家夫妻とは、中国・ネパール国境の高峰ギャチュンカンに挑戦し、凍傷で手足の指を何本も失いながらも生還した山野井泰史・妙子夫妻のことである。

 沢木さんがアマゾンで乗っていた飛行機は墜落したのだが、運よく焼畑の閑地に不時着し、九死に一生を得た。沢木さんは、

<「その場で死んだとしても、自分としては全然問題なかったと思う。素晴らしいものが書けたとは思わないが、最高の努力を常にしてきた自信がある。その場、その瞬間を十分に生き切っている感じがあるから」
 その理由を「自分一人ですべてをコントロールできる仕事をしてきたからではないか。集団でする仕事だと、最高度の努力をしても生き切ったとは思えないんじゃないか」と考えた。>
という。

 その後、「ひとり」(ソロ)を強く意識するようになったのには、山野井夫妻の存在があったという。
<大勢のパーティーによる組織的な登山ではなく、あくまで少人数で一気呵成(かせい)の踏破をめざし、失敗してもめげない姿が心の琴線にふれた>のだそうだ。

 そんな沢木さんと山野井泰史さんは、企業のリストラについて語り合ったという。

<「(リストラされて挫折するのは)ソロで生きてこなかった人たちだからだよね。そんな時、僕たちは立ちすくまないよね」という泰史さんに、沢木さんも共感する。
 「ソロで生きると、一人で道を覚え、選択するが、集団だと全体について考えない。同じ時間を生きていても濃さが違う」「問題はソロで生きていける人たちがパーティーを組んでいけるかどうか。パーティーに加わりながらソロで生きていく力を蓄えるあり方は、その人の自由度が増す」と、沢木さんは語る。>

 それは家庭でも同じだと、沢木さんは言う。

<「僕は女房に家事百般を仕込まれて、冷蔵庫にあるもので何でも作れるようになった。家庭の中でもソロで生きていける能力を身につけようと意識するのは、そんなに悪いことじゃない」>

 最期に、沢木さんの講演は、次のようなさりげない励ましで結ばれたという。

<「どういう局面になっても、とにかくソロで生きていく。生きていける自分をもったうえで、パーティーに参加していく。そういうことを意識すると、わりと状況が変わる気がします」>


 以上が、その記事の概要だが、いろいろと考えさせられる。
 作家の沢木さんのように、すべてを自分一人でコントロールできる仕事をしている人はごく僅かだろう。大部分の人は、会社などの組織の一員として仕事をする。
 その組織が大きくなればなるほど、全体は見えなくなるだろう。いろんな部署での仕事が寄り集まり、全体の組織としての存続があるから、とりあえずは全体を考えなくても、目の前の仕事をこなしていけば済むだろう。言われたことを卒なくこなしていけば済むだろう。
 そんな仕事を長いことしていてリストラされれば、若いときならまだしも中年になってからなら、それは途方に暮れるのも無理はないかもしれない。
 沢木さんの言う“パーティーに加わりながらソロで生きていく力を蓄えるあり方”が大事だし、それにより“その人の自由度が増す”というのが、とても納得できるのである。

 家庭における“ソロとパーティー”という問題は、退職を迎えた、あるいは迎える団塊の世代には差し迫った課題である。
 夫としては、濡れ落ち葉にならないように、沢木さんのように“家事百般を仕込まれて、冷蔵庫にあるもので何でも作れるように”なっておかないと、いざという場合に困るだろう。いざという場合にならなくても、少なくとも“家庭の中でもソロで生きていける能力を身につけようと意識するのは、そんなに悪いことじゃない”ということになると思う。
 妻の場合はどうなんだろうか。団塊の世代では、わりと専業主婦か多いから、一応家事に関しては問題ないと思うが、どちらかというと夫に頼って生きてきたような部分があるから、ソロで生きていける能力があるかどうかは、ちょっと疑問かもしれない。
 「夫なんて、いないほうがいいのよ! 一人で十分生きていけるわよ!」なんて言える方も多いのかもしれないが……。

 あなたは、ソロで生きていける能力と自信がありますか?


<後記>沢木さんの最後の言葉、“どういう局面になっても、とにかくソロで生きていく。生きていける自分をもったうえで、パーティーに参加していく”というのが、とても大事なような気がします。
 その“パーティー”というのは、仕事の組織や夫婦のみならず、親子でも趣味の集まりでも、友人関係でも……人と人との集まりというか関係に当てはまりそうです。
 片方がもう一方に頼りすぎたり、依存しすぎていると、その関係は何もなくてもギクシャクしそうだし、何かあったらすぐに壊れやすいんじゃないかと思います。
 生きていける自分をもった個人と個人のパーティーであれば、何かことが起きても、それぞれが自身で対処しつつ、全体としても上手くやっていけるような気がします。
 うちの場合は?……う~ん、これからが大変だ~~~(^^ゞ。

<今日のSORA>
 今朝の散歩でいつもの公園に行くと、SORAは急に伏せの姿勢に入りました。犬かと思いましたが違いました。写真では見えませんが、雀だった~。

画像

 SORAは、動くものには何にでも反応します。この前は、壁を這っているアリを目で追いかけていました。ただ、アリが動きを止めると、どこにいるのかわからなくなるようでした。小さすぎるんでしょうね。
 今日は家の中にガガンボが入ってきていて、追いかけました。口で咥えようとするのですが、上の方に逃げられました。でも、お座りをして、ずーっと目で追っていました。
 これから、虫がたくさん出てくるのが、ちょっとコワい(~_~)。

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この記事へのコメント

2008年04月22日 01:02
私も記事読みました。
夫婦の場合、お互い元気な内からソロで生きる練習をしている必要があるように思います。
あまりに相手に依存しすぎていると、立ち直るのに時間がかかります。
かならず、どちらかが一人で生きなければいけない時が来るのですから・・・
犬や猫は動くものは良く見えるようですが、じっとしているものは見えないようですよ。
以前テレビで実験していましたが、飼い主が動かず立っていると、見分けが付かなくて、かなりそばまで寄らないと、認識しなかったように思います。
遠くでも手を振っていたり、動きがあると、見えるようです。(笑)
遊哉
2008年04月22日 10:22
☆ のんびり猫さん、この記事読まれたんですね。
 たしかに、夫婦はいつかはかならず、どちらかが一人で生きなければならない時がくるんですね。若いころは、そういうことは思ってもみません。まあ、それは仕方ないことではあるでしょうが、二人が元気でいるうちから、ソロで生きる練習をしていく必要があるでしょうね。
 それに、もしもの時のことはさておいても、お互いがソロとして生きる能力と意識を持っていたほうが、一個の個人としてお互いが自由にしかも尊重しつつ、生活し生きていけるような気がします。
(つづく)
遊哉
2008年04月22日 10:23
(つづき)
 猫のことはよく知らないのですが、犬と同じでしょうね。動くものに対する反応は、すごいものがありますね。散歩で猫がいても、動かないと反応しないのですが、ちょっとでも動くと追いかけて行こうとします(~_~)。
 飼い主に対しても同じでしょうね。ちょっと離れて動かないとわからないと思います。同時に、今まで見えてたのに、木の影などに隠れて見えなくなると、必死に飛んできて探そうとしたりもします(~_~)。
 蝶々でもハチでも追いかけて咥えようとするから、これから虫がいっぱい出てきたら、大変だと思っています(^^ゞ。
2008年04月22日 13:46
ソロで生きていく・・・なんとなく解るような気がします。
一人でも苦じゃないが女一人で海外旅行は物騒だしそんな時ツアーに入れば多少は安全かな
その時々で人に合わせていけるし
周囲は寂しそうなんていう人も居るがこちらは充分楽しんでるしで・・・一々反論もしません
団体が年中だと辛いけど時々なら楽しめるよね?
昨日も一人で山歩きやドライブしてる人もいたし
その逆にグループの人もあったよ!
一人で楽しめればその逆もまた楽しと思えるんじゃないだろうか?
遊哉
2008年04月22日 20:35
☆ 小桜小梅さん、なんとなくわかりますか。
 女一人で海外旅行のツアーに加わるという設定も面白いですね。男一人でも同じだと思うけど、勝手気ままでもなく、自分で楽しみながらもツアー全体の流れや雰囲気を壊さずにいくのは、意外と難しいかもしれません。大人じゃなきゃできないかもしれませんね。
 世の中には、まったくの一人で山歩きをする人もいるでしょうが、楽しみの限界があると思います。自分一人で楽しむと同時に、他の人とパーティーを組んで楽しむことができれば、よりその人を大きくさせると思います。
 ソロで楽しむと同時に、パーティーとしても楽しめることが大事でしょうね(^^♪。
2008年04月22日 21:49
私が沢木耕太郎ファンだと知ってお姐さんが、この講演会が大阪でもあってその申し込み方法が新聞に出ていると電話くれたんです。でも先約があって涙を呑んだのでした。その内容をこんなに詳しく知ることができて感謝です。
いまさらソロは無理かな。一人じゃないからソロを楽しめるという程度です。情けない・・・沢木さんに嫌われる~
みいママ
2008年04月22日 21:59
いやな言葉ですが老後の生活は自分が
やりたかった事やいままで出来なかった事
などをして過ごしたいです 
時間はたっぷりありますからじっくり
計画をたてて過ごすつもりです
夫婦で仲良く散歩とか習い事を一緒にする
のもいいですよね 趣味が合えばですが・・
知人のご夫婦はお風呂に一緒に行くのを
楽しみにしていらしゃいます 
温泉めぐりもいいですよね~ 
ウチはまだちょっと早いから遊哉さんご夫婦
を参考にさせてくださいね!
遊哉
2008年04月22日 22:28
☆ uraraさん、そうでしたか~。沢木さんの講演をuraraさんに聞いてもらってブログ記事にしてもらって、それを読みたかったです(^^♪。
 新聞はそれほど詳しい記事ではありませんでしたが、感じるものがありました。この前のuraraさんの三田誠広著「団塊老人」の記事に通じるものがあるとも思いました。
 夫婦は夫と妻それぞれが自立して、ソロとして生きていける能力と意識がちゃんとあるほうが、うまくいける、と沢木さんはいっているように思います。
 お互いがソロを楽しみつつ、それを尊重しつつ、二人の生活も楽しむ、というのがいいんじゃないでしょうか(^^ゞ。
tare
2008年04月22日 22:30
一人でも生きていけるけど、二人の方がずっと楽しいから・・そういって結婚してねって娘達にはずっと言ってきた。(父親曰く三歳の頃から言ってたらしい)自分の事は棚に上げて。。。
遊哉
2008年04月22日 22:44
☆ みいママさん、バカ親父も“老後”という言葉は嫌いです(^^ゞ。変な区切りはつけずに淡々と生きていけたらと思いますが、まあ、第一線を退いた後の人生ということでしょうね。
 やりたかったことできなかったことを大いにやってほしいと思いますが、何が起きるかわかりませんから、どうせなら今から少しずつでもそれを進めていったほうがいいような気がします。
 夫婦で趣味が合って同じことをできればそれに越したことはないと思いますが、そうでなくてもお互いが好きなことをして、それをお互いに認め合いつつ、二人の生活も楽しめるというのもいいんじゃないでしょうか。それが沢木さんのいう「ソロとパーティー」につながることだと思います。
 うちは、バカ親父がソロで生きられる能力が足りないかもしれない、とも思いますが、意外とソロでも生きられそうな気もします(^^ゞ。いずれにしろ、うちはお互いが好きなことをしています。SORAが、二人を結びつけているかもしれません(~_~)。あまり参考にならないような気がしますが~(~_~)
遊哉
2008年04月22日 23:05
☆ tareさん、う~ん、これはコメントが難しい(^^ゞ。“一人でも生きていけるけど、二人の方がずっと楽しい”、ですか~。微妙な表現ですね(~_~)。
 その“楽しい”の中身というか、楽しいことをどう捉えるか、の問題のような気がします。夫婦になれば、楽しいこと、苦しいこと、嬉しいこと、悲しいこと……、いろんなことが一人で生きていくより2倍、時には3倍、4倍も多いと思います。それを、楽しむというか面白がれればいいんじゃないでしょうか。楽しいことだけを求めても、それは無理なような気がします。夫婦にはいろんな時期があるから、それを乗り越えることも必要でしょうね。
 それと、片方が一方に頼りすぎたり、自分を犠牲にしすぎたりすると、うまくいかないような気がします。まあ、夫婦はそれぞれだから、一概には言えないですけどねえ。
 それぞれがソロでも生きていけるけど、それでも協力して夫婦をやっていくというのが、いいような気がします。なんて、自分のことは棚に上げて、エラそうなことを書いてます(~_~)。
トド
2008年04月23日 08:32
おはようございます、。

少し年上で、すでに退職世代に入っている私から、
本当にお手本は無いです、百組百様です、きっと又団塊の世代から、少しこの様かな、、。と言える退職夫婦の年の取り方ができるのかな、。

赤ん坊の頃以来、しかも他人とほぼ24時間一緒というのは凄い事ですよ、しかも子供と違い、大人の男は暗黙のうちに偉いからね、。
どんなにCMでメチャメチャに言われていても、、。

年金制度を見ても、社会制度的(女の社会的訓練の面でも)にも、女のソロはマダマダと感じます、。が、、。

遊哉
2008年04月23日 19:24
☆ トドさん、はい、そうですね。夫婦は百人百様でしょうね。年代によっても、そのあり様は違ってきていると思います。
 表面的にいい夫婦だなと思っても、その内実はその夫婦だけにしかわからないところがあって、かならずしもお手本にできるとは限らないようです。
 団塊の世代は、親は戦前生まれで、自分たちは戦後の変化の激しい中で育ち生きてきて、新旧の考え方や意識を併せ持っているような気がします。前の世代とはちょっと違った「ソロとパーティー」のような退職夫婦のあり方ができるかもしれません。
 “他人とほぼ24時間一緒”というのは、考えてみたらすごいことですねえ。男が偉いかどうかはよくわかりませんが、社会的に生きてきた夫と、家庭的に生きてきた妻とのせめぎ合い、というか兼ね合いが難しいかもしれません。
 夫に頼ってきたような妻だと、夫にもしものことがあったら、年金の面でも社会的自立という面でも、女性がソロで生きていくのはなかなか難しいところがあると思います。でも、女性は逞しくて強いですからねえ。意外と……(~_~)。

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