『役にたたない日々』 <その2>

画像 『役にたたない日々』のつづきである。
 だいぶ長いので、適当に面白そうだと思ったところを読んでもらえれば幸いです。


 好きな男優について書いたあと、ワイドショーの話題に移り、そして、

<だから、スキャンダルが起きても、「いいじゃん、役者だもん、わたし達は品行方正の役者なんか求めていないよ。だいたい下半身の事は、放っときなさい。ワイドショーの小母さん、むきになるなよ、一緒になって草野さん、あんた一点の曇りのない人生おくってるのか、なんか、スキャンダルに鉄槌を下す時、あんた少しオドオドしてて目が泳いでいるよ」。
 みんな杉田かおるになれと思う。あれはまれに見る立派な女だ。ワイドショーは日本をほろぼす。責任のないだらけた立場で、人に文句つけるな。正義と偽善にまみれるな。
 日本中の国民を卑怯者にする。国会の野党みたい。何でもかんでもケチつける前に、自らの政策を具体的に展開せよ。別に与党を立派だとは思わないが、人にケチをつけるだけの立場は卑怯だよ。今は卑怯者が正義みたいではないか。

 六十八歳は閑である。六十八歳は誰からも求められていない。六十八のバアさんが何をしようとしまいと注目する人は居ない。淋しい? 冗談ではない。この先長くないと思うと天衣無縫に生きたい、思ってはならぬ事を思いたい。そしてテレビを見ている。前々から思っていたが、オサマ・ビンラディンという人は立派な風格をしている。哲学的かつ知的で姿が優美静謐で目が深い様に見えてしまう。世界中から憎悪されているが。
 ブッシュの顔を見ると、とても恥ずかしい人類の顔だと思う。ビンラディンがどの様な悪党かしらぬが、私たちは本当の事など何も知らない。考えるべき基準など、少なくとも私にはない。9・11で三千人の人が死んだが、アフガニスタン、イラクでは四万人以上の市民が死んでいる。こういう事って正義なのであろうか。正義の話ではない。人の外見のことである。あの大胆なテロを実行させたアフガニスタンのテロ集団の内情などわからない私であるがアフガニスタンで国民は何を食っているのか、どんな風が吹きどんなほこりが流れるのか、私は知らない。
 しかしビンラディンが細長い顔とひげとターバンと質素に見える民族衣装をつけて立っているのを見ると好もしい外見であると私は思ってしまう。
 北朝鮮の金正日は解りやすくて安心である。安心しておおいやだ、とんでもない奴だと思えて嬉しい。
 多分ビンラディンはインドの乞食と同じムードがある。インドの乞食はどうしてあの様に哲学的に見えるのだろう。>(二〇〇六年秋)


<一週間一度病院に行く。骨が痛いので点滴をしに銀座を越えてゆく。タクシーが高いので、今日は自分で運転して行く決心をした。ほとんど一時間余裕を持って出発した。
 人に運転してもらったり、タクシーに乗ったりして何回も行っているのに迷うかも知れないので用心深く真面目な心を持った。昭和通りを越えたら、病院が高くそびえ立っていた。左前方にそびえている。橋をわたって直進したら病院は左後方に立っている。
 左折したら今度は右後方に立っている。人に聞く。「あゝ、橋の向こう側だよ、この橋を渡った方がいいよ」。この橋はさっきとちがう橋だった。渡ると右前方にそびえている病院。
 私は病院の周りをぐるぐる何周もしたが、山の中で狸に化かされている人と同じだった。四十分もぐるぐる回った。
 仕方がないので空のタクシーの前に止まって「すいません、××病院に行って下さい。私あとをついて行きます」。空のタクシーのあとをついて行ったら、三分でついた。
 私は生まれて初めて、乗っていないタクシーに金を払った。>(二〇〇六年秋)


<点滴が終わって診療を待っていたら看護師さんが「お忘れものですよ」とブラジャーのパットを一個持って来てくれた。
 なくなった「オッパイ」にのっけておくのでずれて落ちたらしい。
 ここの若い先生は素晴らしい。私は週一回この先生に会えると思うと、洋服を買ったりする。誰のために? 自分の気分のためである。担当の医者がいばった年寄りだったりしたら、私は寝巻きの上にコートを着てくるかも知れぬ。
 「どうですか?」。医者は夏目漱石の昔から「どうですか?」と云うのである。
 「つけ根のところの痛みはとれました。でもこのへんが鈍痛がするんですけど」私は自分の太ももをさすった。
 「このへん?」。若い医者は私の太ももをさすってくれた。びっくりしたナア、私男にひざをさすられるなんて何十年ぶりだろう。
 懐かしいナア、一瞬だった。
 「大丈夫です」。医者はレントゲン写真を見せてくれた。
 とけていた骨が驚異的に回復していた。「先生ありがとう」。私は若い女の様な声を出した。「僕が治したんじゃ、ありませんよ。薬が治したんです」(いや薬ではない、あんただよ)「先生すごーい、ありがとう」「僕も嬉しいです」。先生はかわいい顔して笑ってくれた。>(二〇〇六年秋)


<三十歳のもといじめっ子に聞いたことがある。「あんたがいじめた子が、今、復讐に殺しに来たらどうする」
 「それはしようがない。俺は殺されるよ」
 大人になったいじめっ子は皆そう思っているのだろうか。
 私が貧乏学生の時、友達と海へ遊びに行った。私が魚肉ソーセージを食べようとすると金持の女が、「やだあー気持悪い」と云った。叔父が日本水産につとめていて、叔母の家に沢山あった。叔母の家では普通の食い物だった。私の後を歩いていたその女が「サノさんのスカートブワブワなのネ、アハハ」と笑い、違う友達の家へ肉まんをお土産に持って行ったら友達が、「めずらしいわね、あなたが持って来るなんて」と云うとすかさずその女が「サノさんケチだもの」と云った。今六十八歳、私は生涯かけてあの女を許さない。呪い殺したいと思っていたらその女ガンになった。うろたえたら、私もガンになった。人を呪わば穴二つだねェ。>(二〇〇六年秋)


<何に気がつこうともうすぐ七十じゃ遅すぎるのである。
 私は男の人を恋人にするよりお友達にするのが好きな女だった。
 だから男友達は沢山いて、次第に家族ぐるみに必ずなっていった。
 六十過ぎて、「あんた寝なくてよかったねェ。寝たら、今までお友達で居られなかったよ」「本当だよナァ」「寝たら別れなくっちゃならなかったよねェ」「俺たち頭いいよなあ」と本心は知らぬが云ってくれる男もいるのだ。本当だ。少しは嘘かも。そこで、私は思う。そしてすけべなヒヒジジイの気持がわかる。ヒヒジジイが若い女によだれをたらす気持が。
 自分がババアになって、私に丁度よい年ごろのジイさんが、何やら親しげに近寄って来ると(こういうこともあると仮定して)ちょっと、ちょっと、あんたジイさんじゃないのあんまりじゃない? と反射的に思ってしまうのだ。ハゲてるじゃん、でぶじゃん、しわばっかじゃん、あんまりじゃん。そして私は自分がバアさんなのを忘れていた事に、ぎょっとする。他人が私の実年齢よりお世辞でも若いと云った事はない。
 ちょうちんあんこうの様に目が顔の前にぶらさがっていないのだ私は。
 何よりも華やいだ心持ちになれないのよ。
 かと云って十も若い男だって六十近いのだけど、イケルじゃんと思ったとたんにごめんなさいわたし思い上がっていました。
 二十の男と三十歳の女の華やぐ心はまあいいと思う。でも十歳ちがいの七十近くの女と六十近くの男はダメです。だいたいそういう事は太陽が西からのぼっても奇蹟としても起こらない。六十近くの男は女が若ければ若いほど若さに吸いよせられて行くのに何の不思議がありましょうぞ。>(二〇〇七年夏)


<ジョージア・オキーフが九十過ぎて二十代の恋人がいたのは例外である。奇蹟ではなく例外である。エディット・ピアフが若い愛人がいるのも例外である。例外は奇蹟ではない。特別なのである。しかしフツウのオバアさんに例外は絶対に起こらない。
 ある日、私は華やぐ命というものに全く関与しないでウン十年生きて来たことに気がついた。
 皆さん、韓流ブームは何であったか、わかったでしょう。
 架空の華やぎにねじくれて触発されたのである。だから、私もはまった。いや楽しい一年でした。一年中ベッドに左むきになって、ヨン様やイ・ビョンホンやリュ・シウォンに華やぐ命をあずけたら一年経ったらあごが外れていた。医者に、同じ姿勢をとっていませんかときかれた時、瞬時に了解した。そして気がついたら、チョコレートを食いすぎて見るだけで吐く子供の様になって思い出しても気持ちが悪くなった。
 日本中のオバさん、今はどうしているのですか。もうオバアさんですよね。>(二〇〇七年夏)


 佐野さんはテレビドラマやその俳優にもハマる。でも、すぐにその題名や俳優名を忘れてしまう。

<○○が実に気に入った。ものすごい美貌である。タイトルが思い出せない。
 そしてその時、私は華やぐ心を全て○○にそそいだ。その間に私は一つ齢とった。
 そして正月になり、そうだ、今年の華やぐ心を誰に捧げるか決めようと胆をひきしぼった。
 あ、これにしようと思ったが、今はもう忘れた。それに今時の若い男が皆同じように見えるのである。
 同じように見えると名前なども区別がつかない。女の子などまるっきり同じで男よりも判別がつかない。あゝ私はもう今の時代から取りのこされているのだ。
 昔の映画を見直してみよう。
 『カサブランカ』を見た。ハンフリー・ボガートはリックという名前である。イングリット・バーグマンはイルザである。
 私の心は○○に対するよりも何ランクも上に華やぐのである。
 バーグマンを見送るボガートの後ろ姿、タバコを捨てるラストシーン。
 要するに新しい情報を仕入れる脳細胞は死にたえたのだ。
 今では医学でも脳が死んだ時に死と認定する。
 私は半分死人なのだ。
 同じ本を二度買い、あ、これ読んだと最後に思うのである。
 サトウ君の家で古い西部劇を見た。映画が終わった時、「アッ、これ見た。今気がついた」とサトウ君が云った。
 ヒッヒッヒッ。嬉しいね。>(二〇〇七年夏)


<アレ、ソレ、あそこ、ここ、代名詞の連発である。
 同年輩が集まると、アレ、コレ、ソレ、思いちがい、勘ちがい、集団で半死人である。
 みんな華やぐ命はどうなっているのだろう。
 でもサトウ君は、「その写真のはじのきれいな人が○○さんだよ」と云うから、男はずっと華やぐ命を持っているのかも知れない。
 電車にのって見ていると、若くてきれいな女の前には必ずジイさんが立っている。
 知らずに吸いよせられてゆくのである。
 すると前のジイさんに気がついた若い女がジイさんに席をゆずったりするのでジイさんはうろたえて、あいまいに礼を云ったりする。
 見ていて私は心の中は「ケッケッケ」と笑っていい気持である。
 バアさんは、若い美男子に吸いよせられてはいかない。
 かばんを持ちかえたり、窓の外を振り返って見る人の前に立つ、坐るためである。
 華やぐ心よりも、実用に走る。>(二〇〇七年夏)


 ニコニコ堂という古道具屋のおじさんは、活力がなくて半分死んでいるようである。そのおじさんが、

<この前来た時は「佐野さんもう一年位で死ぬのに、こわくないの」と聞かれて生きてる死体に聞かれたくないわと思いながら「全然、だっていつか死ぬじゃん、そんなのわかっているじゃん」「だけど何で、そんなに平気で元気なの、こわくないの」「こわくないったら。嬉しいよ、あんた死んだらもう金いらないんだよ、かせがなくたっていいんだよ、金の心配しなくていいだけでもラッキーって思うよ」「こわくないの」「こわくないって、それにガンってすごくいい病気だよ、死ぬ時に死ぬじゃん、もっと大変な病気いっぱいあるじゃん、リューマチとかだんだん悪くなるだけで、ずーっと痛くて治らないとか、死ぬまで人工透析するとか、脳梗塞で寝たきりで口がきけないとか、体が元気で痴呆とか、何でガンだけ『ソウゼツなたたかい』とか云うの、別にたたかわなくてもいいじゃん。私、たたかう人嫌いだよ」>(二〇〇八年冬)


 佐野さんのガンは再発した。

<骨に再発した時転移と思わなくて、ガードレールをまたいだ時ポキッとしたから、整形外科でレントゲンをとったら、オッパイを切った医者が顔色をかえた。
 ガン研を紹介してくれた。ガン研は今の病院を紹介してくれた。
 私はラッキーだった。担当医がいい男だったからだ。阿部寛の膝から下をちょん切った様な、それに医者じゃないみたいにいばらない。いつも笑顔で、私週一度が楽しみになった。七十ババアでもいい男が好きで何が悪い。
 初めての診察の時、「あと何年もちますか」「ホスピスを入れて二年位かな」「いくらかかりますか死ぬまで」「一千万」「わかりました。抗ガン剤はやめて下さい。延命もやめて下さい。なるべく普通の生活が出来るようにして下さい」「わかりました」(それから一年はたった)
 ラッキー、私は自由業で年金がないから九十まで生きたらどうしようとセコセコ貯金をしていた。
 私はその帰りにうちの近所のジャガーの代理店に行って、そこにあったイングリッシュグリーンの車を指さして「それ下さい」と云った。私は国粋主義者だから今まで絶対に外車に意地でも乗らなかった。
 来たジャガーに乗った瞬間「あー私はこういう男を一生さがして間に合わなかったのだ」と感じた。シートがしっかりと私を守りますと云っている。そして余分なサービスは何もない、でも心から信頼が自然にわき上がって来た。最後に乗る車がジャガーかよ、運がいいよナァ。
 そしたらやきもちをやいた友達が、「佐野さんにはジャガーが似合わない」と云ってたそうだ。何でだ、私が水呑百姓の子孫だからか。口惜しかったらお前も買え、早死にすれば買えるんだ。私は七十で死ぬのが理想だった。神は居る。私はきっといい子だったのだ。>(二〇〇八年冬)


 長くなってしまったが、もう一か所だけ、上の引用のちょっと後ろの文章を紹介して終わりにする。

<私は今、何の義務もない。子供は育ち上がり、母も二年前に死んだ。どうしてもやりたい仕事があって死にきれないと思う程、私は仕事が好きではない。二年と云われたら十数年私を苦しめたウツ病がほとんど消えた。人間は神秘だ。
 人生が急に充実して来た。毎日がとても楽しくて仕方がない。死ぬとわかるのは、自由の獲得と同じだと思う。>


<後記>付箋を貼ったところの半分も紹介できませんでした(^^ゞ。紹介しようと選んだところをもう一度読み返すと、その前後も面白くてどうしても紹介したくなって長くなってしまいました。
 佐野さんの文章は実にサバサバとした感じで、思っていることをズバズバ書いているようです。一見なんでもないようにみえるし笑えますが、なかなか鋭い深い内容になっています。世間の常識にとらわれずに、本質を突いていると思います。
 また、自分の弱さ、愚かさ、頼りなさ、大人気なさなどをさりげなく書いていますが、自分をよく知るからこそ、人間のそれらをよく知っているからこそ書けるのではないかと思います。それは、今までの経験などから導き出されたのでしょうが、いろんな苦しみや悲しみや修羅場を潜り抜けてきたことと想像させられます。
 そうした経験というか時の流れにいたずらに抵抗していないようにもみえます。一種の居直りとも思えますが、ちょっと違うような気がします。受け流すとか、従容として受け入れるというのとも違っているようです。
 他人には見せないけれど、長い間の内面の悩み、煩悶し、苦しみ抜いたあとの“生身の人間としての悟り”のような感じがしてなりません。
 それにしても、最後の“死ぬとわかるのは、自由の獲得と同じだと思う”というのは、スゴイ!

 下は、ごく最近、本屋で見かけて手に入れた佐野さんの文庫本です。まだ読んでいませんが、面白そうです。

がんばりません (新潮文庫)
新潮社
佐野 洋子

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ラヴ♪佐野洋子さんの ...
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この記事へのコメント

2008年08月16日 02:02
久しぶりにブログ巡りをしていてこの記事から読みました。わ~、誰これ?面白い~!佐野さん?誰だろう・・絶対読もう!そして前記事を読み始め、もったいないので読むのやめました。本を買った時のお楽しみにします^^。佐野洋子さんって知らなかった~。
Fチェスカ
2008年08月16日 07:15
この人知りませんけど、これ面白い。
ビンラディンの風貌の下りに、「そうだ、そうだ」と納得。早く歳とりたくなります。


トド
2008年08月16日 07:27
佐野さんは、私に近いな、、。姉と同い年、、。
かなり解る。
そう、、。遊哉さんが少し勘違いしてるのを、そのままで、。もうすぐ64歳の女、、。普通の主婦???
戦後は普通の主婦って???連れ合いと別れても食べていける資格をもってるからけど、(もう働くのはごめんだけど)そこまではやらなかった、。
佐野さんはやはり違う、最後にジャガーを、。素敵です、。
今週は少し遠くに住む息子一家と遊んだ、。楽しかった、。戦後日本の女は、色々に成ったが、マスコミと教育界は、古さを温存した、。でも女達は産まないことで、。
ドイツ、イタリア、日本が出生率を下げて、。
でも、人口が増えると、自国で養いきれなくて他国にと、。何でもいいことばかりでは、。
やはり、長い思考はくたびれる、。これからも宜しく、。

2008年08月16日 09:03
何だかとっても気の合いそうな人だと思いました
自分でも言いそうな言葉が並んでて
ケチった割には逆に無駄になったりするし
思わず「そうそう」とつぶやいたり
エロ爺はやだけど
友達になれる人は欲しいな~とか
一度お目にかかってみたいな~~~なんておもちゃった(^^♪
遊哉
2008年08月16日 10:07
☆ リサさん、また夜更かししてる(^^ゞ。この本、面白いよ~。
 佐野洋子さんは、元々は絵本作家です。『100万回生きたねこ』なんていうロングセラーもあります。エッセイストとしても有名です。詩人の谷川俊太郎と結婚してたこともあります(~_~)。
 この本も他のエッセイも、リサさんの感性にきっと合うと思います。とりあえず、この本を是非読んでみてください(^^♪。
遊哉
2008年08月16日 10:16
☆ Fチェスカさん、いいでしょう。面白いですよ(~_~)。
 ビンラディンの風貌だけでなく、他のところにも「そうだ、そうだ」があったんじゃないでしょうか(^^ゞ。
 そうですねえ、早く歳とりたくはないけど、歳をとるのも悪くないと思えますね(~_~)。Fチェスカさんが年とると、佐野さんみたいな感じになるかもしれない、なんて思ってます(^^ゞ。
遊哉
2008年08月16日 10:42
☆ トドさん、お姉さんは佐野さんと同い年でしたか。お姉さんと共通するところが、いろいろあるんでしょうね。
 “遊哉さんが少し勘違いしてるのを……”というところがよくわかりません(^^ゞ。なんか勘違いしてるかなあ(~_~)。
 “最後にジャガーを”なんて素敵ですよね。バカ親父が明日死ぬとして、有り金はたいてもイングリッシュグリーンのジャガーを買うのは無理です。残念無念(~_~)。
 遠くから息子さん一家がいらしてたんですね。お盆にはやはり会いたいですよね。楽しく過ごすことができてよかったです。
 日本の狭い国土に、今の人口は多すぎると思います。人口が少なくなるのはいいことだと思ってます。ただ、老齢化が進んで、しばらくはいろんな課題がでてくるから、国としてそれを乗り切るのは大変なことがあるでしょうけどね。難しい問題です(^^ゞ。
遊哉
2008年08月16日 10:56
☆ はい、小桜小梅さんは、佐野さんとは気が合いそうだと思います。「そうそう」と思うことが多かったですか~(~_~)。
 “ケチった割には逆に無駄になったりするし”って、そちらの記事にもありましたね。無駄はないほうがいいかもしれないけど、時には必要な気もするし、無駄があるのが生きている面白さかもしれない、なんて最近思ってます。
 異性の友達というのは面白いものですね。いざつくろうとすると意外と難しいものがありますが、これから少しずつつくっていってください(^^♪。
 佐野さんは今どういう状態なのかわかりませんが、もうホスピスに入っているのかもしれません。もっといろんなエッセイを読みたいものです。
さよちん
2008年08月16日 12:00
途中、老眼鏡をもっと強いのに替えて読みきったよ。
(〃^∇^)o_彡☆あははははっ!!やっぱり楽しい人だわ。何だか歳を取ることが怖くなくなっちゃった。
この本を買って読もうとまで思ったくらい心が動いたわ。しかしこうもあっけらかんと癌を語れるなんて凄いね!今また、私の身近に癌の治療をしている人が二人居るけど、二人とも壮絶っぽいな!
掛ける言葉に困ってるよ。でも一人は余りお金のある人では無いので、そんな身体でも仕事辞めないでいる。大丈夫なのかなあ~、っていつも思ってるの。
2008年08月16日 12:02
身体は大事にしなきゃ、と思うけど、どう大事にすればいいのか分かんないよ。
しかし、佐野さんの目にはどんな極悪犯でもカッコいい男だったらいい男に視えるってのも、またそれを書きのけてるってのが何とも言えん、タノモシサだね!
私もこんな女を目指したかったわ。もう遅いか!
これまでも教科書みたいな生き方とはとんでもなく遠い人生だってけど、少なくともそんな生き方を選ばなくて・・・選ぶ環境に居なくて良かった!
もしそんな環境に居たら即効、蹴飛ばして逃げ出したかも・・・。多分、私はね!
またオーバーだな!字数・・・ごめんよ。

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遊哉
2008年08月16日 13:52
☆ さよちん、またまたご苦労さまでした(~_~)。それにしても、眼科でちゃんと度を測ってもらって、しっかりした老眼鏡をつくったほうがいいよ~。
 こういう心境になるまでにはいろんなことがあったんだろうけど、面白いこと書いてるし、読む人を元気にしてくれるよね。年取ることも悪くない、というより年取ることは良いことだと思います。佐野さんは感性が鋭い人で、さよちんに似てるかもしれない(~_~)。
 バカ親父の友達にも知り合いにも若くしてガンで逝ってしまった人がいます。周りの人は悲しいし、いろいろ大変です。佐野さんみたいにあっけらかんとしていると、周りの人は楽(?)というか助かるでしょうね。病気を治すのも、金がないとできないというのは嫌な話です。貧乏人は死ね、と言われてるようなもんです。おかしいよねえ。
 腹八分目で、バランスのよい食事をして、適度に運動することが大事でしょうね。あとは運・不運じゃないだろうか。遅かれ早かれみんなこの世をオサラバするんだから、気楽にするのが一番かも(^^ゞ。
(つづく)
遊哉
2008年08月16日 13:53
(つづき)
 テロは悪いことだけど、同じ正義をかざしていても、何のための正義かでそれをする人の品性みたいなものが出てくる、ということじゃないだろうか。ビンラディンとブッシュの違いでしょうね。どちらにしろ、正義を振りかざす人は簡単に信じないほうが良さそうです。
 “こんな女を目指したい”のなら、遅いことなんてないと思いますよ。波乱万丈の生き方をしてきたんだから、素質は充分じゃないでしょうか(^^♪。頑張ってね!
2008年08月16日 14:35
100万回生きた猫の 人だよね 佐野洋は ほとんど読んでるんだがなー ゴメン
みいママ
2008年08月16日 14:42
ガンも怖いけど確かに透析を受けて居る人は
食事規制大変だし片麻痺の人も一人では
出来ないことが多いからどんな病気でも
辛い事ですよね~健康なときには考えられない
事がきっと多いのでしょうね
今日も時々大雨で草木も嫌がっています
遊哉
2008年08月16日 17:47
☆ seiziさん、そうです、その人です。さすが読んでますね。この本がいちばん新しいと思いますが、ちょっと語り口調が変わっているような気がします。
遊哉
2008年08月16日 17:52
☆ みいママさん、どんな病気も本人は辛いし、周囲の者は大変ですね。ましてや、不治の病となれば想像もできませんが、佐野さんの対応というか考え方には、脱帽します。
 そちらは大雨ですか。こちらは雨が降りません。少しは降ってもらいたいんですがねえ。うまくいきませんねえ。それぞれ困ったものです(^^ゞ。
2008年08月17日 15:27
前記時の最初を読んで、これは読まずに本を買おうと思ったんですが、本日、読破しちゃいました。面白かったです。あっぱれですが長年うつ病だったとありますから色々と深く考えてのこの境地なのでしょうね。老い先のことを考えると怖くなることも有りますがそのたびにこの方の本を読んだら少し元気が出るかもと思いました。私は韓流に嵌ったことはありませんが、とても説得力がありました(笑)なるほどね~と思いました。
2008年08月17日 15:29
すみません、読破したのは遊哉さんのブログ記事その①その②のことです。本を買ったわけではありません、念のため。それでも読み応えありました。
遊哉
2008年08月17日 17:48
☆ uraraさん、前記事とこの記事を読破いただいて、ありがとう。そして、ご苦労さまでした。(~_~)。
 この本、それに佐野さんて面白いですよね。長年のうつ病は辛かったでしょうし、いろいろ悩んだと思いますが、そういう経験が佐野さんを強く逞しくしたんでしょうね。それまでの人生でもいろんな修羅場をくぐって来ているようです。
 この境地にはなかなかたどり着けるものではないでしょうが、本を読むだけでも元気をもらえます(^^♪。
 他にも面白くて楽しいところがたくさんあるので、是非、この本を読んでみてください。
 話は変わりますが、インコマンションの写真見せてもらいました。無事に引っ越しできてよかったです。天井もそのままでも別に気にならないような気がします(^^♪。
2008年08月17日 20:50
二男家族の帰省を挟んで前記事から全部読みました。
途中で何回も笑いながらなのでこの長さも気になりませんでした。
自分とは違うタイプですが、根っこで似ている気もしました。
すごい部分は違います。
多分お友達にはならない、いやなってもらえないかもと思った次第です(~_~)
遊哉
2008年08月17日 21:36
☆ アーシアさん、ご二男一家が帰ってらしてたんですね。お忙しかったでしょうね。
 間を挟んでとはいえ、長い2つの記事を読んでもらえて嬉しいです。笑いながらということもあるでしょうが、忍耐力もだいぶついたんじゃないでしょうか(^^♪。この本、笑えます。そして、いろいろ考えさせられます。
 タイプが違うというのはわかりますが、根っこで似ているんですか~。どういうところかなあ。興味あります(^^ゞ。
 佐野さんのすごい部分は、すごいです。なまなかのことでは、普通の人はこうはなれないと思います。だから、スゴイと思います(~_~)。
 友達になっても、太刀打ちはできないでしょうね。なんだか起こられそう(^^ゞ。でも、話は聞いてみたいですね。

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