ラブ&ピース



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 今日も、昨日に続いてちょっと前の新聞記事からである。オノ・ヨーコさんの講演会を紹介したものである。

 10日の朝日新聞(夕刊)に「ラブ&ピースの極意」というタイトルで出ていた記事である。学習院女子大で、若い聴衆の質問に答える形式だったという。
 「ヨーコ先生の人生相談」の趣で、悩める若者たちに「ラブ&ピース」の極意を説いたという。

 記事に載せられていたのはごく一部だと思うが、紹介してみる。


○ 「女性」を一言で表すと?
 そういうことはあんまり考えないんですね。疑問を持たずに、与えられた時間の中で一生懸命やるだけ。

○ なぜ、オノ・ヨーコというカタカナ表記なのか?
 私がアメリカに行った後、日本の方がなぜかそう書くようになった。姓名判断の人が、カタカナの方がずっといいというから、そのままに。やだなと思うことでも、案外いいこともあるんです。
 私はいろいろ意地悪をいわれたけど、嫌悪という感情は愛と同じくらいの強さがあるから、愛に変えようと考えた。何が起きてもこれは何の祝福かな、と。

○ 夫のジョン・レノンについて
 (他の人たちに)意地悪されても、ジョンが愛してくれた。彼が死んだ後は、息子のショーンのためにも生きなければと考え、寝る前に名前の浮かんだ人を祝福することにしました。嫌なことをした人ばかりだったけど、祝福したら、楽になった。

○ 「私は周囲の人がうらやましくなる」という悩みには、
 一人ひとりのリズムがあるから、私は自分に何ができるかを一生懸命考えてきた。他人にはなれないし、うらやんでも仕方ないんです。
 幸せは自分が作るもの。毎日を充実させようとがんばっていると、ヘルプがくる。私はいろんな仕事を与えられ、それができる立場にいることが、非常に幸せ。

○ 平和論について
 世界平和は、みんなが幸福を追求すれば実現します。だから自分らしく生きればいい。ただ、人を傷つけてはいけません。世界は戦争産業と平和産業の人に別れている。戦争産業の人は何も言わずに目的を実行するから強い。一方、平和産業の人は議論したり批判しあったりで力がまとまらない。互いに尊敬の念を持てば、平和になります。

○ 人生最後のときを過ごす場所は?
 人生の最後なんて、まだ考えてません。

○ もう一度、生まれ変わったら?
 もう一度生まれ変わって、それが私でなくてもいいんです。この人生を一番充実させたいとしか考えていませんから。

 オノ・ヨーコさんのこの考え方に、みなさんはどう思われるだろうか。


<後記>彼女は、“受け容れる”人のようです。その受け容れた中で、嫌なことや嫌な人は嫌うのではなく、プラス思考でとらえ、何かの祝福を与えられたと思い愛することに変化させるようです。
 受け容れたことのなかで、自分にできることを一生懸命に考え、自分らしく日々を大切にしつつ人生を充実させようと努力する。それが幸せにつながるし、世界の平和にもつながる。
 こんなことを彼女は言っているようです。
 単純なようですが、実行するのはなかなか難しそう。でも、単純だからこそ、ちょっと気持ちを切り替えれば、できそうな気もします。
 どう思われるでしょうか。

 上の写真は今朝の空です。今日は朝方に少し日が差しましたが、あとは雲が多く寒い一日でした。
 夕方の空をモノクロで撮ってみました。カラーで撮っても、同じように撮れたかもしれません。

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 ついでに、SORAもモノクロで撮ってみました。ちょっと寂しげに見えるかなあ(^^ゞ。

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この記事へのコメント

2009年01月29日 01:07
ヨーコさんの表現する作品はあまり好きではないのですが生き方のブレのなさは尊敬に値する物があると思います。「いろいろ意地悪を言われたけど」の中には耐えがたい物もあったと思うけどそう言う事も受け入れて嫌悪を愛に変えようとする強さはすごい。
 モノクロのSORAが昭和の犬みたい^^。
2009年01月29日 09:22
オノ・ヨーコさん。お顔や姿、ジョン・レノンの奥さんである事は良く知っていますが、その考え方は聞いた事がありませんでした。遊哉さんの記事から、深く傷つきながらとても強い意思を持った方だなと思います。同時に酷く寂しげな心を感じます。
>もう一度生まれ変わって、それが私でなくてもいいんです。
切なくて涙が出そう。。考えすぎかな^^
sora
2009年01月29日 09:28
写真の事を書き忘れました~モノクロになると雰囲気が変わりますね~。SORAちゃん、やっぱりちょっと寂しげです^^
遊哉
2009年01月29日 11:00
☆ リサさん、彼女の作品はあまり好きではないですか。バカ親父はよく理解できません(^^ゞ。
 財閥の令嬢として生まれて、いろいろな決め付けというか、はめられた枠に相当反発したんだと思います。自分自身であり続けようとしているようにも思えます。
 それはさておき、反戦とか平和に対する思いは一貫していますね。その基本は“愛すること”というのも一貫していると思います。彼女の強さは優しさを秘めているという感じもします。表に表れる言動は過激なものもありましたが、最近はだいぶ柔らかくなったんじゃないでしょうか。
 “昭和の犬”っていうのが、いいなあ(^^♪。
遊哉
2009年01月29日 11:16
☆ soraさん、昔のレノンとのベッド・インの写真が強烈に印象に残っていますが、バカ親父も彼女についてそれほど知っているわけではないんです。
 考え方の基本はやはり“ラブ&ピース”なんでしょうね。深く傷つけられても、それを愛することに変えていこうとする強い意志はスゴイと思います。
 常に自分自身であり続けようとする孤高の人なのかもしれません。妥協を許せないんじゃないでしょうか。それが寂しげな心を感じさせるのかもしれません。もう一度生まれ変わるなんていうことを考えるより、今現在生きている自分をしっかり生きたい、と思ってるんでしょうね。
 モノクロって難しいですが、カラー写真にない面白さがあります。ほんとうはデジカメじゃなくてフィルムカメラでモノクロをやってみたいです(^^ゞ。SORAはちょっと眠かったようです(~_~)。
キーブー
2009年01月29日 15:34
オノ・ヨーコさん、ジョン・レノンの奥さんとしてしか知らなかったし、ベッド・インの写真を見て、アートかもしれないけどあんまり好きになれないなあなんて思ってました。
でも言ってることを聞くと、強い優しさに満ちた人だなと思いました。嫌な人と戦わず、祝福する…。確かに、戦って勝ったところで空しいだけかもしれませんね。しなやかに強い感じ、見習いたいかも。
SORAちゃん、モノクロだと古いフランス映画の街角にいる犬みたい。寂しげというか、アンニュイな感じ?(^^♪
遊哉
2009年01月29日 17:54
☆ キーブーさん、そうですね、やっていることがちょっと前衛的だから、バカ親父も馴染めないところがありました。
 自分の考えがしっかりあって、それが強い優しさに基づくものだったんですね。“しなやかに強い”という表現が当たってるような気がします。苦しいことや辛いことを乗り越えてきて、培われたものかもしれません。強い意志がないと、見習うのは大変そうですが(^^ゞ。
 SORAが“古いフランス映画の街角にいる犬みたい”ですか。なんだか嬉しいです。そう言われると、そんなふうに見えますね(^^♪。寂しげでアンニュイなんて、カッコいい!(~_~)。
2009年01月29日 22:03
やっぱり モノクロは いいよ sora 最高!
2009年01月29日 22:37
こんばんは♪
今回の記事、今日一日考えていたことととリンクしてました。ヨーコさんがおっしゃっている、

>嫌なことをした人ばかりだったけど、祝福したら、楽になった
>みんなが幸福を追求すれば実現します。だから自分らしく生きればいい
>この人生を一番充実させたいとしか考えていませんから

というのが、すごくわかるなぁと思いました。
写真、モノクロになると存在感が浮き立ちますね。SORAちゃん、カッコイイです
aopu
2009年01月29日 22:40
「考えていた”こととと”」になっちゃいました(笑)すみません
遊哉
2009年01月29日 23:21
☆ seiziさん、モノクロっていいですね(^^♪。SORAの顔にも深みが出る(^^ゞ。ありがとう!
遊哉
2009年01月29日 23:34
☆ aopuさん、“こととと”了解しました(^^ゞ。気にしないでください。
 ヨーコさんの言葉に、ビビッとくるものがあったんですね。というか、aopuさんがいつも書いていることに、通じるものがあるな、と感じてたんです(^^♪。
 「扉の前で」の“もう少しで、何かがつかめそうな気がしています”というのを、楽しみに待ってます(~_~)。
 モノクロって面白いです。黒と白とその間のグラデーションだけでその他の色がないと、内面が現れてくるような気がします。SORAがちょっと渋いでしょ(^^ゞ。
2009年01月30日 08:42
祝福 ってなんでしょうね
許すということじゃないのですね
そこが 大人だということかな?
日本人とは違う感覚だとは思います

嫌いな人の事を祝福するのが
私だとは思えません
嫌いな人には接触したくないというのが
私だと思います
離れたいとか・・・
遊哉
2009年01月30日 10:09
☆ 夢の砦さん、“祝福”ってなんでしょうね。許すというこでもあるんでしょうね。でも、それだけじゃなくて相手の幸せを祈ることでもあるんでしょうね。
 なかなかできることじゃないと思いますが、大人か否かは関係ないような気がします。日本人でももっている感覚だし、できないことではないでしょうね。
 嫌いな人には接触したくないのは誰しも同じだと思いますが、接触せざるを得ないこともあるでしょうね。

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