『善く死ぬための身体論』




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               〔公園の雨に濡れた新緑の樹々や草〕


 思想家で武道家の内田 樹さんと、ヨーガ行者でその指導者でもある成瀬雅春さんの対談集『善く死ぬための身体論』を紹介する。

 この本は、カバー裏の紹介文によれば次のような内容である。

<緊張と不安の時代に、「善く死ぬ」とはどういうことか? 武道、呼吸、瞑想から、ヒマラヤでの想像を絶する修行までさまざまなエピソードを通じて、武道家にして思想家の内田樹と、ヨーガの大家、成瀬雅春が死について縦横無尽に語り合う。
 そもそも死は病ではなく、いずれ誰にも訪れるもの。むやみに恐れるのではなく、生の充実を促すことが善き死を迎える準備となりうるというヒントを、ふたりの身体のプロがやさしく教える。>

 このふたりについて、表紙裏から紹介しておく。

内田 樹(うちだ たつる)
 一九五〇年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授。思想家。著書に『日本辺境論』(新潮新書)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)、共著に『一神教と国家』『荒天の武学』(集英社新書)他多数。
成瀬雅春(なるせ まさはる)
 ヨーガ行者、ヨーガ指導者。成瀬ヨーガグループ主宰。倍音声明協会会長。ハタ・ヨーガを中心として独自の修行を続け、指導に携わる。著書に『死なないカラダ、死なない心』(講談社)他多数。

 内田さんについては、その考え方が面白いので、今までにもその著書を何冊も紹介している。合気道家であり能にも造詣が深く、自ら道場兼能舞台の「凱風館」を建てた。
 成瀬さんという方は知らなかったが、ヨーガには昔から興味があったので、この本で語る内容がとても面白かった。

 目次から、内容の概要を見ていただこう。

 まえがき 善く死ぬためには、生命力が高い必要がある  内田樹
第一章 生命力とは感知力
 生命力の下がっている現代日本社会/戦場における直観力/人間の高いモニター能力/気象に影響を与える集団意識/人間が持つGPS機能/人類は西へ向かう
第二章 神様との交流の回路
 神仏習合に戻りつつある日本/一神教と多神教/インドの神様/多神教のアジア――宗教は自然観がベースになっている/経験の蓄積から生まれる神様――集団的な知
第三章 身体を鍛えるのではなく、センサーを磨く
 自分の身体の内側に「踏み込む力」/機械と人間が習合する/呼吸法で自分の内側を見る/呼吸の基本は吐くこと/恐怖心は身体現象/イメージと意識の違い/意識の拡大と身体の拡大/北半球と南半球の回転理論/エネルギーから見た江戸と神社仏閣のつくり/身体感覚を磨く道場/幼少期まで誰でも持っている霊眼/一日に一回でいいから、天地を逆にすること
第四章 死との向き合い方
 輪廻しないのが不死。二度と生まれ変わらない/ダブルスタンダードのユダヤ教 信仰の複数性/死をどう迎えるか/定年後の生き方と死に支度について/肉体がなくなるとどうなってしまうのか
第五章 エネルギーが枯渇する生き方、生命力を上げる生き方
 無意識の領域に地下室を持つ人間/人生を変えるきっかけ/「弟子上手」は学び上手/生命力を減殺する要因/全能感と幻想について/アウトプットしたものだけが自分のものになる/生命力を高める一番の方法
第六章 最後の自然「身体」に向き合う
 ノンアクティブな人々/イギリスのダークサイドとサニーサイド/ゲームに依存する現代人/不安と恐怖を煽る車内広告/本当の学力を上げる方法/人間の身体は最後の自然
 あとがき 死の瞬間の走馬灯をドラマチックなものにするために  成瀬雅春

 さて、ちょっと長くなりそうだが、何か所か引用・紹介してみる。
 まずは、「まえがき」から。


<船に乗っている時、夜の海上に何か揺れるものが見えたとします。何か規則的な動きをしている。でも、鯨か、難破船か、月の反射か、何だかわからない。そういう時に人間は、何かを見たけれど、それが何かを「決定しない」ということができます。「それが何を意味するのかわからないものがある」ということを受け入れる。それができるのは人間だけです。
 老人になることで際立って衰えるのは、この「何だかわからないもの」を「何だかわからないまま」に保持しておく力です。中腰に耐える、非決定に耐える。何か追加的な情報入力があって、自分自身がもっと複雑な生き物になることによって複雑な事態に対処できるようになるまで、判断保留に踏(ふ)み止(とど)まること、年を取るとそれができなくなる。体力気力が衰えると、早く腰を下ろしたくなるんです。中腰つらいから。
 オープンマインドとか「開放性」とかいうのも僕は同じことを指しているのだと思います。老人になって、現場を離れたことでまっさきに衰えるのは、この力です。自分をさらに複雑な生き物に進化させることで複雑な事態に対処するというソリューション(注:黒字は原文では付点)が取れなくなる。むしろ、よりシンプルな生き物に退化することによって、事態をシンプルなものにしようとする。「オレにもわかる話」か「オレにはわからない話」かの二分法で入力を処理して、「単純なオレ」でもハンドルできるように事態を縮減する。
 僕は「心の健康」というのはこのことじゃないかと思っているんです。老人になると、確実に身体は衰えます。でも、心は衰えに抗することができる。それは複雑化するということです。
 老いるというのは自己複雑化の努力を放棄することだと僕は思います。いささかきつい言い方になりますけれど。こういうことを老人に向かって言う人はあまりいないみたいですので、あえて自戒を込めてそう申し上げます。>


○ 第四章の「死をどう迎えるか」から

内田 (前略)水戸黄門とか、大久保彦左衛門(「天下のご意見番」として徳川家康、秀忠、家光に仕えた旗本)とか。昔、テレビで小汀利得(おばまとしえ)さん(経済評論家、ジャーナリスト)と細川隆元(りゅうげん)さん(政治評論家、元衆議院議員)が「時事放談」というのをやっていましたけれど、現世のしがらみから解き放たれた老人が「小言幸兵衛」になれる。今の僕の社会的役割は、そういうものじゃないかなと思うんです。遠慮なんかしない。だって、もうすぐ死んじゃうんだから。
 麻生太郎を見ていると何だかああいう威張り方は間違っていると思いますね。めちゃくちゃ態度が悪いけれど、あれは権力の裏づけがあって威張っているわけでしょう。記者が歯向かってきたら、「お前、どこの社のものだ」って恫喝(どうかつ)する。上から手を回して、左遷させることくらいオレには簡単にできるんだぞって脅しているわけですよ。権力をちらつかせて「ふつうの人なら言えないこと」を公言している。麻生太郎がとっくに政界を引退した天下無用のただの老人で、それが「お前、どこの新聞だ」と怒鳴りつけているなら、なかなか痛快な風景だと思いますけれど、現に権力を持った人間がその上で「ふつうの人間が言うといろいろ差し障りがありそうなこと」を放言しているのは醜悪ですよ。
 威張ったっていいんですよ。でも、老人は威張りたかったら権力を手放せ、ということです。今の日本の男性の高齢者たちはどうやって「手離すか」ということを真剣に考えてないですね。老人はどうやって若い人たちに権限を委譲し、道を譲るか、それを考えるべきだと思う。いつまでも権力に恋々として、「エバーグリーン」とか言っているのは見苦しいです。それより自分の死に方をもっと真剣に考えろよと言いたいですね。>


○ 第四章の「定年後の生き方と死に支度について」から

内田 (前略)別に生きがいなんてなくても、隠居でいいんじゃないですか。さくっと現役から足を洗って、どこにも属さぬ天下無頼の老人となって、責任や立場のある現役の人にはできっこないことを代わってやって、代わって火の粉をかぶる。それも大事な仕事だと思うんですよね。>


○ 第五章の「生命力を減殺する要因」から

成瀬 自分にとって嫌なこととか気分悪いことを我慢していると、ツケは必ず来てしまいます。つまり、ストレスが過多になってきて、そのツケが結局、病気になってしまうのです。業病はだいたいそうですね。実は瞑想能力があると、そういったことをすべて回避できるんです。
 まず、嫌なこととか気分悪いことを我慢するというのは、目の前しか見えないからです。嫌なことを我慢するのではなく、嫌なことをしっかりと見据えるのです。そうすると、その嫌なことと思っていたことの中に、そんなに嫌じゃないことが混じっているのがわかります。目を逸らしたり、見ないようにしたりすると、正しい判断ができなくなります。そうすると勘違いしたり、いさかいが起きます。人間関係がどんどん悪くなってしまう。何ごとも冷静に見据えることが大切なのです。それによって、必ずよい方向に向かえる道が開けます。我慢というのは、目を閉じてしまう行為です。嫌なことを見ないようにしよう、考えないようにしようという姿勢が、さらに悪い方向に行ってしまうのです。
内田 病気の原因はほとんど我慢じゃないんですか。
成瀬 最近、西洋医学もそういうことがだんだんわかってきて、「ストレスをなるべくためないように」といっていますね。>


○ 第五章の「全能感と幻想について」から

成瀬 (前略)何しろ体験したことのないことは、すべておもしろいです。嫌だと思ったら、その思いが増幅されます。逆に愉しいと思えば、その思いが増幅されるので、より愉しくなるのです。
内田 日本人も自分たちの国のことを「ストーリー」にして現実を読み替えていると思います。日本はアメリカの属国なわけですが、ナショナリストは国内に外国軍の軍隊が駐留しているのに反基地運動をしていない。それは「こちらが嫌がっているのにアメリカが駐留しているのではなくて、日本政府からお願いしていてもらっているから」という話になっているからです。そういう話のほうが気分がいいから、そういう話にしている。
 自分が主権者であり、国内に基地があるという不快な現実についても、「出て行ってもらおうと思えばいつでも出て行ってもらえる(言わないけど)」というふうに読み替えている。そのほうがダイレクトに「日本はアメリカの属国だ」という不快な現実に耐えるよりも、耐えやすいから。自分自身が運命の主体者であるという幻想がどれぐらい強固か、人間がどれぐらいそれを求めているか、窺(うかが)える話ですね。
成瀬 危ういですね。
内田 安倍内閣の外交は大成功しているというような話も別に噓をついているわけじゃないと思うんです。何が何でも日本政府が日本の運命の決定主体であると思いたがっているだけなんです。話を書き換えているんです。>


○ 第五章の「アウトプットしたものだけが自分のものになる」から

内田 生命力を量的なものだと考えている人が多いんじゃないかと思います。栄養みたいな感じで、生命力をたくさん取り込むと、アップするとか。僕はそれは違うんじゃないかと思うんです。生命力って、「取り入れるもの」じゃなくて、「出すもの」じゃないかと思うんです。今先生がおっしゃった通り、使わないと生命力は増えない。貯め込むということはできないんです。知恵は使わないと知恵にならない。判断してみないと、判断力はつかない。他人からあれこれアドバイスを聞いても、「成功者」の書いた本を読んでも、そんなものは無意味だと思う。問題は入力ではなくて、出力だから。
 出さないとダメなんです。やったほうがいいんです。十分な根拠がなくても決断したほうがいいし、やろうかやるまいか迷ったことはやったほうがいい。>


○ 第六章の「人間の身体は最後の自然」から

成瀬 (前略)死を最高の状態で迎えるには、現世に対する未練や執着を減らすことです。財産、家族、名誉、美食など、手放したくないことはたくさんあります。それが現世に対する執着です。だから「死にたくない」のです。しかし、財産がなくなったらなくなったでいい。家族を失ったら、寂しいけれど、仕方ないこと。名誉なんかいつなくなってもいい。美味(おい)しいものを食べられなくても、まあいいか。という意識を持てれば、今死んでも後悔はないという「最高に充実した今」を獲得できるのです。
(中略)
 人は死の瞬間に、これまでの人生を走馬灯のように観るといわれています。それが本当かどうかはわかりません。もし、本当だったら、つまらない走馬灯は観たくないです。楽しいこともあまりなく、ついてない人生の連続で、感動することもあまりなかったとしたら、その人生の走馬灯は、実につまらないものになってしまい、それを人生の最後に観るのは、悲しすぎます。その逆に充実した人生を歩んできて、楽しい日々を過ごしてきたとしたら、ドラマチックで愉快で、楽しい走馬灯を観ながら死ねるのです。>


 さて、長くなってしまった(^^)/。もっとたくさん紹介したい面白い意見や考え方が話されているのだが、それは本書をお読みいただきたい(^^ゞ。


<今日のお薦め本>
『善く死ぬための身体論』 内田 樹、成瀬雅春、集英社新書、929円、19.04.22. 第一刷発行

善く死ぬための身体論 (集英社新書)
集英社
2019-04-17
内田 樹

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<後記>“善く死ぬ”というのは、この世に思い残すことなく穏やかに死ぬ、ということでしょうか。
 そのためには、この世での身体的・精神的に充実した生活が必要だと思いますが、そのためにはどう生きていったらいいのか? 
 それに、死というのは誰にも訪れることですが、いつ、どこで、どのように死ぬかは選ぶことができません。
 いつ、どこで、どのように死んでも、それが善き死であるにはどうしたらいいのか?  
 そんなことを教えてくれたり考えさせてくれる対談集です(^^ゞ。 


 今日(27日)は雨が降ったり止んだりの一日でした。
 日中はテレビを観て過ごしました。
 夕方の散歩は早めに4時ちょっと前に出ました。出かける時は雨が降っていませんでしたが、途中から小雨になりました。

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 公園の斜面を上っていきました。

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 原っぱに出てウロウロしていきます。

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 SORAは水溜まりを横切っていきました(^^)/。

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 雨粒がレンズ前のガラスについたので、このあとすぐに拭いました(^^ゞ。

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 どんよりとした雲に覆われていましたが、低空には雲の塊がいくつか流れていました。

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 SORAが引き返し始めました。

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 また水溜りを歩いていきます(^^ゞ。このころから雨が止みました。

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 上に行ってテニスコート脇をウロウロしていきました。

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 原っぱに戻りました。

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 左上にいた馴染みのワンコのところに行って、飼い主さんと少しおしゃべりしました(^^ゞ。
 その後は桜並木を下りて帰ってきました。

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 SORAは帰ってきてエサを食べたあと、

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 ベッドを咥えて振り回して、ひとりで遊んでいました(^^)/。

 明日(28日)の横浜の南の端っこの天気は、晴れて絶好のお出かけ日和になるようです。昼間は陽射しがポカポカと感じられそうですが、朝との寒暖差が大きそうです。
 お出かけの際は、紫外線対策をお忘れなく(^^ゞ。

この記事へのコメント

2019年04月28日 07:32
あと 何年後か 善く死にたいですなー
遊哉
2019年04月28日 08:43
☆ seizi05さん、お互いに善く死ねるように頑張りましょう!(^^ゞ
2019年04月28日 19:13
こんにちは。
『善く死ぬための身体論』の概要をゆっくりと読ませて頂きました。考えさせられる興味深い内容ですね。心の煩悩を減じて物質の断捨離もして、心穏やかに過ごして天寿を全うしたいと思います。
遊哉
2019年04月28日 20:21
☆ 華の熟年さん、こんにちは♪
 この本の対談者が、思想家・武道家の内田さんと、ヨーガ行者の成瀬さんという組み合わせが興味深いと思います。
 精神的なことと身体的なこととのバランスの大切さということも考えさせられます。
 いずれ迎える死を心穏やかに迎えたいものですね。
 もしよかったら、この本を読んでみてください(^^ゞ。

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